木之内 みどり(きのうち みどり、1957年6月10日[1] - )は、日本の元アイドル歌手、元女優である[2]。出生名は木之内みどり[2]。1976年時点の公称サイズは、身長163cm、体重42kg、B78cm・W57cm・H84cm[3]。血液型O型[4]。北海道小樽市出身[5]。
北海道小樽市に生まれる。9人兄妹の末っ子[2]。野口五郎のファンで[2]、15歳中学3年生のときに、野口がよく出演していた日本テレビ「サンデー・ヒットパレード」の「ミス・ティーン・コンテスト」に応募するが準優勝[2][6]。しかし阿久悠から「最近の少女にしては何かを持っている」と東京に招かれ[2]、「家を建てたい」と16歳の1973年8月21日に小樽から上京し[2]、東亜商業高校(現・東亜学園高校)1年に編入した[2]。『スタア』1976年2月号のタレント名鑑には「明大中野高校2年在学中」と書かれている[5]。学校ではブラスバンド部に在籍しクラリネットを練習した[2]。日本テレビ「ゴールデンショー」のマスコットガールが芸能界の初仕事[2][6]。番組へのファンレターの宛先やコマーシャル商品を持って一回の番組中4回程度、時間にして合計10秒程度の登場だったが[2]、長く映ると恥ずかしがってはにかみ、下を向いたりする仕草に「時々映る可愛い女性は誰ですか?」と問い合わせが毎週増えるようになった[2]。
1974年5月10日、「めざめ」で歌手としてデビュー。キャッチフレーズは「若草とのふれあい」であった[1]。キュートな顔立ちと愛らしい歌声で人気を集めた。本業の歌手としてはレコードの売り上げが伸びないのにもかかわらず、ブロマイドが飛ぶように売れる怪現象を起こした。1976年(昭和51年)ヘアートリートメントのCMに出演し、お茶の間にも知名度を上げたが、歌手としてはなかなか成功できず、映画『野球狂の詩』(1977年)、テレビドラマ『刑事犬カール』(1977年 - 1978年)などに出演[7]、女優として活躍した。またグラビアアイドルとしても人気が高く、篠山紀信撮影で知られる『GORO』(小学館)の表紙を6回も飾った。そのうち1978年には3回を占め、ラストは引退後の1978年10月12日号であった[8]。
1977年10月25日発売の『刑事犬カール』の主題歌「走れ風のように」や1978年2月25日発売の「横浜いれぶん」がようやくヒットしたが、1978年1月19日に放送開始した『ザ・ベストテン』にはランクインせず、『夜のヒットスタジオ』にも出演を果たせなかった[9]。
1978年9月、新曲「一匹狼 (ローン・ウルフ)」発表直後にベーシスト後藤次利との交際が発覚し、米国ロサンゼルスでレコーディング中の後藤のもとに、すべてのスケジュールをキャンセルして逃避行した[10]。後藤は当時、元シモンズの玉井タエと婚姻関係にあった。同年9月11日、帰国ともに記者会見を開き、木之内は21歳で引退した。「子どものできるようなことはしていません」のセリフを残す。人気絶頂期の突然の引退に、芸能界のみならず一般でも一時期騒然となった。新曲は記者会見の10日後の発売であった。
引退後も、浅井企画と木之内との間が決裂したわけではなく、カメラマンへ転身していた木之内に、浅井企画所属タレントの宣材写真を依頼していたと、当時の担当マネージャーは語っている[11]。
後藤とは5年後の1983年に結婚したが、その4年後の1987年に離婚した。1990年、俳優の竹中直人と再婚。竹中との間に1男1女がいる。