1917年の新聞から
タイガー・ラグ
現代の演奏(U.S. Coast Guard Band)による"At the Jazz Band Ball"
"Dixieland Jass Band One-Step"
1918年のオリジナル・ディキシーランド・ジャズ・バンドの宣材。左から、トニー・スバルバロ(ドラム、別名トニー・スパーゴ)、エドウィン・"ダディ"・エドワーズ(トロンボーン)、ラロッカ(コルネット)、ローレンス・"ラリー"・シールズ(クラリネット)、ヘンリー・ラガス(ピアノ)
ニック・ラロッカ (Nick LaRocca 、1889年 4月11日 - 1961年 2月22日 )は、アメリカ合衆国 のジャズ 創成期のコルネット 奏者・トランペッター でオリジナル・ディキシーランド・ジャズ・バンド のバンドリーダー 。
彼は史上最も多く録音されたジャズのクラシック・ナンバーの一つである「タイガー・ラグ 」の作曲家である[1] 。また、一般に初めて録音を残したジャズ・バンドと考えられているバンド、つまり1917年に最初のジャズのレコード「Livery Stable Blues」[2] を録音してリリースしたバンドの一員を務めた。
成功まで
ルイジアナ州 ニューオーリンズ の貧乏なシチリア 移民の息子として生まれる。父はサラパルータ 村のジローラモ・ラロッカ、母はポジオレアーレ村のヴィタ・デ・ニーナ。父は立派な職業についてほしいと願ったが、幼いニックは街のブラスバンド に夢中で、ひそかにコルネット を独学で覚えた。はじめは電気技師 として働き、演奏は副業だった。
1910年から1916年にかけては、パパ・ジャック・レイン のバンドの構成員を務めた。レイン・バンドの演奏家たちの中でも名手であったり創造性があるメンバーであるとは考えられていなかったが、同じ日に続けていくつもギグ に演奏参加することができ、また長いパレード を休むことなく演奏できる強力な唇によって、堅実なリードを演奏したことで高く評価された。
1916年、ジョニー・ステインのバンドに加入し、当時のあこがれの大都市シカゴ で演奏することになる。このバンドがオリジナル・ディキシーランド・ジャズ・バンド となり、1917年 にニューヨーク で歴史上初となる商業的ジャズ録音の数々を発表した。それらはヒットとなり、彼らは有名人になった。
成功の後
すぐにニューオーリンズ の他のバンド が追いかけるようにニューヨーク で演奏し始めたが、ラロッカは競争を嫌がった。トランペッター のフランク・クリスチャンは「ラロッカから200ドルと帰りの汽車の切符を渡されたよ」と回想している。ニューオーリンズ出身のアルサイド・ヌニェス、トム・ブラウン (トロンボーン)、ラグベイビー・スティーヴンス(ドラム)からなるバンドがこの戦いに勝つと、ラグベイビーのドラム・セットは何者かにより破壊された。
ラロッカはバンドを率いてイングランドやアメリカをツアーしていったが、1920年代 初頭に神経衰弱 となってニューオリンズに帰還。音楽をやめて、建設の請負業を始めた。
バンドには10代のトランペッター、ヘンリー・レヴァインが加入。レヴァインは後にNBC のラジオ番組『The Chamber Music Society of Lower Basin Street』のハウスバンドで活動した。
1936年、ラロッカは、後に成功を呼ぶこととなるツアーと録音のためにオリジナル・ディキシーランド・ジャズ・バンドを再結成した。ラロッカは「スウィング 音楽の発明者は自分たちだ」と主張した。
彼らはニュース映画 シリーズ『The March of Time』の1937年劇場公開作『Birth of Swing』で「タイガー・ラグ 」を演奏した[3] 。
1937年に内輪もめでバンドはまたしても解散。ラロッカは引退し、1961年に故郷のニューオーリンズで亡くなった。
主な作品(バンド含む)
ジャズ・ミー・ブルース
「タイガー・ラグ 」 - "Tiger Rag" (作曲 : ニック・ラロッカ、エディ・エドワーズ、ヘンリー・ラガス、トニー・スバーバロ、ラリー・シールズ) : 1917年作。1942年までに136回カバーされた。 [要出典 ]
1930年にオーケー・レコード から、そして1934年にブランスウィック・レコードから78回転シングルを発表したルイ・アームストロング をはじめ、ベニー・グッドマン と彼のオーケストラ、フランク・シナトラ 、デューク・エリントン と彼の有名なオーケストラ、エドワード・"キッド"・オリーと彼のクレオール・ジャズ・オーケストラ、ビックス・バイダーベック 、ウルヴァリン・オーケストラ、エセル・ウォーターズ、ビリー・ホリデイ 、シドニー・ベシェ 、ボブ・クロスビーやボブ・キャッツ、ファッツ・ウォーラー 、ジーン・クルーパ 、フレッチャー・ヘンダーソン、ジェリー・ロール・モートン 、エディ・コンドン 、トミー・ドーシー 、グレン・ミラー と彼のオーケストラ、バーニー・ケッセル 、テディ・ウィルソン 、ミルス・ブラザーズ、アート・テイタム (1932年)、レイ・ノーブル、ジョー・ジャクソン 、ジャンゴ・ラインハルト とホット・クラブ・クインテット、ポール・ホワイトマン楽団、ジミー・ドーシーとスパイク・ヒューズ、レス・ポール &メアリー・フォード(1952年)、ビートルズ (1969年)、ジェフ・ベック などがカバー。
「オストリッチ・ウォーク」 - "Ostrich Walk" (作曲 : エドワーズ、シールズ、ラガス、ラロッカ)
「トドゥリン・ブルース」 - "Toddlin' Blues" (作曲 : ラロッカ、シールズ)
"Fidgety Feet (War Cloud)" (作曲 : ラロッカ、シールズ、ラガス)
"At the Jazz Band Ball" (作曲 : ラロッカ、シールズ)
ディスコグラフィ(オリジナル・ディキシーランド・ジャズ・バンド)
オリジナル・シングル(1917年-1923年)
"Dixie Jass Band One-Step"/"Introducing That Teasin' Rag"/"Livery Stable Blues" (1917年、Victor 18255)
"At the Jazz Band Ball"/"Barnyard Blues" (1917年、Aeolian Vocalion A1205)
"Ostrich Walk"/"Tiger Rag" (1917年、Aeolian Vocalion A1206)
"Reisenweber Rag/Look at 'Em Doing it Now" (1917年、Aeolian Vocalion 1242)
"Darktown Strutters' Ball"/"(Back Home Again in) Indiana" (1917年、Columbia A2297)
"At the Jazz Band Ball" (1918 version)/"Ostrich Walk" (1918 version) (1918年、Victor 18457)
"Skeleton Jangle"/"Tiger Rag" (1918 version) (1918年、Victor 18472)
"Bluin' the Blues"/"Sensation Rag" (1918年、Victor 18483)
"Mournin' Blues"/"Clarinet Marmalade" (1918年、Victor 18513)
"Fidgety Feet (War Cloud)"/"Lazy Daddy" (1918年、Victor 18564)
"Lasses Candy"/"Satanic Blues" (1919年、Columbia 759)
"Oriental Jazz" (or "Jass") (1919年、Aeolian Vocalion 12097)
"At the Jazz Band Ball" (1919 version)/"Barnyard Blues" (1919 version) (1919年、Columbia 735) ※ロンドン 録音
"Soudan" (also known as "Oriental Jass" and "Oriental Jazz") (1920年、Columbia 829) ※ロンドン録音
"Margie"/"Singin' the Blues"/"Palesteena" (1920年、Victor 18717)
"Broadway Rose"/"Sweet Mama (Papa's Getting Mad)"/"Strut, Miss Lizzie" (1920年、Victor 18722)
"Home Again Blues"/"Crazy Blues"/"It's Right Here For You (If You Don't Get It, Tain't No Fault O' Mine)" (1921年、Victor 18729)
"Tell Me/Mammy O' Mine" (1921年、Columbia 804) ※ロンドン録音
"I'm Forever Blowing Bubbles"/"My Baby's Arms" (1921年、Columbia 805)
"I've Lost My Heart in Dixieland"/"I've Got My Captain Working for Me Now" (1921年、Columbia 815)
"Sphinx/Alice Blue Gown" (1921年、Columbia 824)
"Jazz Me Blues/St. Louis Blues" (1921年、Victor 18772)
"Royal Garden Blues"/"Dangerous Blues" (1921年、Victor 18798)
"Bow Wow Blues (My Mama Treats Me Like a Dog)" (1922年、Victor 18850)
"Toddlin' Blues"/"Some of These Days" (1923年、Okeh 4738)
再結成後シングル(1935年-1946年)
"You Stayed Away Too Long/Slipping Through My Fingers" (1935年、Vocalion 3099)
"Original Dixieland One-Step/Barnyard Blues" ("Livery Stable Blues"のリブート) (1936年、Victor 25502)
"Who Loves You?"/"Did You Mean It?" (1936年、Victor 25420)
"Good-Night, Sweet Dreams, Good-Night"/"In My Little Red Book" (1938年、RCA Bluebird B-7444)
"Tiger Rag" (1943 version) (1944年、V-Disc 214B1) ※with Eddie Edwards and Tony Sbarbaro
"Sensation" (1943 version) (1944年、V-Disc 214B2) ※with Eddie Edwards and Tony Sbarbaro
"Shake It and Break It"/"When You and I Were Young, Maggie" (1946年、Commodore C-613)
受賞
2006年、オリジナル・ディキシーランド・ジャズ・バンドによる1917年の録音「Darktown Strutters' Ball」(Shelton Brooks作曲)が、グラミーの殿堂 入りを果たした。
参照
資料
The ODJB on RedHotJazz Contains .ram files of their vintage recordings.
Jimmy LaRocca's Original Dixieland Jazz Band
Stewart, Jack. "The Original Dixieland Jazz Band's Place in the Development of Jazz." New Orleans International Music Colloquium , 2005.
Lange, Horst H. Wie der Jazz begann: 1916-1923, von der "Original Dixieland Jazz Band" bis zu King Olivers "Creole Jazz Band" . Berlin: Colloquium Verlag, 1991. ISBN 3-7678-0779-3
Brunn, H.O. The Story of the Original Dixieland Jazz Band . Baton Rouge: Louisiana State University Press, 1960. Reprinted by Da Capo Press , 1977. ISBN 0-306-70892-2
Mugno, Salvatore. Il biografo di Nick LaRocca. Come entrare nelle storie del jazz . Lecce, Italy: Besa Editrice, Nardò, 2005.
外部リンク