春風亭 小柳枝(しゅんぷうてい こりゅうし)は、落語家の名跡。現在は空き名跡となっている。
8代目
八代目 春風亭 小柳枝・春風亭 扇昇(しゅんぷうてい せんしょう、1927年2月27日 - 2002年3月5日)は、落語家、僧侶。本名∶西川 長[1][2]。出囃子は『巽八景』[1]。
来歴
人物
いわゆる「権助もの」を得意とした[1]。なお、文化放送に『真田小僧』のスタジオ録音が現存する。
多くの奇行が知られ、落語界では伝説の「奇人変人」と称され、多くの出版物・落語CD[4] にエピソードが紹介されている。
- トラックに跳ね飛ばされた直後、何事もなかったように起き上がり、運転手に殴りかかった[5]。
- 霊柩車の後部に忍び込み、窓から通行人に手を振った[5]。
- 師匠宅の木の手入れを頼まれ、自分が乗っている枝を切り落とした[2][5]。
- 酒乱として知られ、酔うと以下のようなトラブルを起こした。
- 先輩でも構わず、本名を呼び捨てで呼んだ[5]。
- 一緒に呑んでいた9代目三笑亭可楽(当時∶浮世亭写楽)を突然殴った。怒った可楽は近くにあった衣紋掛けで小柳枝を殴り返したら小柳枝が流血した。
- 翌日の草野球に遅刻しないよう、ピッチャーマウンドの上で眠った[5]。
- 警察署のトラ箱に入れられた翌朝、出された味噌汁に「味の素を入れろ」と要求した[5]。
- とん橋時代のあるとき、自分がトラ箱に入れられた警察署に『月刊朝日ソノラマ』の取材者が居合わせ、酔態を音のドキュメンタリーとして録音されてしまった。とん橋はそのとき泥酔したまま落語を演じたという[5][6]。
- 酔いがひどくなると何でも食べてしまった。
- バーで飼われていた金魚をつかみ出して丸かじりし、口直しに自分が持っていた1000円紙幣を醤油につけて食べた。それが所持金の全部だったため、代金が払えなくなった[5][7]。
東京大学教授[8] と、金属会社社長の兄[9] がいる。
弟子
- 春風亭柳若(その後5代目柳昇門下に移る)。毎年、孫弟子にあたる鯉昇一門の弟子が、墓参に訪れている[10]。
9代目
九代目 春風亭 小柳枝(1936年1月18日 - 2024年1月31日)は、落語芸術協会所属の落語家、同協会相談役。東京都新宿区出身・埼玉県在住。本名∶臼井 正春。出囃子は『梅は咲いたか』。バンド・アロハマンダラーズではサブリーダーを務める。
経歴
東京都立昭和高等学校卒業[11]。大学入試失敗後、航空写真測量の会社で営業のサラリーマンとして10年余り勤務。この頃、趣味として落語を聴いたり新劇を観たりした。新劇の役者としてNHKのラジオドラマに出演したこともある。
1965年5月、四代目春風亭柳好に入門し「春風亭笑好」を名乗る。1968年9月、二ツ目昇進。1976年に五代目春風亭柳昇門下に移籍し「鶏昇」に改名。NHK新人落語コンクール優秀賞を受賞。
1978年10月、真打昇進し、「九代目春風亭小柳枝」襲名。1991年、第46回文化庁芸術祭賞受賞。2013年、第68回文化庁芸術祭賞大賞受賞。2016年4月に脳梗塞で倒れるが、1年後に高座復帰している。
その後は、浅草演芸ホールの毎年恒例のアロハマンダラーズ興行など、体調を見ながらの出演となっていた。
2024年1月31日、老衰のため埼玉県内の病院で死去した。88歳没。訃報は同年2月8日に落語芸術協会より公表された[12]。寄席の最後の高座は、2018年9月20日の浅草演芸ホールでの「厩火事」であった。
芸歴
受賞歴
人物
実際にはそのような事実はないにもかかわらず、団地上階の住人から「妻と浮気をしている」と勘違いをされて、包丁で襲われたことがある。九代目小柳枝自身が犯人を取り押さえて警察に引き渡したが、相当の傷を負った[13]。しかし、財団法人大宅壮一文庫のデータベースと雑誌目録では、この事件も八代目がやったことになっている(もちろん濡れ衣である)。
テレビドラマ
CD
- キング落語名人寄席 『船徳』『妾馬』(2001年、キングレコード)
- 朗読CDシリーズ 「心の本棚〜美しい日本語」川柳の楽しみ(2004年、キングレコード)
- とっておき寄席! 春風亭編(2009年10月、キングレコード) - 小柳枝『芝浜』を収録。
- 新潮落語倶楽部 その10 春風亭小柳枝(2012年10月、ポニーキャニオン) - 『時そば』『干物箱』『青菜』を収録。
DVD
一門弟子
真打
色物
移籍
廃業
関連項目
外部リンク
脚注
- ^ a b c d 小島貞二『落語名作全集 1』(立風書房、1967年)p.249
- ^ a b 小島貞二『落語名作全集 別巻 高座変人奇人伝』(立風書房、1969年)pp.260-262
- ^ 瀧川鯉昇 (2016年7月31日). 鯉のぼりの御利益. 東京かわら版. pp. 87-156. "第3章「八代目 春風亭小柳枝に入門」"
- ^ 『古今東西落語家事典』211ページ、『週刊新潮』通巻1132号、浜美雪『師匠噺』(河出書房新社 2007年)、CD『瀧川鯉昇 1』(ワザオギ)など。とりわけ瀧川鯉昇『鯉のぼりの御利益』(東京かわら版新書 2016年)に、廃業、その後、死去の経緯などが詳しい。
- ^ a b c d e f g h 立川談志『談志楽屋噺』(文春文庫、1990年)pp.71-75
- ^ 小島貞二『落語名作全集 3』(立風書房、1969年)pp.116-117
- ^ 玉川一郎『私の冗談事典』(青蛙房、1960年)pp.113-118「新版『禁酒番屋』」
- ^ 広尾晃 (2019年4月17日). “噺の話5000文字 落語家・瀧川鯉昇がひたすら紡ぐ世界観の魅力「伝説の師匠」仕込みの独特の噺に迫る”. 東洋経済オンライン. 2019年4月18日閲覧。 “実は1歳年上で、東大教授だったお兄さんが生きていたんです。去年の秋口でしたけど、落語会に訪ねて来てくれましてね。”
- ^ 瀧川鯉昇『鯉のぼりの御利益』東京かわら版新書、2016年7月31日、151-152頁。
- ^ 春風亭傳枝 (2017年3月8日). “今日は新宿末広亭から小平霊園に移動。…”. twitter. 2019年5月7日閲覧。 “大師匠にあたる八代目小柳枝の墓参り。”
- ^ 『読売年鑑 2016年版』(読売新聞東京本社、2016年)p.546
- ^ “【訃報】春風亭小柳枝”. 公益社団法人落語芸術協会 (2024年2月9日). 2024年2月9日閲覧。
- ^ ベン村さ来『落語ファン倶楽部 vol.1 あの日あの時「ラクゴカ・ニュース」』白夜書房、2005年7月20日、97頁。ISBN 4861910528。「記事の引用元は昭和55(1980)年8月21日付日刊スポーツ。」
関連項目