三遊亭 遊雀(さんゆうてい ゆうじゃく)は、落語家の名跡。過去に6人ほど確認されている。
- 三遊亭遊雀 - 後∶二代目三遊亭圓遊
- 三遊亭遊雀 - 初代三遊亭圓遊門下。品川出身。遊太郎から、遊八を経て遊雀を名乗る。その他詳細は不明。
- 三遊亭遊雀 - 初代三遊亭圓遊門下。上州で亡くなった。詳細不明。
- 三遊亭遊雀 - 二代目三遊亭圓遊門下。柳亭左龍門人で左美龍から柳家小かね、圓遊門人となって遊雀となる。本名は川上 兼二郎。
- 三遊亭遊雀 - (? - 1930年10月24日):通称「道灌遊雀」。本名、鈴木 八三郎。初代三遊亭圓遊の弟子。出来る噺が『道灌』『天災』『元犬』の3つしかないが、その代わり『道灌』などを演じさせればどんな客でも飽きさせなかったという。遊雀が楽屋入りをすると、真っ先にネタ帳(楽屋に備え付けられている帳面で、同じ噺が2度出ないようにするために、演者とその日に演じたネタを書き記す)に目を通し、これら3つの噺を誰かがやっていることが分かると、高座には上がらずに割(給金)だけを貰って帰ってしまっていた。道灌遊雀のこの行為は寄席では半ば公認になっていた。1917年の連名には「余興紹介圓遊社主任」の肩書きで出ている。晩年は貸金業を営んでいたという。
- 三遊亭遊雀 - 本項にて詳述。
三遊亭 遊雀
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![三遊亭(さんゆうてい) 遊雀(ゆうじゃく)](//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/c/cf/Mon_Okochi_Takasaki.jpg/190px-Mon_Okochi_Takasaki.jpg) 三遊亭遊雀定紋「高崎扇」
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本名
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畠山 太郎
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生年月日
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(1965-01-28) 1965年1月28日(59歳)
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出身地
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日本・千葉県船橋市
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師匠
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三代目柳家権太楼 三遊亭小遊三
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弟子
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三遊亭遊かり
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名跡
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1. 柳家さん太 (1988年 - 1991年) 2. 柳家三太楼 (1991年 - 2006年) 3. 三遊亭遊雀 (2006年 - )
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出囃子
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粟餅
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活動期間
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1988年 -
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所属
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落語協会 (1988年 - 2006年) 落語芸術協会 (2006年 - ) ショーキャンプ有限会社 (マネジメント)
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受賞歴
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第5回「北とぴあ若手落語家競演会」北とぴあ大賞(1995年) 平成7年「NHK新人演芸大賞」落語部門大賞(1995年) 平成17年度彩の国落語大賞(2006年) 平成18年度国立演芸場主催「花形演芸大賞」金賞(2007年) 平成19年度国立演芸場主催「花形演芸大賞」大賞(2008年)
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三遊亭 遊雀(1965年1月28日 - )は、千葉県船橋市出身の落語家。本名∶畠山 太郎。落語芸術協会所属。出囃子は『粟餅』。
経歴
私立市川高等学校卒業。高校時代は陸上競技部に所属し、中長距離走をメインに競技する。その後、日本福祉大学に進学して中退。大学時代には落語研究会に所属し、地元の老人ホームなどで落語を披露していた。
1988年2月、落語協会の三代目柳家権太楼の下に入門。前座名は「さん太」。
1991年10月、二ツ目に昇進。「柳家三太楼」に改名。1995年に第5回「北とぴあ若手落語家競演会」北とぴあ大賞を受賞(演目:『反対俥』)、 平成7年「NHK新人演芸大賞」落語部門大賞を受賞(演目:『反対俥』)。
2001年9月に柳家禽太夫、三遊亭白鳥、林家きく姫、入船亭扇治、柳家一琴、橘家文左衛門、三遊亭萬窓、古今亭駿菊、金原亭馬遊と共に真打昇進。
2006年、平成17年度彩の国落語大賞を受賞(演目:『初天神』)。
同年10月、落語芸術協会の三遊亭小遊三門下に移籍。「遊雀」と改名[1]。移籍後の初高座は2006年10月24日、本多劇場「昇太ムードデラックス」、演目は「熊の皮」[2][3]。
2007年、平成18年度国立演芸場主催「花形演芸大賞」金賞を受賞。
2008年、平成19年度国立演芸場主催「花形演芸大賞」大賞を受賞。
芸歴
人物
著書
出演
TV
ラジオ
CD
- 笑う全日空寄席 1(2010年、日本コロムビア) ※『堪忍袋』を収録。
- ペタタン・タタン(2017年、SPICYHEAD RECORDS)※「お噺」を担当。[7]
DVD
CM
一門弟子
脚注
参考文献
外部リンク
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NHK新人演芸コンクール |
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NHK新人演芸大賞 |
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NHK新人お笑い大賞 |
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NHK新人落語大賞 |
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