ロベルト・カルロス
ロベルト・カルロス・ダ・シウバ・ローシャ (Roberto Carlos da Silva Rocha , 1973年 4月10日 - )は、ブラジル ・サンパウロ州 出身の元サッカー選手 、サッカー指導者。元ブラジル代表 。現役時代のポジションはディフェンダー (左サイドバック)、ミッドフィールダー (左ウイングバック)。身長168cm、体重70kg。
現役時代は世界最高の左サイドバックと各国のジャーナリストや、選手たちに賞賛される[2] と共に歴代最高の左サイドバックと評される1人であり、果敢な攻撃参加によりサイドバックの概念を変えた選手[3] 。1996年から2007年までスペイン1部リーグ のレアル・マドリード に所属し、「銀河系軍団 」と称されるスタープレーヤー軍団の一員として、黄金期を支えた。その強力なキックは悪魔の左足と呼ばれる。日本ではロベカル の愛称で親しまれている。
経歴
クラブ経歴
3人の姉を持つ末っ子として出生し、幼少期から父と共に働き貧しい家庭を支えた。自宅から20kmの距離にある繊維 工場 まで通うバス 代が払えなかったため、いつも走って通っていた。また、少年時代は家から学校までの距離が十数キロあったが、毎日走って通学していた。このような環境であったため、13歳までサッカーボールを蹴ったことすらなかった。 [要出典 ]
地元のクラブであるウニオン・サンジョアン でキャリアをスタートさせ、1993年にパルメイラス へ移籍。直ちに頭角を現しジーニョ やエバイール らと共に1993年、1994年のブラジル全国選手権 連覇に貢献した。
1995年の夏にイタリアのインテル へ移籍。開幕のヴィチェンツァ 戦でいきなり直接FKをたたき込み、リーグ2節のパルマ 戦でも浮き球で得点を決めるなど、個人とては好スタートを切ったが、監督がビアンキからロイ・ホジソン に代わると、本来の左サイドバックではなく、左サイドの中盤で起用され、持ち味を出せずに終わった[4] 。チームはリーグ7位に終わり、ホジソンは来期から左サイドの中盤にアレッサンドロ・ピストーネ を起用することを決めたため、放出されることとなった[4] 。
イタリアサッカーに順応できなかったロベルト・カルロスに対し、スペイン1部リーグレアル・マドリード のファビオ・カペッロ 監督が獲得を試み、レアル・マドリードに加入するように説得を行った[3] 。1996-97シーズンから、スペインのレアル・マドリードへ移籍。その際の移籍金はわずか360万ユーロであった[5] 。11シーズン在籍し、通算512試合出場65得点を記録、リーグ通算370試合出場46得点を左サイドバックのポジションで記録した。
UEFAチャンピオンズリーグ 1997-98 決勝では、ミヤトビッチ の決勝点に繋がる高速クロスを入れるなど優勝に貢献、UEFAチャンピオンズリーグ 2001-02 、バイエル・レバークーゼン 戦においては、決勝点となるジネディーヌ・ジダン のボレーシュートをアシストした。
2003年にフェルナンド・イエロ 、クロード・マケレレ という守備的な選手が移籍し、攻守のバランスが崩壊してからは彼の評価は無難なものになったが、それでも攻撃面では高いパフォーマンスを維持し続けた。2005年、ブラジル人FWロビーニョ の入団後はクラブのEU 外国籍の選手枠を空ける為にスペイン国籍 を取得した。更にアルフレッド・ディ・ステファノ を抜いてレアル・マドリードで最も多くの試合に出場した外国人選手となった。
フェネルバフチェ時代のロベルト・カルロス
2006年のドイツ・ワールドカップ 終了後にブラジル代表を引退。以降はクラブチームでの活動に専念している。2007年冬の移籍市場でマルセロ 、同夏の移籍市場でガブリエル・エインセ 、ロイストン・ドレンテ と左サイドバックでプレーできる選手が加入。入れ替わるように2007-08シーズンからは同郷のジーコ が監督を務めていたトルコ のフェネルバフチェ へ移籍し2年契約を結んだ。フェネルバフチェでの初試合でベシクタシュ を下し、トルコスーパーカップを獲得した。2007-08シーズン終盤で怪我をしてしまい、フェネルバフチェは、ガラタサライ との優勝争いから脱落してしまう[6] 。
2010年1月、ブラジルのコリンチャンス へ移籍し2年契約を結び、ブラジル代表やレアル・マドリードで共にプレーしたロナウド とチームメイトとなった。
2011年2月にコリンチャンスとの契約を解除し、ロシアのアンジ・マハチカラ に移籍した(2年半契約、年俸500万~650万ユーロ)[7] 。守備的MFでのポジションでプレーし、3月8日以降はキャプテンも任された。2011年9月、所属するFCアンジ・マハチカラの監督解任に伴い、選手兼任コーチに就任[8] 。2012年、現役引退を表明した[9] 。
代表経歴
ブラジル代表 には1992年2月26日に行われたアメリカ合衆国代表 との国際親善試合でデビューして以来、125試合出場24得点を記録した。また、ブラジル五輪代表として1996年のアトランタオリンピック にも出場して銅メダル獲得に貢献。日本においてマイアミの奇跡 と呼ばれている試合にもスターティングメンバーとして出場していた[10] 。
ブラジル代表でトレーニング中のロベルト・カルロス
1998 FIFAワールドカップ フランス大会では7試合全試合に出場した。2002 FIFAワールドカップ 南米予選ではパラグアイ代表 のゴールキーパーホセ・ルイス・チラベルト から顔に唾を吐きかけられた。チラベルトはこの件で国際サッカー連盟 から3試合出場停止処分を受けたが、この行為に至った経緯に人種差別発言があったことを示していた。本大会ではグループリーグのコスタリカ 戦を除く6試合に出場。グループリーグの中国 戦ではフリーキックから得点を決める等、ブラジルの5度目の世界制覇に貢献した(当時のフォーメーションは 3-5-2 でポジションはウイングバック)。
2006年のFIFAワールドカップドイツ大会 の準々決勝のフランス 戦の敗退を最後に代表から引退した。その後、コリンチャンスへ移籍した2010年1月、ヘジ・グローボ で2010年ワールドカップ への出場希望を述べた[11] 。
引退後
スィヴァススポルで指揮を執るロベルト・カルロス
引退した翌年の2013年6月、トルコリーグ のスィヴァススポル の監督に就任した[12] 。
スィヴァススポルでの1年目は5位と好成績を収めたが、2年目は降格圏に低迷し、2014年12月21日に辞任した[13] 。
2015年1月、トルコリーグのアクヒサル・ベレディイエスポル の監督に就任[14] 。同年7月にインド・スーパーリーグ のデリー・ディナモスFC で選手兼任監督として現役復帰することが発表された[15] 。2015年のシーズン終了後に退任。
2016年1月、同じインド・スーパーリーグのムンバイ・シティFC の監督就任も噂されたが[16] 、レアル・マドリードのアジア大使兼下部組織のコーチ、レアル・マドリードTVの解説者として約9年ぶりに古巣復帰を果たした[17] [18] 。
プレースタイル
filho do vento (風小僧)の異名を持つ快速を活かし[19] 、ラウル・ゴンサレス から「DFの仮面を被ったFWだ」と評された攻撃的サイドバック。レアル・マドリード時代の2005-06シーズンのフィットネステストで、当時32歳にして持久走のタイムがチームトップであり、100m走も10秒9と唯一の10秒台でトップであった。短距離、中距離、長距離のどの走力においてもトップレベルであることから、1人のスプリンターとして「究極のアスリート」と呼ばれることがある。
ドリブルやパスも非常に上手く、アウトサイドに引っ掛けたスライス系のシュートを得意としている[20] 。独特の長い助走から「悪魔の左足」と評される左足から繰り出す強烈なフリーキックを代名詞としており、時速140kmを超えるシュートは「凶器の弾丸」と呼ばれている[19] 。有名なゴールには1997年6月3日、トゥルノワ・ド・フランス (フランスW杯の前年に行われた仏独自のプレW杯親善大会で、仏、イングランド 、イタリア 、ブラジル が出場。現在はコンフェデ杯 がプレW杯公式大会)フランス 戦でのフリーキックなどが挙げられる。ゴール前約35mの地点から、長い助走から左足で放たれたシュートは、ボールが一旦右に行った後、左方向に鋭くカーブして、ゴールポストに当たり、入った。仏代表GKバルテズ は一歩も動けなかった。このフリーキックは秒速30m程度と推定され、回転数が少ないことからボールの中心近くからインステップ気味のアウトサイドキックで蹴ったものと思われる[21] 。フランスの物理学者たちは、まるで物理学を無視するかのようなこのフリーキックを一丸となって解明しようとし、2010年、遂に数学的に解明した(35m程度のゴールまでの十分な距離があることと十分な力でボールを蹴ること、この2条件を満たすことが出来れば、このらせん形の軌道を実現出来ると証明)[22] [23] 。
そのプレースタイルは、かつて3度FIFAワールドカップ に出場した元ブラジル代表 のブランコ に最も影響を受けたとされており、ロベルト・カルロス本人も歴代最高のサイドバックとしてブランコの名前を挙げている[2] 。
エピソード
ロベルト・カルロスという名前は、彼の父親が歌手のロベルト・カルロス (英語版 ) から拝借した。歌手のロベルトもその事には、大いに感謝している。
奔放な女性関係で知られ、最初の妻・アレクサンドラ元夫人との間には2子と養子1人を儲けている。2009年に再婚した理学療法士のマリアナ夫人との間にも2子を儲けているが、他にも関係を持った4人の女性との間に4人の子供がおり、養子を含めて計9人の子供がいることを明かしている[24] [25] 。
クラブ、代表で長年プレーしたロナウド とは大の親友同士であり、1998年のFIFAワールドカップ 大会中にロナウドが胃痙攣を起こして倒れた際にルームメイトだったロベルト・カルロスが通報したことが明かされている[26] 。
2005年6月24日、ブラジル南東部のベロオリゾンテ にて彼の乗った車が銃を持った2人組に襲われるというトラブルに見舞われた。その時彼は偶然にも携帯電話にて生放送のラジオ番組に出演中であり、彼の悲鳴や強盗が窓を叩く音が生中継された。
現役時代には引退後は競走馬 の育成をするのが夢だと語っていた。現在の副業はクラレンス・セードルフ と共同でのバイクチームの運営である。
プライベートでは福祉 活動にも精力的で、地元ブラジルのサンパウロ州 アララス市には彼の寄付で建てられた保育園 がある。
マドリード退団の際には非常に名残惜しそうにしており、その後もレアル・マドリードが望むのであれば無給で復帰すると話した[27] 。
スパイクは長らくアンブロ のスパイクを履くことが多かったが、World Stars 対 Iranian Starsのチャリティーマッチでは、ミズノ のモレリア を着用していたこともある。
2018年、日本フットサル連盟 の要請に応じて来日、大阪市中央体育館 で開催されたFリーグ(日本フットサルリーグ) の試合に出場した(9月8日のエキシビションマッチ、および9月9日の公式戦「Fリーグ選抜 対ヴォスクオーレ仙台 」の計2試合)[28] 。9日の公式戦への出場にあたってはFIFA およびJFA の正式な手続きでFリーグ選抜へ選手登録した。背番号は3。この試合でロベルト・カルロスは前半15分と後半10分にゴールを決め、2対1でのFリーグ選抜の勝利に貢献[29] 。特に2点目のゴールは浮き球のパスを右足のジャンピングボレーで決めたもので、本人も「(右足でのゴールは)26年間のキャリアでふたつ目」と語った[28] 。なおこの試合でロベルト・カルロスは、それまで甲斐修侍 が持っていたFリーグの歴代最年長試合出場、歴代最年長ゴールの記録を更新した(45歳と152日)[28] 。その後、最年長試合出場は金山友紀 により更新されたが、最年長ゴールの記録は2023年7月現在、まだ破られていない。
個人成績
サッカー
クラブ成績
クラブ
シーズン
国内リーグ
国内カップ
欧州カップ
通算
出場
得点
出場
得点
出場
得点
出場
得点
パルメイラス
1993
20
1
5
0
0
0
32
1
1994
24
2
3
0
6
1
33
3
1995
0
0
4
1
9
3
13
4
通算
44
3
12
1
15
4
78
8
インテル・ミラノ
1995-96
30
5
2
1
2
1
34
7
通算
30
5
2
1
2
1
34
7
レアル・マドリード
1996-97
37
5
5
0
0
0
42
5
1997-98
35
4
1
1
9
2
45
7
1998-99
35
5
4
0
8
0
47
5
1999-00
35
4
3
0
17
4
55
8
2000-01
36
5
0
0
14
4
50
9
2001-02
31
3
6
1
13
2
50
6
2002-03
37
5
1
0
15
1
53
6
2003-04
32
5
7
1
8
2
47
8
2004-05
34
3
2
0
10
1
46
4
2005-06
35
5
3
1
7
0
45
6
2006-07
23
3
1
0
8
0
32
3
通算
370
47
33
4
109
16
512
67
フェネルバフチェ
2007-08
22
2
3
0
9
0
34
2
2008-09
32
4
8
2
10
1
50
7
2009-10
11
0
0
0
8
1
19
1
通算
65
6
11
2
27
2
103
10
コリンチャンス
2010
35
1
0
0
8
0
57[30]
4[30]
2011
0
0
0
0
1
0
4[30]
1[30]
通算
35
1
0
0
9
0
61
5
アンジ・マハチカラ
2011-12
29
4
3
1
0
0
32
5
通算
29
4
3
1
0
0
32
5
デリー・ディナモス
2015
2
0
0
0
0
0
2
0
通算
2
0
0
0
0
0
2
0
総通算
573
66
61
9
162
23
820
102
代表成績
年度
出場
得点
1992
7
0
1993
5
0
1994
7
0
1995
13
1
1996
4
0
1997
18
2
1998
10
0
1999
13
2
2000
9
0
2001
7
1
2002
11
1
2003
5
1
2004
12
0
2005
9
3
2006
6
0
総通算
125
11
フットサル
タイトル
クラブ
パルメイラス
レアル・マドリード
フェネルバフチェSK
ブラジル代表
個人
メディア
2021年、レアル・マドリードTVのインタビューで話すロベルト・カルロス
アメリカのスポーツ用品メーカーであるナイキ のコマーシャルに出演している[31] [32] 。1998年、ロナウドやロマーリオと共に、1998年ワールドカップに向けた空港を舞台にしたナイキのコマーシャルに出演した[31] 。また、2002年ワールドカップ直前には、テリー・ギリアム 監督のナイキ広告キャンペーン「シークレット・トーナメント」(ブランド名「スコピオンKO」)に出演し、ロナウド、ティエリ・アンリ 、フランチェスコ・トッティ 、ロナウジーニョ、ルイス・フィーゴ 、中田英寿 と共演した。元選手のエリック・カントナ が審判として登場した[33] [34] 。
ペプシ のコマーシャルにも出演しており、2002年ワールドカップのペプシの広告では、デビッド・ベッカム 、ラウル・ゴンザレス 、ジャンルイジ・ブッフォン と共に相撲選手と対戦しています[35] 。
EAスポーツ のビデオゲームシリーズであるFIFA にも登場し、FIFA サッカー2003の表紙にマンチェスター・ユナイテッド のライアン・ギグス とユヴェントス のエドガー・ダーヴィッツ と共に選ばれた[36] 。 また、FIFA 15 のUltimate Team Legendsにも登場した[37] 。 2015年、KONAMI のビデオゲームシリーズであるPro Evolution Soccer 2016 の新たなmyClub Legendsの一人として登場した[38] 。
2016年、世界中の選手とコーチをつなぐソフトウェア「Ginga Scout」を立ち上げまし[39] た。 2018年4月、モロッコの2026 FIFAワールドカップ 招致を支援する大使に任命された[40] 。
2022年6月、ロナウジーニョと共にマイアミ で開催された、現役および引退選手を含む親善試合「The Beautiful Game by R10 and RC3」の共同司会を務めた。ロベルト・カルロスのチームは試合を12-10で勝利した[41] [42] 。2023年6月23日にはオーランド で再戦が行われたが、試合時間後に雨とピッチ侵入があったため約1時間で中止された[43] 。 2試合目はロナウジーニョのチームが4-3で勝利した。
脚注
^ a b 「世界一のサイドバック」とは? ロベルト・カルロスが選ぶ歴代ベスト5 livedoorスポーツ、2011年2月7日
^ a b ロベルト・カルロス 歴史を変えた'98年の優勝 NumberWeb、2010年12月1日
^ a b “Roberto Carlos l'uomo proiettile il leggendario terzino sinistro del Real Madrid e del Brasile ”. GOAL (2023年4月10日). 2023年9月4日 閲覧。
^ 【クラシコ特別企画】ジダン、ロべカル、モドリッチ、ロナウド…現地記者が選ぶレアル・マドリー最強ベストイレブンは… Goal、2018年10月26日
^ Fenerbahce´s Carlos set to miss rest of season soccerway.com、2008年4月17日
^ “ロシアのアンジ、ロベルト・カルロスの獲得を発表 ”. スポーツナビ (2011年2月17日). 2011年2月19日 閲覧。
^ Coaches and staff アンジ・マハチカラ公式
^ rカルロス現役引退を表明 goal.com
^ Olympic Football Tournaments Atlanta 1996 - Men Archived 2014年2月22日, at the Wayback Machine . FIFA.com、2013年6月3日
^ “Roberto Carlos still wants to play at World Cup ”. fox soccer.com (2010年1月10日). 2010年3月21日 閲覧。
^ Roberto Carlos takes charge at Sivasspor FIFA.com、2013年6月3日
^ ロベルト・カルロス、トルコのシバススポル監督を辞任 Goal、2014年12月22日
^ R・カルロス氏、再びトルコで指揮官に Goal、2015年1月3日
^ ベッカムが、ジダンが、ロナウドが祝福!ロベカルがインドで現役復帰 ゲキサカ、2015年7月10日
^ レアルVSインド!ロベルト・カルロス争奪戦勃発か? Qoly、2016年1月21日
^ ロベルト・カルロス氏がマドリーに復帰へ だがトップチーム入りはジダンが望まず? Goal、2016年1月22日
^ ロベルト・カルロス氏、古巣レアルの監督を希望も「今は望まれていない」 フットボールチャンネル、2016年10月13日
^ a b 『ベッカムのボールはなぜ曲がるのか?』、技術評論社、2005年、31頁
^ 『技術力 サッカー 世界のスタープレーヤー』、出版芸術社、2005年、160頁
^ 『ベッカムのボールはなぜ曲がるのか?』、技術評論社、2005年、164頁
^ 伝説のFKゴール、軌道を数学的に解明(動画)-livedoorスポーツ2010年9月7日
^ スピンしたボールのらせん軌道の数式(ロベルト・カルロスの伝説のFK数式は4. Application to sportsにある)-新物理学ジャーナル2010年9月2日
^ 元ブラジル代表R・カルロス「6、7人の女性との間に8人の子供がいる」 SoccerKING、2014年2月14日
^ ロベカル、9人目の子供を授かる Qoly、2017年7月11日
^ ロナウドとロベカルがボーイズラブ!? 日刊スポーツ、2015年1月26日
^ “ロベルト・カルロス 無給でレアル・マドリード復帰を望む ”. AFP BB News (2009年10月8日). 2010年3月21日 閲覧。
^ a b c ロベカルがプレゼントした一時的熱狂。Fリーグは無策で無駄にするな web Sportiva、2018年9月12日
^ Fリーグ公式サイトの試合記録
^ a b c d カンピオナート・パウリスタ の試合を含む。
^ a b Jackson, Steven J. (2004年11月10日). Sport, Culture and Advertising: Identities, Commodities and the Politics of Representation . Routledge. p. 186 . ISBN 9780415339926 . https://archive.org/details/sportscultureadv00jack
^ “Nike and Maven Networks Introduce JogaTV” . Nikego (Nike). (2006年4月17日). オリジナル の2013年1月30日時点におけるアーカイブ。. https://archive.today/20130130024001/http://nikego.com/media/pr/2006/04/17_jogaTV.html 2012年7月21日 閲覧。
^ “A lighter shoe, cooler kits, a faster ball, a Secret Tournament – every touch counts” . NikeBiz (Nike). オリジナル の2002年6月2日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20020602055510/http://www.nikebiz.com/story/stry_scorpion.shtml 2012年7月21日 閲覧。
^ Cozens, Claire (2002年4月3日). “Cantona hosts World Cup with a difference” . The Guardian . https://www.theguardian.com/media/2002/apr/03/advertising.worldcupfootball2002?INTCMP=ILCNETTXT3487 2012年7月21日 閲覧。
^ "Millions riding on injured England captain mean he is still a crock of gold" . The Telegraph. Retrieved 6 February 2015
^ “FIFA 2003 release date announced ”. ESPN (2002年10月25日). 2015年2月18日 閲覧。
^ “FIFA 15 Player Ratings – FIFA Ultimate Team Legends ”. EA Sports.com (2015年9月10日). 2015年3月17日 閲覧。
^ “Legends Coming to myClub in PES 2016 ”. IGN (2015年12月9日). 2015年12月10日 閲覧。
^ “Legends Coming to myClub in PES 2016 ”. RBS (2014年11月16日). 2015年12月10日 閲覧。
^ “Brazilian Legend Roberto Carlos to Represent Morocco's 2026 World Cup Bid” . https://www.moroccoworldnews.com/2018/04/244457/roberto-carlos-moroccos-2026-world-cup-bid/
^ Swan, Rob (2022年6月19日). “Team Ronaldinho vs Team Roberto Carlos was an absolute goal-fest ” (英語). GiveMeSport . 2023年5月14日 閲覧。
^ “Team Ronaldinho Vs Team Roberto Carlos Was A Legendary Spectacle ” (英語). SPORTbible (2022年6月19日). 2023年5月14日 閲覧。
^ Citro, Michael (2023年6月23日). “The Beautiful Game Provided an Evening of Fun Soccer Until Pitch Invaders and Rain Halted the Proceedings ” (英語). themaneland.com . 2023年6月24日 閲覧。
外部リンク
タイトル・受賞歴
2000年代
05: ガブリエウ , ルガーノ , ガマーラ , グスタヴォ
06: ソウザ , ファボン , ファビアーノ , マルセロ
07: レオナルド , ブレーノ , ミランダ , クレーベル
08: レオナルド , チアゴ , ミランダ , ジュアン
09: ジョナタン , アンドレ , ミランダ , ジュリオ
2010年代
10: マリアーノ , デデ , ミランダ , ロベルト・カルロス
11: ファグネル , デデ , レーヴェル , ブルーノ
12: マルコス , レオナルド , レーヴェル , カルリーニョス
13: マルコス , デデ , マノエウ , アレックス
14: マルコス , デデ , ジウ , エジージオ
15: マルコス , ジウ , ジェメルソン , サントス
16: ジェアン , ミナ , ジェロメウ , ジョルジ
17: ファグネル , ジェロメウ , バルブエナ , ギリェルミ・アラーナ
18: マイキ , ジェロメウ , クエスタ , ヘネ
19: ラフィーニャ , ロドリゴ・カイオ , マリ , フィリペ・ルイス
2020年代
MVP - 得点王 - 監督賞 - ベスト11(GK - DF - MF - FW )
1970年代
70: モンテイロ , ブリット , レジェス , エヴェラウド
71: モンテイロ , ペスクマ , ヴァントゥール , カルリンド
72: アラーニャ , フィゲロア , ベット・バカマルテ , マリーニョ・シャガス
73: ゼ・マリア , アンチェッタ , モスタルダ , マリーニョ・シャガス
74: ロロ , フィゲロア , ミゲウ , ヴラジミール
75: ネリーニョ , フィゲロア , アマラウ , マルコ・アントニオ
76: ペリバウド , フィゲロア , フスコン , ヴラジミール
77: ゼ・マリア , オスカル , ポロッジ , マルコ・アントニオ
78: ロゼミーロ , ロンジネッリ , デオドロ , オジルレイ
79: ネリーニョ , オスマール , マウロ・ガウボン , ペドリーニョ
1980年代
80: ネリーニョ , ジョアンジーニョ , ルイジーニョ , ジュニオール
81: ペリヴァウド , モイゼース , ダリオ・ペレイラ , マリーニョ・シャガス
82: レアンドロ , フォンセカ , エジーニョ , ヴラジミール
83: ネリーニョ , マルシオ・ロッシーニ , ダリオ・ペレイラ , ジュニオール
84: エジソン・ボアロ , イヴァン , ウーゴ・デレオン , ジュニオール
85: L.C.ヴィンク , レアンドロ , マウロ・ガウボン , バビ
86: アウフィネッテ , リカルド・ローシャ , ダリオ・ペレイラ , ネウシーニョ
87: L.C.ヴィンク , アロイージオ , ルイジーニョ , マジーニョ
88: アウフィネッテ , アギレガライ , ルイス・ペレイラ , マジーニョ
89: バル , リカルド・ローシャ , パウロ・セルジオ , マジーニョ
1990年代
90: ジウダージオ・バイアーノ , アジウソン , マルセロ・ジアン , ビロ=ビロ
91: ジウダージオ・バイアーノ , マルシオ・サントス , リカルド・ローシャ , レオナルド
92: カフー , アイウトン , アレクシャンドレ・トーレス , ヴァウベル
93: カフー , リカルド・ローシャ , アントニオ・カルロス , ロベルト・カルロス
94: パヴォン , クレーベル , G.ルイス , ロベルト・カルロス
95: ゼ・マリア , ガマーラ , アンドレイ , マルコス・アドリアーノ
96: アウベルト , ガマーラ , アジウソン , ゼ・ロベルト
97: ゼ・カルロス , マウロ・ガウボン , ジュニオール・バイアーノ , デデ
98: アルセ , ガマーラ , マルセロ・ジアン , ジュニオール
99: ブルーノ , ロッキ・ジュニオール , クラウディオ・カサッパ , レアンドロ
2000年代
00: アルセ , ルシオ , クリス , ソリン
01: アルセ , グスタヴォ , ダニエウ , レオ
02: マンシーニ , アレックス , ファビオ・ルシアーノ , アチルソン
03: マウリーニョ , アレックス , ファボン , レオ
04: パウロ・バイエル , ルガーノ , ロドリゴ , レオ
05: シシーニョ , ルガーノ , ガマーラ , ジャジウソン
06: イウシーニョ , インジオ , ファボン , クレーベル
07: レオナルド・モウラ , チアゴ・シウヴァ , ブレーノ , クレーベル
08: ヴィトール , アンドレ・ディアス , ミランダ , ジュアン
09: ジョナタン , ミランダ , アンドレ・ディアス , クレーベル
2010年代
10: マリアーノ , アレックス・シウバ , シコン , ロベルト・カルロス
11: マリオ・フェルナンデス , デデ , パウロ・アンドレ , ジュニーニョ
12: マルコス・ローシャ , レオナルド・シウヴァ , レーヴェル , カルリーニョス
13: マイキ , デデ , ホドリゴ , アレックス・テレス
14: マルコス・ローシャ , ジウ , ラファエウ・トロイ , ゼ・ロベルト
15: ハファエウ・ガリャルド , ジェロメウ , ジウ , ドウグラス・サントス
16: ジェアン , ジェロメウ , レーヴェル , ファビオ・サントス
17: ファグネル , ジェロメウ , バルブエナ , チアゴ・カルレット
18: マイキ , ジェロメウ , クエスタ , ヘネ
19: ラフィーニャ , ゴメス , ベリッシモ , ジョルジ
2020年代
20: イスラ , ゴメス , アロンソ , ギリェルミ・アラーナ
21: マリアーノ , アロンソ , オルチス , ギリェルミ・アラーナ
22: マルコス・ローシャ , ゴメス , ムリロ , ピケレス
23: マイキ , ムリロ , アドリエウソン , ピケレス
ボーラ・ジ・オーロ - ボーラ・ジ・プラッタ(GK - DF - MF - FW )