アウダイール・サントス・ド・ナシメント(Aldair Santos do Nascimento, 1965年11月30日 - )は、ブラジル・バイーア州イリェウス出身の元同国代表サッカー選手。ポジションはディフェンダー。
経歴
16歳でCRヴァスコ・ダ・ガマのトライアウトを受けたが、不合格となった[2]。一度はサッカーを諦めたが、CRフラメンゴのユースチームに入団[2]。1986年、フラメンゴでデビュー。1989年にはベンフィカへ移籍、UEFAチャンピオンズカップでは決勝に進んだがACミランに惜敗した。しかしミランのエースであるマルコ・ファンバステンをよく押さえたことに加え、ベンフィカのゴラン・エリクソン監督の勧めもあり[3]、翌年セリエA・ASローマへ移籍、守備の要としてチームを牽引した。
アベル・バルボの退団に伴いローマのキャプテンに任命され[3]、フランチェスコ・トッティに継ぐまでの間キャプテンを務めた[2]。1999年にはインテルへの移籍に傾いていたが、会長と話し合いと、ファビオ・カペッロ新監督が就任することにより残留した[2]。2000-01シーズンにセリエA優勝を果たした[3]。ローマでは2013年までアウダイールの背番号6が欠番になっていた(ケヴィン・ストロートマンの加入時、アウダイールの申し出により6番が欠番でなくなった。)[3]。
2002-2003シーズン終了後、ジェノアCFCへ移籍。1シーズンプレーし、現役を引退した。その後はビーチサッカーの選手としてプレーしていたが、2007年7月にサンマリノのSSムラタで現役復帰を果たした。2009年に再び引退。
ブラジル代表として3度のFIFAワールドカップに出場し、1994年のアメリカW杯では、DF陣に怪我人が相次いだことによりレギュラーを務めて優勝に貢献した[4]。1998年のフランスW杯では準優勝に貢献した[3]。
また、1996年のアトランタオリンピックにはオーバーエイジ枠でブラジル五輪代表として出場。「マイアミの奇跡」と呼ばれた日本戦でもプレーした。この試合において路木龍次があげたクロスに対応しようとしてGKのジーダと交錯する連携ミスから、こぼれたボールを伊東輝悦に押し込まれた[5]
その他
田中マルクス闘莉王は、エレガントなプレーをする凄いセンターバックであると評し、憧れを口にした[6]。
タファレルはアウダイールについて、「技術が高く、常に冷静なプレー振りであった。」と評価した[7]。
出典
関連項目
外部リンク
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