バンド ロゴ
ラモーンズ (英語 : Ramones )は、アメリカ合衆国 のパンク・ロック・バンド。ニューヨーク州 ニューヨーク市 で1974年 に結成された。ニューヨーク・パンク の重要バンドの一つで、後のパンク・ムーブメントに大きな影響を及ぼした。
2002年 『ロックの殿堂 』入り[ 4] 。ローリング・ストーン 誌が選ぶ「歴史上最も偉大な100組のアーティスト」第26位[ 5] 。
概要
ノルウェー・オスロ公演 (1980年8月)
1976年 以降のロンドン・パンク ・ムーブメントに大きな影響を与え、アメリカ合衆国よりイギリス で評価が高いバンドである[要出典 ] 。南米でも人気があり、アメリカでは主にライヴハウスばかりだが、アルゼンチンでは6万人弱を収容するエル・モヌメンタル でライブした。また、今まで誰も公演を行ったことの無かった地域にも積極的に出向き、以降そこにバンドが生まれるということもあったという[ 6] 。
デビュー作から3作目までのアルバムは、ロック史上に残る重要なアルバムと評価されている。1979年に発表した5作目のスタジオ・アルバム『エンド・オブ・ザ・センチュリー』(フィル・スペクター がプロデュースを担当した)はバンド史上最大のヒットアルバムとなり、2012年 に至っても大リーグ の試合でこのアルバムの曲が演奏されるなど、アメリカ人 に深く浸透している。
メンバー全員ラモーン (Ramone) の姓を名乗っているが、メンバー間に血縁関係はない。これは、ポール・マッカートニー がビートルズ の前身シルヴァー・ビートルズ時代に使っていた芸名「Paul Ramon」にちなみ、ディー・ディー・ラモーンが名付けた[ 7] 。
デビューから解散まで基本的なスタイルは変わらず、ビートルズ やビーチ・ボーイズ の影響を強く受けた音楽性、単純明快でストレート、キャッチーなメロディで、歌詞の内容も挑発的内容からラブソングまでバラエティに富み、コードは3〜4つのみ、ダウンストローク一辺倒のハードなディストーションを利かせたギター、リズムは8ビートが中心、スピーディーな2分前後の曲がほとんどだが、中期以降になると、ギターソロ・パートの導入、エレクトーンやシンセサイザーなどのキーボードや、アコースティック・ギター、クリーントーンのギター・サウンドを活用してみたり、コーラスワークを多用する等、サウンドにバリエーションが加わり、曲の長さも3分や4分を超える楽曲が出てくるようになった。ビジュアル的にはライダースジャケットと破けたジーンズ、ジョニーの愛用ギターのモズライト 、ディー・ディーとC・Jが使用したフェンダー・プレシジョン・ベース というトレードマークも最後まで変わらなかった。
影響
2001年 のMTVミュージック・アウォーズの壇上で、U2 のボノ はマーキー・ラモーンに「もしラモーンズが存在しなかったら、U2も存在しなかっただろう」と発言して敬意を表した。その後ボノとマーキーは何度もステージで共演している。マーキー・ラモーンはほかにエルヴィス・プレスリー の娘リサ・マリー・プレスリー とも親しい。ラモーンズのリスペクトパーティにはショーン・レノン も出席した。
歴代メンバー
ジョーイ・ラモーン(Vo) 1987年
ジョニー・ラモーン(G) 1977年
ディー・ディー・ラモーン(B) 1977年
C・J・ラモーン(B) 1991年
トミー・ラモーン(Ds) 2008年
来歴
ディスコグラフィー
アルバム
スタジオ・アルバム
ベスト・アルバム
ライブ・アルバム
サウンドトラック
1979年 - Rock 'n' Roll Highschool
DVD
2005年 - RAMONES : RAW /2004
2005年 - WEIRD TALES OF THE RAMONES
2007年 - イッツ・アライブ1974-1996
映画出演
来日
1980年
初来日。NHKホール および西武劇場(現在はPARCO劇場 )、京都会館 別館でライブを行い、NHK 『レッツゴーヤング 』にも出演した。競演したシーナ&ザ・ロケッツ は彼らのサウンドに惚れこみ、同じアンプを買い求めるほど影響を受ける。その後も鮎川誠 の自宅にジョーイが招かれたり、シーナ&ザ・ロケッツとしてマーキーと共演したりするなど、親交を続けている。のちに芥川賞 作家となるミュージシャンの町田康 も、同じ年に共演している。
6月27・28日(1日2回公演)・29日 東京 西部劇場
7月1日 名古屋 雲竜会館
7月2日 京都 京都会館別館ホール(1日2回公演)
7月3日 大阪 スタジオあひる(1日2回公演)
7月4日 福岡 大博多ホール
1988年
10月24日 東京 中野サンプラザホール
10月25日 東京 中野サンプラザホール
10月26日 神戸 フィッシュダンス・ホール
10月27日 大阪 御堂会館
10月28日 東京 MZA有明
1990年
9月3日 大阪 モーダ・ホール
9月4日 名古屋 クラブ・クアトロ
9月5日 川崎 クラブ・チッタ
9月6日 川崎 クラブ・チッタ
9月8日 名古屋 クラブ・クアトロ
9月9日 名古屋 クラブ・クアトロ
9月10日 大阪 モーダ・ホール
9月11日 大阪 モーダ・ホール
9月13日 川崎 クラブ・チッタ
9月14日 川崎 クラブ・チッタ
9月15日 川崎 クラブ・チッタ
9月16日 川崎 クラブ・チッタ
1991年
川崎クラブチッタ(現在はCLUB CITTA' )とMZA有明(現在はディファ有明 )での公演であったがMZA有明が経営不振により閉店してしまったため「浅草常盤座 (現在は浅草ROX )」で代替公演が行われた。
2月5日 川崎 クラブ・チッタ
2月6日 東京 浅草常盤座
2月7日 東京 浅草常盤座
1993年
1月9日 東京 中野サンプラザ・ホール
1月10日 川崎 クラブ・チッタ
1月11日 東京 メルパルク・ホール
1月12日 東京 メルパルク・ホール
1月14日 名古屋 ダイアモンド・ホール
1月15日 名古屋 ダイアモンド・ホール
1月17日 大阪 IMPホール
1月18日 大阪 IMPホール
1994年
2月2日 川崎 クラブ・チッタ
2月3日 川崎 クラブ・チッタ
2月5日 福岡 つくし会館
2月6日 大阪 IMPホール
2月7日 名古屋 ダイアモンド・ホール
2月9日 川崎 クラブ・チッタ
2月10日 川崎 クラブ・チッタ
2月11日 川崎 クラブ・チッタ
1995年
ラストツアー。
10月16日 東京 中野サンプラザ・ホール
10月17日 東京 中野サンプラザ・ホール
10月18日 川崎 クラブ・チッタ
10月20日 福岡 クロッシング・ホール
10月22日 松本 社会文化会館
10月23日 川崎 クラブ・チッタ
10月25日 札幌 ザナドゥ
10月27日 名古屋 ダイアモンド・ホール
10月28日 川崎 クラブ・チッタ
10月29日 川崎 クラブ・チッタ
11月1日 大阪 IMPホール
11月2日 大阪 IMPホール
ドキュメンタリー映画
2003年 に公開された映画『END OF THE CENTURY』はラモーンズの初めてのドキュメンタリー映画であり、バンドに関った多くの人々の証言をもとに、ラモーンズの光と陰を記録している[ 11] 。ジョニー・ラモーンはこの映画について「ぼくたちの重くて暗い側面を表現している」と語った。
この映画は2003年のスラムダンス映画祭で約2,800作品の中からコンペ部門の28本に選出され、『ザ・デクライン』の監督ペネロープ・スフィーリスの紹介によって上映され、ベスト・ドキュメンタリー賞にノミネートされた。同年5月のロサンゼルス・プレミア上映では、レッド・ホット・チリ・ペッパーズ やグリーン・デイ などの有名アーティストが多数出演した。トロント国際映画祭、ベルリン国際映画祭の上映は、メディアで大絶賛された。日本では2004年11月、シネセゾン渋谷で夜間のみの上映を行ったが、昼間の上映も追加するヒットとなった。
DVD化されたパッケージでは、メンバーおよび、ロブ・ゾンビ 、エディ・ヴェダー 、デボラ・ハリー 、メタリカ 、レッド・ホット・チリ・ペッパーズ、ランシド のインタビューが収録されている。
脚注
外部リンク
ウィキメディア・コモンズには、
ラモーンズ に関連するカテゴリがあります。
スタジオ・アルバム ライヴ・アルバム コンピレーション・アルバム 主な楽曲 関連項目