マウスコンピューターの修理拠点は歴史的に春日部市とその周辺にあり(当初は春日部市、後に北葛飾郡杉戸町)、現在も「埼玉サービスセンター」(春日部市)として所在する[24]。サービスセンターには修理情報を収集する「修理技術グループ」や修理を行う「修理作業グループ」(約50人)、連絡業務を行う「修理連絡グループ」などが存在し、「修理作業グループ」は勤続10年以上のベテラン技術者が多いようである。修理は受付・診断・修理・品質検査・出荷の5段階で行われる。まず顧客からパソコンが送られてくると、添付品の確認や写真撮影を行い、「RPFA」(Repair Force Automation) と呼ばれるデータベースに入力する。このデータベースは沖縄のコールセンターとも連動しており、サービスセンターでも顧客の問い合わせ状況を把握できるようになっている。次に診断技術者がパソコンをLANに接続して診断用のプログラムでコンピュータウイルスをチェックしたり、部品単位で動作確認を行ったりする。合計27項目の診断を行い、必要に応じて「修理連絡グループ」が顧客に対して問い合わせも行う。故障箇所を特定したら、修理技術者が修理を行う。最後にQC技術者が18項目を確認して品質を確かめてから、顧客に返却する。2012年現在、到着後24時間以内の修理比率は約2割で、これを5割以上にするために体制の見直しを行っているという。なお故障内容の7割は電源まわりだと言う[24]。
マウスコンピューターは当時19歳だった髙島勇二が、祖父の代から続く「高島屋衣類店」の経営危機を乗り切るために[13]、パソコン通信を使ったパソコンの製造販売を始めたことに始まる。ちょうどその頃、日本ではDOS/Vが普及し、デルや秋葉原の「DOS/Vショップ」がBTOパソコンを販売し始めていた。1995年にMicrosoft Windows 95が発売されると、パソコンはヒット商品となり、日経トレンディの番付にも登場した。髙島は3時間しか眠らずに無休でパソコンの組立や顧客対応に追われた[8]。