佐野線(さのせん)は、群馬県館林市の館林駅と栃木県佐野市の葛生駅を結ぶ東武鉄道の鉄道路線である。駅ナンバリングの路線記号はTI。
2005年(平成17年)2月に佐野市・田沼町・葛生町が合併して佐野市となったため、群馬県内は館林市内、栃木県内は佐野市内と、それぞれ1県1市を走っている。
路線データ
運行形態
特急「リバティりょうもう」が朝の葛生発浅草行きと夜の浅草発葛生行きで設定されているほかは、すべてワンマン運転の普通列車のみの運行である。普通列車は朝の始発列車が佐野発館林行きの運行であるほかは館林駅 - 葛生駅間の運行である。
1時間に日中は1本、朝と夕方は2 - 3本程度の列車が設定されている。
使用車両
現在の車両
- 500系 - 特急「リバティりょうもう」で使用。2022年3月12日のダイヤ改正でこれまでの200系を使用した特急「りょうもう」に代わり運行開始した。
主に以下の2車種を当線・小泉線・桐生線の3路線でそれぞれ使用。
以下は運用がごくまれ。
過去の車両
このほか、旧・北館林荷扱所への廃車回送があり、東武の各種車両や東京メトロ(日比谷線・半蔵門線)の車両も入線する[6]。
歴史
佐野線の前身は、1888年(明治21年)に設立され、1890年(明治23年)までに葛生 - 越名間が開業した安蘇馬車鉄道である。江戸時代から葛生で産出される石灰石を運ぶための馬車鉄道で、越名まで運ばれた石灰石や木材などは、船に積み替えられて渡良瀬川から利根川を下って東京方面に運ばれていた。しかし、石灰石の輸送は年間を通じて行っていたわけでなく、閑散期の馬の餌代が負担となっていた[9]。そこで社名を佐野鉄道に改めて、1894年(明治27年)に蒸気機関車による鉄道に変更した。
1912年(明治45年)に佐野鉄道は東武鉄道に吸収合併された。この頃、東武鉄道では日光進出の計画を立てており、当初は館林から佐野、葛生、鹿沼を経由して日光まで結ぶ構想であった。そのため、ルートの重なる佐野鉄道を合併したのである(後に日光へは栃木経由に変更)。東武鉄道は佐野鉄道が持っていた鉄道敷設免許を利用して館林 - 佐野間を建設、1914年(大正3年)に開業し、館林 - 葛生間直通運転を開始した。館林や東京浅草まで直行できる鉄道ができたことで佐野町 - 越名間の旅客・貨物輸送は著しく減少し、1915年(大正4年)には旅客営業を休止し、1917年(大正6年)に廃止された。
葛生からの石灰石輸送は東武鉄道となってからも続けられ、葛生駅から先では東武の会沢線・大叶線、日鉄鉱業羽鶴専用鉄道といった貨物線が延び、佐野線でも貨物列車が多数運行されていたが、トラック輸送への移行が進み、1997年(平成9年)までにこれらの貨物線群や北館林荷扱所 - 葛生間での貨物列車運行は廃止され、残った久喜 - 北館林荷扱所間の石油輸送も2003年(平成15年)9月に廃止された。この佐野線の石油輸送列車が、東武鉄道で最後まで運行された貨物列車で、これにより1世紀以上に渡る同社の貨物列車の歴史に幕が降りた。
2006年(平成18年)3月より、合理化のため全線でワンマン運転を開始した[15]。
年表
駅一覧
- 特急「リバティりょうもう」号の停車駅は当該項目を参照のこと。
- 普通列車は各駅に停車する(ワンマン運転)。
- 全駅でPASMOが利用可能だが、館林と佐野以外には自動改札がなく、簡易ICカード改札機を設置して対応している。
- 線路(全線単線) … ◇:列車交換可 |:列車交換不可 ∧:終着駅
留置線のある駅
- 北館林荷扱所(2003年9月限りで貨物輸送が廃止されたことにより、北館林荷扱所内に設置されていた資材管理センター北館林解体所は渡瀬駅構内扱いとなっている。廃車車両が留置される)
- 葛生駅(かつて貨物列車の受け渡しを行っていた)
廃駅・廃連絡所・廃荷扱所
- 越名駅(旧終点。1917年2月17日廃止[33])
- 高萩駅(越名 - (旧)佐野間、1890年1月25日開業[51]、安蘇馬車鉄道時代廃止[注釈 7])
- 第二連絡所((旧)佐野町 - 越名間、1914年8月2日開設[28]、同年9月26日廃止[33])
- (旧)佐野町駅(開業時は(旧)佐野駅。1914年8月2日廃止[28])
- 第一連絡所(開設時は佐野連絡所。(旧)佐野町 - 吉水間、1903年6月17日開設[22]、1914年10月16日廃止[34])
- 朱雀駅((旧)佐野 - 吉水間、1889年開業[注釈 8]、安蘇馬車鉄道時代に廃止[注釈 7])
- 山菅駅(貨物駅、多田 - 葛生間。佐野鉄道時代開業[注釈 9]、1914年10月16日廃止[34])
- 山菅2号荷扱所(貨物駅、多田 - 山菅1号荷扱所間。1970年5月1日開設、1977年10月1日廃止)[51]
- 山菅1号荷扱所((仮)葛生駅跡。貨物駅、山菅2号荷扱所 - 葛生間。1937年営業再開、1983年廃止)[51]
廃止区間
- 第二連絡所 - 越名駅
- 第一連絡所 - (旧)佐野町駅 - (新)佐野町駅
- (新)佐野町駅 - 越名駅
過去の接続路線
- 田沼駅:戸奈良線 - 1939年4月5日廃止 (貨物線)
- 葛生駅:会沢線
※大叶線・日鉄鉱業羽鶴専用鉄道専用線は会沢線の途中駅である上白石駅から分岐。
脚注
注釈
- ^ 大町雅美の著書『郷愁の野州鉄道』によると馬車鉄道から軽便鉄道への変更工事の際に「両毛線陸橋は改正改築するよう設計している」とあり、佐野駅西の両毛線との交差は両毛線を乗り越す立体交差であった。同書p.150には佐野市郷土博物館所蔵の両毛線横断橋の絵が掲載されている。
- ^ 開業当初の本社は仮駅がある葛生町大字山菅坪に設置されたが、翌年の正駅開業に伴い正駅がある葛生町大字葛生に移転している[18]。
- ^ 『東武鉄道六十五年史』によれば「改築後現両毛線駅に移る」とあり移転扱い。そのため開業日に変更はない[23]。
- ^ 1906年時点の時刻表によれば、佐野町駅から吉水駅への経路は、佐野町駅 - 佐野連絡所 - 佐野駅 - 佐野連絡所 - 吉水駅であった。
- ^ 佐野町駅から佐野駅への経路は、佐野町駅 - 第二連絡所 - 第一連絡所 - 佐野駅となる。
- ^ 『日本鉄道史』下編[30]の記述を要約すると、従来線の仮連絡点(第二連絡所) - 越名間に新連絡点を設け、佐野町 - 新連絡点間を新線に切り替えて従来線の仮連絡点 - 新連絡点間を廃止[32]。
- ^ a b 『東武鉄道百年史』[51]には1912年3月30日以前と佐野鉄道時代に廃止の旨を示しているが、佐野鉄道開業の1895年の時刻表[52]や1906年時点の時刻表には高萩駅と朱雀駅が記されていないことから、安蘇馬車鉄道時代までの駅だったと推測される。
- ^ 1889年時点の時刻表には朱雀駅が記されている。
- ^ 1899年の時刻表[53]には山菅駅は記されていないが、『帝国鉄道要鑑』による1902年度の駅情報[54]や1906年時点の時刻表には山菅駅が記されている。
出典
参考文献
関連項目
外部リンク
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