今井 雅之(いまい まさゆき、1961年(昭和36年)4月21日 - 2015年(平成27年)5月28日)は、日本の元自衛隊員・俳優・演出家・脚本家・タレント・エッセイスト。兵庫県豊岡市出身。代表作は自身が「自分の魂」と形容している神風特別攻撃隊が主題の演劇・映画『THE WINDS OF GOD』や、自身の出身地で撮影した初監督映画作品『SUPPINぶるうす ザ・ムービー』など。最終所属先はオスカープロモーション。
来歴
生い立ち〜自衛官
幼い頃から映画(特に洋画)やテレビドラマが好きだった。特に千葉真一の熱狂的なファンで[2][3][4][5][6]、テレビドラマ『キイハンター』に影響され、友達と『キイハンター』ごっこで遊ぶ時には千葉に扮していた。
兵庫県立豊岡高等学校卒業後、俳優になろうと志すが、俳優になりたいのであれば自活するよう自衛官の父に言われ、1980年4月陸上自衛隊に一般曹候補学生で入隊。同年12月滋賀県今津町の第3師団第3戦車大隊(今津駐屯地)に配属。上官に俳優になりたいため辞めたい旨を告げ、「自衛隊は俳優養成所ではないぞ」と叱られる[7]。1981年9月、陸士長で自己都合退官。1986年3月法政大学卒業[8]。
俳優として
1986年奈良橋陽子演出『MONKEY』にて演劇デビュー。1988年に特別攻撃隊が主題の演劇「リーインカーネーション」の初演、これは後に今井のライフワークともいえる『THE WINDS OF GOD』に発展していく。映画『静かな生活』のストーカー役で1996年日本アカデミー賞優秀助演男優賞受賞。当初奈良橋の主宰するアップスアカデミーに所属していたが、『THE WINDS OF GOD』のニューヨークオフ・ブロードウェイ公演が頓挫したことに端を発する事務所とのトラブルから独立。1997年、エル・カンパニーを立ち上げる[9]。1998年幾多のトラブルに見舞われながらも、オフ・オフ・ブロードウェイで公演、成功を収める[要出典]。
2008年2月1日、エグゼに移籍。エル・カンパニーは今井の著作権管理会社として存続する[9]。
2009年10月1日、オスカープロモーションに移籍[10]。
闘病〜死去
2014年末に腸閉塞のために体調を崩し医師から「余命3日」を宣告され緊急手術を行い、術後には回復した事をブログで報告[11]。
2015年4月21日、ブログにて、大腸癌のため、主演舞台『THE WINDS OF GOD』を降板することを発表[12]。同年4月30日には記者会見を開き、3月から入院中で、抗がん剤治療をしており、「ステージ4」の末期ガンであることを明かした[13]。長らく健康診断を受けていなかったこともあり、発見時には既に手の施しようのないほど病状が悪化していた。舞台そのものは降板したものの、新国立劇場公演千秋楽の5月5日にはステージに登壇し、舞台挨拶を行い復帰への思いを語った。[14]
しかし、その顔立ちや体からして明らかに痩せこけており、別人のような姿になっていた。その挨拶から23日後の5月28日午前3時5分、入院先の病院で家族に看取られながら死去した[15][16]。54歳没。通夜・葬儀は本人の意向から、地元にて近親者のみの密葬で行われた[17]。
今井の憧れで映画『THE WINDS OF GOD』でも共演している千葉真一は「無念という言葉がピッタリだ。いつも一緒に飯を食うと『俺たちが映画界を引っ張っていかないと』と話をしていた。あのくらい燃える若者が今いるのかな。俺は大好きだった」と偲んだ[4][5]。今井がファンだったアグネス・チャン[18]、演劇仲間の別所哲也と川平慈英[19]、舞台で共演し今井が慕っていた梅沢富美男[17]、ドラマの夫婦役で何度も共演した田中美奈子[5]、酒井法子[20]、病気で降板後の代役を務めた重松隆志[18]、ミッツマングローブ[18]、黒田アーサー[18]、ラサール石井[18]、武田梨奈[18]、坂上忍[21]、勝俣州和ら[22]、生前の多数の共演者や仕事での関係者からマスコミ、公式サイト、SNS、事務所を通しての声明などを通して、その死を悼むコメントが発表された。葬儀では生前の仕事での関係者から多数の献花がなされた[17]。
同年7月15日、映画『戦国自衛隊』の大ファンである今井が続編となるシナリオを約20年前に執筆していたことや、2001年には同作のプロデューサーである角川春樹と映画化の話も進んだが、角川の問題で頓挫していたことが明るみに出た[23]。
翌16日にお別れ会が都内でしめやかに営まれた[24]。祭壇はイメージカラーで大好きだった赤を基調にユリ・バラ・カーネーション・胡蝶蘭など計3,005本の花と、中心の遺影は舞台『THE WINDS OF GOD』の写真[25][26]。棺桶には靴、闘病中に届いた励ましの手紙、千羽鶴が納められた[25][26]。戒名は「雅風徹信居士(がふうてっしんこじ)」[25][26]。弔辞は千葉真一と奈良橋陽子が読み上げた[24][27]。千葉は、その熱い一面[24][26][27]、映画作りを「カブトムシ捕りと一緒だ」と例えていた様[24]、撮影時の在りし日の姿に思いを馳せ[24][26]、「ハリウッドで共演したかった[24][26][27]」と、その死に悔しさをにじませながら「(一緒に仕事できたことで千葉自身も)成長できた」と感謝を込めていた[24][26]。奈良橋は、今井が主演予定だった映画『手をつないでかえろうよ』は2016年5月の一周忌に全国を回れるよう頑張る[27]、「(今井が)書いたもの、演出したもの、魂はみんなの中に生き残る」と訴えていた[24]。同会には梅沢富美男、金山一彦、橋本マナミ、池谷幸雄、池谷直樹、大和田伸也、入江慎也、なだぎ武、酒井法子、マイケル富岡、麻丘めぐみ、井戸田潤、岩城滉一、アグネス・チャン、竹内力、宮川大輔、渡辺裕之、陣内智則、中居正広ら著名人・関係者600人が参列した[24][25]。
人物
身長178cm。スリーサイズはB102・W85・H99。空手道弐段、柔道初段。銃剣道初段[1]。
千葉真一[4][5][6]、アグネス・チャン[18]、の熱心なファンで[4][5][6][18]、自身のブログやテレビ番組で度々公言している[2][3]。
料理が得意。売れない時代にラ・ボエム1号店(原宿店)に7年間勤める。自衛官時代の癖で大声で客の注文を復唱し、店長の顰蹙を買い調理に回される[28]。
愛車は2014年春に納車されたばかりのジャガー・XJであった。
日本文化チャンネル桜の賛同者であり[29]、神社本庁や日本会議、靖国会館などでの講演会や神社新報でのインタビューなどで特攻隊を「武士道精神に溢れる」と語るなど、保守系文化人としての側面を見せるとともに、『THE WINDS OF GOD』公演の最後には涙ながらに「NO MORE WAR!」と叫ぶなど、反戦への意志も強い。
学生時代
大学受験時、入学した法政大学の他、青山学院大学文学部にも合格し、当時読売ジャイアンツの江川卓のファンだったこともあり、江川の出身校でもある法政大学を選択したが、入学して男子学生のあまりの多さに、当時の今井に華やかなキャンパスライフに映った青学を蹴って入学したことを後悔したこともあったという[30]。
大学生の時、自分の限界を知るために、様々な挑戦を行った[31][32]。なお、テントや寝袋を持たず、全て野宿である。
- 東京 - 大阪間のマラソン
- 1982年12月に東京 - 大阪間のマラソンを行った。冬にもかかわらず、野宿をした。一週間で完走することを目標にしていたが10日かかった。長時間、連日走っていたため、途中で足を痛めてしまったが、自衛隊時代の上司に「もし足が壊れたらどうやって治すか。走れば治る!」と言っていたのを思い出し、止まらず走ってみると、走っている最中だけではあるが本当に痛みが収まったという[要出典]。
- 奥多摩でサバイバル
- 東京 - 大阪間のマラソンの約半年後の1983年6月、奥多摩の山で塩とナイフだけで、一週間の野宿を行った。梅雨の時期ということもあり、食料が全くなかったため、木の根、蜘蛛、蟻、カエルを食べた。それだけでは当然空腹を満たすことは出来ず、あまりの空腹のため何度も腹痛が起こり、痛みに耐えられなくなり気絶した。ハイキングコースを歩いていた時、弁当が捨ててあったのを拾って食べた。その弁当のご飯はネバネバしていてカビも生えていたが、感動するほど美味しく、特に海老の天ぷらの尻尾は「この世にこんなうまいものがあるのか。」と思った。このサバイバルで、まともな物を毎日食べられるありがたさを身を以て知った。ちなみに、入山前に70kgあった体重は下山後58kgまで落ちたが、すぐに元の体重に戻った[要出典]。
- 真冬の北海道縦断
- それから3年後、自分の寒さに対する限界を知るために、1985年2月の北海道で稚内 - 函館を徒歩で横断することに挑戦した。4 - 5日不眠不休で歩き、吹雪に襲われることも多かった。途中で意識を失って行き倒れになったところを警察に助けられた。その後、何度も意識を失い幻覚を見ながらも函館に辿りつけた。最終的に10日かかった[要出典]。
- 真夏の本州縦断マラソン
- 1985年8月、青森 - 北九州(関門トンネルを抜けるまで)の本州縦断マラソンに挑戦した。この年は記録的な猛暑だったが、北海道の時のように、倒れても凍死することはないため気持ちは楽だったという[要出典]。
出演
演劇
映画
テレビドラマ
ラジオドラマ
オリジナルビデオ
- 愛の五億円ぶる~す(1991年)
- 東京魔悲夜(1995年) - 柴門
- GANGSTER 東京魔悲夜 外伝(1996年) - 柴門
- 新・悲しきヒットマン2(1997年) - 主演・刑事
- ザ・まむし 平成悪名伝(1997年) - 主演・飛車太郎
- ダブル極道 いてまえ!!(1998年) - 主演・飛車太郎
- 強奪(2000年) - 火野猛志
- 呪殺霊 黒猫の祟り(2000年)
- 実録・九州やくざ烈伝 兇健と呼ばれた男(2003年)
- 伝説のやくざ 最後の博徒(2003年)
- 起業士 天馬1・2(2004年) - 大沢仁志
- 西日本暴力地帯 実録・山陰抗争(2007年)全2作 - 主演・塩山組組員 角田拓郎
- 九州激動の1520日 新・誠への道(2009年) - 二代目雄仁会副理事長 二代目平塚組組長 石塚信之
- 暴力列島(2013年) - 主演・高寅組若頭 菊池組組長 菊池龍次
- 暴力列島2(2013年) - 主演・菊池組組長 菊池龍次
- 虎狼の大義1,2(2013年12月,2014年2月) - 平塚北警察署 捜査四課特別対策本部 刑事 村田ケンイチ
- 除籍 血濡れの怪文書(2014年1月) - 主演・七徳会幹部毛利組組長 毛利実康
- 首領の道10(2014年2月)- 僧
CM
- 第一生命「パスポート21」(1989年)
- 東芝「デジタル交換機」(1991年)
- 協和発酵「焼酎 大五郎」
- 三菱自動車工業「レグナム」「STツーリング誕生編」「ヴィエント誕生編」(1997年9月~1998年7月)
- 小林製薬「トイレその後に」(2006年)
- リブ・マックス第2弾「カミカミ編」、第3弾「カミカミ編2015」( - 2015年)[48]
- 死去後、2015年6月3日より放送が開始された「カミカミ編2015」では、今井の出演シーンに「今井雅之さん(所属事務所・御家族)の御意向もあり、追悼の意を込めて広告を続けております。」と記載されている。
バラエティ
- 英語でしゃべらナイト(NHK) - 自慢の英語で、映画『ターミナル』公開時に来日していたトム・ハンクスにインタビューをした。その際、「あなたの英語は素晴らしい」と褒められる。その後、スタジオにも出演。
- スタジオパークからこんにちは(NHK)
- 中居くん温泉シリーズ(1996年 - 1997年、読売テレビ) - メイン司会の中居正広(以下中居)とテレビ朝日のテレビドラマ「味いちもんめ」以来の久々の共演。中居の演技を絶賛し、「味 - 」撮影時に中居とつかみ合いのシーンの終了後、撮影終了しているにもかかわらず、すぐに手を離すことができずしばらくにらみ合ってしまい、ADが仲裁に入った等の話で盛り上がっていた。撮影現場の雰囲気はとてもよく、「パート157までいってほしい」と「味いちもんめ」を絶賛している[49]。
- ナカイの窓(2013年、日本テレビ) - 中居くん温泉同様、メイン司会の中居とテレビ朝日のテレビドラマ「味いちもんめ」に関するエピソード、スタジオでの他の出演者へのどっきりを仕掛けたりした。
- おしゃれカンケイ・おしゃれイズム(1999年・2006年他、日本テレビ)
- はなまるマーケット はなまるカフェ(TBS) - メイン司会の岡江久美子とともにテレビ朝日のテレビドラマ「味いちもんめ」の秘話・主演の中居とのエピソードと人柄を語った(岡江は「味いち」のレギュラー)。岡江は同作出演とはいえストーリー上、今井との共演シーンが少なく、中居と今井の確執について知らなかったため驚いていた。
- 笑っていいとも テレフォンショッキング(2005年他、フジテレビ) - 数回出演。そのうち1度セットの一部が倒れかけるハプニングがあり、スタッフといいとも青年隊とともにそのセットを元に戻す一幕があった。
- ライオンのごきげんよう(2012年他、フジテレビ)
- いきなり!黄金伝説。(2012年12月27日、テレビ朝日) 孤島での サバイバルチャレンジにチームで参加、番組用意のサバイバルキットを捨て、蛙や蜘蛛、蟻など を捕まえながらチャレンジ。
- 徹子の部屋(1997年、テレビ朝日)
- シルシルミシルさんデー(2014年、テレビ朝日) - 「気弱が強気をドッキリで襲撃」のコーナーにターゲットで出演。NON STYLE・石田明が仕掛け人として登場。
- 中居正広のミになる図書館(2015年3月10日、テレビ朝日) - かわいがっていた付き人の若手俳優・福島彰吾とともに出演。中居くん温泉、ナカイの窓同様、メイン司会の中居とテレビ朝日のテレビドラマ「味いちもんめ」に関するエピソードを語った。
- 現状打破TV(2013年、テレビ東京)
- ニッポン・ダンディ(TOKYO MX) - 木曜ダンディ
- バラいろダンディ(TOKYO MX) - 木曜ダンディ。バラエティでは生前最後の出演。
その他のテレビ番組
著書・参考文献
- ザ ウィンズ オブ ゴッド(1992年9月、桐原書店) - 奈良橋陽子と共著
- 特攻隊と戦後の僕ら 「ザ・ウインズ・オブ・ゴッド」の軌跡(1995年11月、岩波書店)
- 若いぼくらにできること - 体験的教育論(1997年5月、岩波書店)ISBN 4005002870
- Suppinぶるうす(1997年6月、角川書店)
- "カミカゼ"公演記in NY The winds of god(1999年4月、岩波書店)
脚注
注釈
出典
外部リンク
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2010年代 | |
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