1842年、フランス幹線鉄道建設法(Loi relative à l'établissement des grandes lignes de chemin de fer en France)が制定され、これ以降、政府の後押しを得て、鉄道建設の動きが加速した。その仕組みとしては官民協働による独自の形態で、政府が用地の購入と基礎構造物(構造物、建造物)の建設費の補助を行った上で、上部構造物(レール、駅などの施設)と車両を製作した会社に対して、路線の独占契約を認めた。この法律で定めた計画路線は、パリを中心とした放射状路線7本と地方間路線2本であり、制定者の名をとって「ルグランの星」« étoile de Legrand »とも呼ばれた。この鉄道網の大枠は1860年代までに完成し、現在に至るまで、フランスの鉄道網の幹線となっている。これ以降は、幹線網から外れた地方をカバーする支線の建設が進められた。
これらのほか、地方にはローカル線を運営する中小の私鉄が存在した。1865年には軽便鉄道に対する補助制度が発足している。1878年にはフランス西部の私鉄数社が国有化されて国有鉄道(Chemin de fer de l'Étatが設立された。さらに1909年には国有鉄道は経営破綻した西部鉄道を吸収し6大鉄道網の一つに拡大した。
自動車の普及は、1930年代から鉄道に影響を与えた。特に狭軌の路線は道路との競争に敗れて廃止されていった。多くの鉄道事業者が経営困難に直面した。1938年、社会主義政権が幹線鉄道をすべて国有化し、政府が最大出資者で職員は公務員の身分である公営企業の形態によるSNCF(Société Nationale des Chemins de fer Francais)を創設した。
欧州連合の規定の影響により、1990年代後半以降、鉄道事業の改革が行われている。列車の運行と施設管理を分離する機構改革として(上下分離方式)、1997年には、路線の施設管理事業を新設のフランス鉄道線路事業公社(RFF、Réseau Ferré de France)が所管することとし、鉄道事業会計の長期債務もSNCF本体からRFFに移管された。