『幕末残酷物語』(ばくまつざんこくものがたり)は、1964年12月12日に公開された日本映画である。監督は加藤泰、主演は大川橋蔵[1]。モノクロ、シネマスコープ、成人映画[1]。
概要
架空の新選組隊士・江波三郎の視点で描かれる物語である。池田屋事件をはじめ、元治年間の京都を舞台に、新選組の内部粛清を描いたストーリーとなっているが、重要な史実関係が間違っている箇所もある。例えば、沖田総司は天然理心流(近藤道場)の使い手であるが、本作品では「北辰一刀流」の使い手と描かれるなど、物議になった作品である。
キャスト
スタッフ
- 製作:大川博
- 企画:岡田茂、玉木潤一郎、天尾完次
- 脚本:国弘威雄
- 監督:加藤泰
- 撮影:鈴木重平
- 音楽:林光
- 美術:富田治郎
- 照明:井上善一
- 録音:中山茂二
- スチール:中山健司
- 編集:河合勝巳
製作
企画
企画は大川橋蔵の人気回復に陣頭指揮を執る[2]当時の東映京都撮影所(以下、東映京都)所長・岡田茂[3][4]。タイトル命名も岡田[5]。岡田が橋蔵の新路線として"男性向きアクション"の一本として企画した[4]。
作品の評価
興行成績
橋蔵の主演映画はかつては興行収入ベストテンに毎年2、3本が入り[6]、コンスタントに2億5000万から3億円を叩き出す東映のドル箱であったが[6]、本作が公開された1964年頃から興行不振が目立ってきた[6]。1964年の正月第二弾『人斬り笠』(併映『地獄命令』)、第二弾『風の武士』(併映『 図々しい奴』)、3月の『紫右京之介 逆一文字斬り』(併映『二匹の牝犬』)とも成績が悪く[6]、橋蔵の極めつけ『新吾番外勝負』(併映『君たちがいて僕がいた』)ですら1億5000万に届かなかった[6]。8月に公開された『御金蔵破り』は、橋蔵噂の人・朝丘雪路との共演という話題性もあり[6]、併映『日本侠客伝』との釣り合いもとれて[2]、1億5000万に届くヒットとなった[6]。しかし9月の『大喧嘩』(併映『忍者狩り』)がダメで、続く本作も不入りだったとされる[6]。
批評家評
- 岡田茂東映京都所長も内容を褒めたが[6]、大川橋蔵を支援する映画評論家・南部僑一郎が週刊誌上で、「『座頭市シリーズ』は勝新が坊主になって目を剥くのがいいんだ。それを『幕末残酷物語』みたいなもので橋蔵があんな役をやって、どこに意味があるというんだろう。橋蔵は何でああいう斬り死の役柄に乗せられてしまうのか。『オレはいままで大義名分で生きてきたが、これじゃまるで派閥の地獄じゃないか』といって逃げるなら君が生かされる。むしろ女と逃げた方があの時代には残酷な話になる。それをどうして君は言い出さないのか。君の最近の仕事にはゲンナリしている。『幕末残酷物語』みたいなものはぼくはてっきりオクラになると思っていたら、京都では岡田所長以下、良いといってるのはどういうわけだ。ぼくは京都に行く記者連に『あんなもので客に来いとは言語道断だと伝えてくれ』と言ってやったくらいだが、橋蔵君、君はいったいどういうつもりであんな仕事をするんだ」[6]、「橋蔵のイメージを変えるという会社のやり方は間違っている。妙なリアリズムに熱を上げたりね。『幕末残酷物語』はいけないよ。ああいう仕事が将来のための授業料になるという人もいるが、スターは授業料を払う必要はない。橋蔵は求めて汚れなくても、きれいなままでいくらでもやれるんだよ」などと、岡田の橋蔵のプロデュース力が悪いと批判を繰り返した[7]。
- 穂積純太郎は「橋蔵の真価は白塗りできれいなところにある。『幕末残酷物語』や『天草四郎時貞』などの"意欲作"で、わざわざ"黒塗り"の橋蔵を見せるのは何か錯覚してるんじゃないかとしか思えない。橋蔵は悲劇と紙一重の正喜劇をやれる数少ない役者ではないか。とにかく大スターでありながら未開拓の分野が多く、いろいろな可能性を秘めている役者も珍しい」などと評した[7]。
- 大川橋蔵は「ぼくとしては『幕末残酷物語』で、はじめてといって良いようなリアルな演技で、いわば素顔(すっぴん)で出たようなもんで、ぼく自身、すごく楽に演技が出来た。自然(ナチュラル)に自分の感情のままやって、それが極めて適切に画面に出たと思う。演技的にはちっとも苦労してないけど、世間の人は『幕末残酷物語』の演技はよかったと言ってくれる。だけど、従来の娯楽作品は、大衆受けはしても、演技的にあまり褒められたことはない。しかしぼくは娯楽作品に演技的に苦労しているわけです。つまり娯楽作品がいかに難しいか…それがよく分かった気がします」などと述べている[8]。
受賞歴
影響
本作公開の翌週、1964年12月24日から公開された橋蔵の次作『黒の盗賊』(併映『博徒対テキ屋』)は少し持ち直したが[6]、1965年2月公開の愚連隊を演じた『バラケツ勝負』はかなり落ち込んだ[4][6]。女性ファンからも橋蔵のヨゴレ役に反撥を食らったため、岡田茂東映京都所長は「女性ファンは"美男の橋蔵"がお好きなようだから、今後はご要望に応えて、その線を通していく」と表明し[4]、橋蔵が難色を示していた大阪を舞台としたスリの話『飛びっちょの鉄』を製作中止させ[4]、1965年5月公開の『大勝負』では水も滴る美男やくざに設定を変えた[4]。岡田は「1965年秋に橋蔵主演で『源氏物語』を企画している。橋蔵源氏を取り巻く女性に佐久間良子、三田佳子、岡田茉莉子、有馬稲子、山本富士子といった絢爛たるキャストを組みつもりだ」と話していたが、「但し、結婚問題をきちんと収束させることが条件」と述べ[10]、結局、『源氏物語』は製作されることはなかった。
映像ソフト
併映作品
脚注
- ^ a b “幕末残酷物語”. 日本映画製作者連盟. 2021年4月6日閲覧。
- ^ a b 「がいど・映画表街道に脱出した大川橋蔵黒の二枚目スリ、盗賊で再出発」『週刊サンケイ』1964年9月7日号、産業経済新聞社、51頁。
- ^ 渡邊達人『私の東映30年』1991年、142頁。
- ^ a b c d e f 「ポスト 日本映画 きれいな橋蔵でいこう 女性ファンを失望させたヨゴレ役」『週刊明星』1965年3月7日号、集英社、86頁。
- ^ 加藤泰、鈴村たけし『加藤泰映画華 ―抒情と情動―』ワイズ出版〈ワイズ出版映画文庫4〉、2013年、402-403頁。ISBN 9784898302712。 春日太一『あかんやつら 東映京都撮影所血風録』文藝春秋、2013年、197頁。ISBN 4163768106。 「映画界のドンが語る『銀幕の昭和史』」『新潮45』2004年9月号、新潮社、204頁。
- ^ a b c d e f g h i j k l 南部僑一郎「特別企画 大川橋蔵への直訴状 『橋蔵クン! 結婚問題を1日も早く解決して! 作品で勝負せよ!』」『週刊平凡』1965年3月4日号、平凡出版、32-35頁。
- ^ a b 「【対談】 岡田茉莉子/南部僑一郎 『大川橋蔵の生き方に発言! 公私に決断と飛躍を期待する』」『週刊明星』1965年2月14日号、集英社、34–38頁。
- ^ 「【対談】 大川橋蔵/岡田茉莉子 『ことしは面白いことが起りそう』」『週刊明星』1965年1月24日号、集英社、110頁。
- ^ 「特集 大川橋蔵への率直な発言! 注目を集めている二つの課題について」『週刊明星』1965年1月7日号、集英社、36頁。
外部リンク