今池停留場(いまいけていりゅうじょう)は、大阪市西成区萩之茶屋2丁目にある阪堺電気軌道阪堺線の停留場。駅番号はHN53。
本項では近接して設置されていた南海電気鉄道天王寺支線の今池町駅(いまいけちょうえき)についても述べる。
阪堺電気軌道・今池停留場
歴史
停留場構造
盛土上に2面2線の相対式ホームがあり、住吉寄りの階段で出入りする形になっている。高架駅とも言える。それぞれのホームは、構内踏切で結ばれている。
かつては南海平野線への分岐線[注 1]があり、南海天王寺支線今池町駅との連絡駅であった。今でも駅南方に平野線の分岐跡が残されている。
南海電気鉄道・今池町駅
南海天王寺支線と阪堺線の交差地点にあった駅で、大阪大空襲により被災・焼失した曳舟駅と大門通駅の代替駅として開業した。
当初は天王寺支線の中間駅であったが、1984年(昭和59年)に天下茶屋駅 - 当駅間が部分廃止された後は当駅が起点となったと同時に、他の南海の路線と一切接続しない孤立路線となったため、当駅から高野線萩ノ茶屋駅までが徒歩連絡扱いとなった。1993年(平成5年)に天王寺支線が全線廃止されたのに伴い廃駅となった。
廃止後に駅設備は撤去され空き地となっているが、駅直上で天王寺支線を跨いでいた阪堺線の「天王寺線跨線橋」が現役施設として残っている。
歴史
駅構造
晩年には北側のホーム1面と線路1線のみ使用していて、無人駅となっていた。部分廃止前は相対式ホーム2面2線を有する有人駅であった。
停留場周辺
当停留場は紀州街道(停留場西側)と堺筋(停留場東側)の間にあり、東西に商店街が数ヵ所ある。西へ抜けると萩ノ茶屋駅(南海電気鉄道)に、東へ抜けると阪神高速14号松原線に至る。飛田遊廓の跡地は東へ抜けた所にあり、その付近には宿泊施設が点在する。
バス路線
最寄停留所は今池駅前となる。以下の路線が乗り入れ、大阪シティバスにより運行されている。
その他
今池停留場と飛田遊郭跡の位置関係
- 黒岩重吾の小説『飛田残月』では、「今池町から電車に乗って天王寺に行って飛田遊郭に…」というくだりの話を書いている。しかし、地図を見ればわかるが、今池町駅から飛田遊郭は目の前にあるため、若干矛盾している。
隣の停留場
- 阪堺電気軌道
- ■阪堺線
- 新今宮駅前停留場 (HN52) - 今池停留場 (HN53) - 今船停留場 (HN54)
かつて存在していた路線
- 南海電気鉄道
- 平野線
- (南霞町停留場 -) 今池停留場 - 飛田停留場
- 天王寺支線
- 天下茶屋駅 - 今池町駅 - (飛田本通駅) - 天王寺駅
脚注
注釈
- ^ 当駅から飛田停留場の間は、最大25‰の急勾配があった。今池停留場で電車が輻輳すると、平野線の電車は、急な上り勾配の途中で止まらなくてはならなくなった。その為の停止位置票が、坂の途中に設けられていた。平野線運転士の腕の見せ所ともいわれたという。
出典
関連項目
ウィキメディア・コモンズには、
今池停留場に関連するカテゴリがあります。
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天下茶屋駅 - 今池町駅間は1984年廃止、今池町駅 - 天王寺駅間は1993年廃止。*打消線は1949年廃止。 |