ザグレブ (クロアチア語 : Zagreb [zǎːɡreb] ( 音声ファイル ) )は、クロアチア の首都。同国最大の都市である。国の北西部、サヴァ川 に沿うメドヴェドニツァ山 (英語版 ) の南斜面に位置し。海抜は122mである。2011年の国勢調査による人口はザグレブ市街が686,568人、ザグレブ市域では792,875人であった。ザグレブ市と周辺の行政的に分かれているザグレブ郡 の人口317,642人を合わせたザグレブ都市圏の人口は1,110,517人である。ザグレブはクロアチアでは唯一、100万人を超える都市圏を形成している[5] 。
アルプス やディナルアルプス 、アドリア海 方向へ広がるパンノニア平原 南西部の有利な地理的な条件により、中央ヨーロッパとアドリア海を結ぶ良く整備された交通回廊によって周辺地域と結ばれている。ザグレブは交通の要衝である他、産業の集積や科学研究機関、伝統的な産業などでクロアチアで先導する地位にある。また、首都としてクロアチアの中央政府や行政機関、省庁のほとんどがザグレブに拠点を置いている。
地理
Sentinel-2A よりザグレブを撮影 2016年
ザグレブ新市街は、南のザグレブ中央駅 からバン・ヨシップ・イェラチッチ広場 (共和国広場)まで碁盤の目状に広がる。創立300年以上の歴史をもつザグレブ大学、主要官庁などのネオクラシック調の建物とユーゴスラビア時代の建物、新しい高層ビルが混然としている。共和国広場から坂を上がると(世界一短距離のケーブルカーあり)、ザグレブ大聖堂 、サン・マルコ教会がある。そこから北に向かって旧市街が広がる。ここにはゴシック様式とバロック様式の建物が多く、中世の町並みがよく残っている。
メドヴェドニツァ山脈 (Zagrebacka gora) は最高峰スリェメ山 (1,033m) をいただき、そこからザグレブ都市圏、サヴァ川、クーパ谷、フルヴァツコ・ザゴリェ (Hrvatsko Zagorje) 地方を望むすばらしいパノラマ展望を得られる。天候がよければ山頂からは、ヴェレビト山 (Velebit) や、スロベニア 近くにある雪をかぶったジュリアンアルプスまで望むことが出来る。ハイカーに宿とレストランを提供する山小屋がいくつかある。スキーヤーならば、4本のスキーコースと3つのスキーリフト、1つのチェアリフト を持つスリェメを訪れる。
古都メドヴェドグラード (Medvedgrad) は13世紀 に建てられた中世の城塞都市 で、最近修復されたものだが、メドヴェドニツァの丘の特別な観光名所である。そこから市内の西側を見下ろすことができ、また「祖国の殿堂」がある。これは絶えず灯明が灯っている記念建造物で、通例は国民の祝日に、歴史上祖国のために倒れた全ての英雄にクロアチアが崇敬を払うための場所である。
気候
温暖湿潤気候 でケッペンの気候区分 ではCfaに属し、湿潤大陸性気候 との境界近くに位置する。ザグレブは四季がはっきりしており、夏は暑く冬は寒くなり乾季 は無い。平均気温は冬季で-0.5℃、夏季は22.0℃で、特に5月以降は暑さが増し30℃以上の日が毎年夏には年平均17日程度ある[6] 。
冬季には降雪が12月から3月にかけて見られ、同様に降雨もあり10月から12月にかけての秋季には霧が発生する[7] 。
今までの最高気温は1950年 7月 に40.4℃を記録し、最低気温は-27.3℃を1956年 2月 に記録している[6] 。
ザグレブの気候
月
1月
2月
3月
4月
5月
6月
7月
8月
9月
10月
11月
12月
年
最高気温記録 °C (°F )
19.4 (66.9)
22 (72)
26 (79)
29.4 (84.9)
33.4 (92.1)
37.6 (99.7)
40.4 (104.7)
39.8 (103.6)
32.8 (91)
28.3 (82.9)
25.4 (77.7)
22.5 (72.5)
40.4 (104.7)
平均最高気温 °C (°F )
3.1 (37.6)
6.1 (43)
11.3 (52.3)
16.4 (61.5)
21.3 (70.3)
24.6 (76.3)
26.7 (80.1)
26.2 (79.2)
22.3 (72.1)
16.2 (61.2)
9.3 (48.7)
4.4 (39.9)
15.7 (60.3)
日平均気温 °C (°F )
−0.1 (31.8)
2.0 (35.6)
6.2 (43.2)
10.9 (51.6)
15.7 (60.3)
19.1 (66.4)
20.8 (69.4)
20.0 (68)
16.0 (60.8)
10.8 (51.4)
5.7 (42.3)
1.3 (34.3)
10.7 (51.26)
平均最低気温 °C (°F )
−4.0 (24.8)
−2.5 (27.5)
0.9 (33.6)
4.9 (40.8)
9.2 (48.6)
12.7 (54.9)
14.2 (57.6)
13.7 (56.7)
10.4 (50.7)
5.8 (42.4)
1.8 (35.2)
−1.9 (28.6)
5.4 (41.7)
最低気温記録 °C (°F )
−24.3 (−11.7)
−27.3 (−17.1)
−18.3 (−0.9)
−4.4 (24.1)
−1.8 (28.8)
2.5 (36.5)
5.4 (41.7)
3.7 (38.7)
−0.6 (30.9)
−5.6 (21.9)
−13.5 (7.7)
−19.8 (−3.6)
−27.5 (−17.5)
降水量 mm (inch)
48.6 (1.913)
41.9 (1.65)
51.6 (2.031)
61.5 (2.421)
78.8 (3.102)
99.3 (3.909)
81.0 (3.189)
90.5 (3.563)
82.7 (3.256)
71.6 (2.819)
84.8 (3.339)
63.8 (2.512)
856.1 (33.705)
平均降雨日数
10.8
10.0
11.2
12.7
13.2
13.6
10.9
10.4
9.8
10.2
12.2
12.1
137.1
平均降雪日数
6
5
4
1
0
0
0
0
0
0
2
5
23
平均月間日照時間
59.4
95.7
140.1
175.4
234.0
243.7
281.0
256.0
186.7
130.8
65.6
44.9
1,913.3
出典1:World Meteorological Organisation (UN) [8]
出典2:Croatian Meteorological and Hydrological Service[6]
統計
ザグレブはクロアチア最大の都市で、そのほとんどが市街に居住している。2001年 の国勢調査による公式統計では人口は779,145人で[9] [10] 、ザグレブ市の推計によれば2006年 時点では804,900人に増加している[11] 。ザグレブ首都圏の人口は約120万人である[12] 。1997年 よりザグレブ市は特別市の地位を得て、ザグレブ郡から分離されたが商業や歴史的なつながりは続いている。2001年の国勢調査によれば人口のほとんどはクロアチア人 が占めその割合は92%であった。60,066人はマイノリティ が占め、セルビア人が18,811人 (2.41%)、ボシュニャク人 が6,204人 (0.80%)、ムスリム系が8,030人 (1.02%)、アルバニア人 が6,389人 (0.83%)、スロベニア人 が3,225人 (0.41%)、モンテネグロ人 が2,315人 (0.27%)、ロマ が3,946人 (0.55%)、マケドニア人 が2,315人 (0.27%)等で、他にもドイツ系などの少数のマイノリティのコミュニティが出来ている[13] 。
経済
クロアチア航空 本社
アルプス地方、ディナル・アルプス地方、アドリア海沿岸地方、パンノニア地方へ伸びるパンノニア平原南西部の、地理的に恵まれた場所にあり、中央ヨーロッパとアドリア海を繋ぐ優れた交通の要衝となっている。交通の上で立地が恵まれていること、産業が集中していること(金属加工、電器、織物、化学、製薬 (Pilva)、印刷、皮革、木材加工、製紙等)、科学研究施設、工業の伝統により、クロアチアの経済の主導的な位置を占めている。 ザグレブは東ヨーロッパの標準から見れば比較的裕福だが、それでも平均収入や物価は西側よりもなお低い[14] 。
ザグレブはクロアチアの都市ではもっとも高いGDP を誇り、2005年の1人当たりのGDPは19,132ドル であった。同時期のクロアチア平均は10,431ドルである[15] 。2004年 の購買力平価は28,261ドルであった[16] 。
2008年 7月現在の、ザグレブでの平均月収は6,228クーナ (約1,356ドル)で、クロアチア平均は5,234クーナ(約1,140ドル)である[17] 。
2006年 現在の平均失業率は8.6%であった
[18] 。
クロアチアの34%の企業はザグレブに本社を置いており、クロアチアの労働人口の38.4%は銀行や公共部門、公共交通機関を含めザグレブで勤務をしている。2006年 現在、ザグレブの企業はクロアチア全体での52%の取引高と60%の利益を生み出し、クロアチア全体での輸出の35%、輸入の57%を占めている
[16] [19] 。
ザグレブの2010年の観光客数は60万人以上[20] で、2011年には10%増加が見込まれているなど[21] 、増加傾向にある。
歴史
19世紀頃の聖母被昇天大聖堂
先史時代以来、ザグレブとその一帯には人間が居住していた。旧石器時代のヴェテルニツァ洞窟 (Veternica) での発見物や、今のヴェリカ・ゴリツァ のスツィタリェヴォ地区 (Scitarjevo) 近くにあるローマ時代の紀元前1世紀に遡るアンダウトニア (Andautonia) の街の遺構がその証拠である[22] 。メドヴェドニツァ山脈の斜面には絵のように美しいかつての村(Sestine, Gracani、およびRemete)がネックレスの珠のように市を囲んでいて、今日でも豊かな伝統を守っている(民族衣装、Sestineの傘、ジンジャーブレッド など)。
語源と呼称
13世紀以来の聖マルコ教会
ザグレブの名が現れたのは1094年 頃であるが、その起源についてはあまりはっきりとしていない。クロアチア語で ザグラビティ"zagrabiti" は柄杓を意味し、それを基にいくつかの伝説もある。あるクロアチア人が答えた物には、クロアチアのバン (総督)が喉が渇いた兵士たちを連れて荒地を横切った際、バンは失望から自分のサーベル を地面に突いた所、水が流れ出した為兵士に命じて水を掘らせたとされる。この水を掘り出したとされる伝説は科学者により居住地が設立され、水で満たされた穴やシデ graba などから来る名称とする提唱によって支えられている[23] 。いくつか提唱されている説には丘を意味する'za breg'や丘の向こう側を意味するものである。現在、中心部の近くにある丘も以前はより近くを流れていたサヴァ川 の河岸だったと言う可能性もある。これらの単語から、一つの単語が形成され現在の地名であるザグレブが生まれたとされる。他の伝説ではある支配者がマンダ (Manda) と言う少女に喉が渇いたので、現在は泉であるマデュセヴァツの湖に水を汲みに行かせたとされるもので、"Zagrabi, Mando!" 「マンダ、それをすくって!」のセンテンスから来ているともされるものや[24] 、クロアチアのイラン 起源説と関連してザグロス山脈 と関連付けるものもある[25] 。現代のクロアチア語以外での呼称はハンガリー語 でザーグラーブ Zágráb 、ドイツ語 でアグラム Agram 、イタリア語 でザガブリア Zagabria である。
初期から18世紀まで
ザグレブの名が初めて現れた年、ハンガリー王ラースロー1世 はカプトル (英語版 ) 丘の上に司教区を設けた。それとは別の独立した(砦のような)集落が、近隣のグラデツ (英語版 ) の丘に出来た。これらの居住地は1242年 のタタール 侵攻に苦しめられるが、彼らが去った後、ベーラ4世 はグラデッツを王の自治市と宣言し大砲を寄贈し、外国の職工を集めた。14世紀 から15世紀 にかけて、二つの集落は経済的および政治的に競い合った。司教区はグラデッツを破門し、その報復にグラデッツはカプトルに火を放ったりしたものだった。彼らが共に手を取り合ったのは、臨時の大規模経済投機だけだった。例えば3年に一度のそれぞれ2週間続く祭りなど。これら二つの中世の丘グラデッツとカプトルは、1850年 、最終的に合併してひとつのザグレブとなり、クロアチア そしてスラヴォニア の政治的中心地となった。2つの地区は、今やこの近代都市の文化的中心を形成している(経済的中心と交通の中心は、それから南に移動したが)。カプトルの司教区は、それからザグレブ大司教区になった。
1669年 には大学も設立され、1776年 、王国の議会もヴァラジュディン から移された。またグラマースクール の設立や聖カタリナ教会や修道院なども建てられている。17世紀 から18世紀 にかけ、ザグレブでは大火や疫病などの悪い状況も経験した。
19世紀から20世紀
1930年頃のブルザ広場
19世紀 のザグレブはクロアチア再生運動(イリュリア運動)の中心地となり重要な文化的、歴史的な団体の創設が見られた。最初の鉄道がザグレブとズィダニモスト (Zidani Most)、シサク 間に1862年 に開業し、1863年 にザグレブではガスも導入されている。ザグレブでの水道の導入は1878年 で、馬車軌道 によるトラムの導入は1891年 からである。鉄道の建設によって、古くからの郊外部分は徐々にドニ・グラードを特徴付ける中央ヨーロッパの都市では広く一般的な規則的なブロックパターンに、吸収されていった。賑やかな中心部では多くを印象付けるモニュメントや公園、多くの博物館、劇場、映画館などが多くあった。発電所が1907年 に造られ、1880年 から1914年 には大いに繁栄した。地震の後、ザグレブの街は今日も続く特徴的な街路となっている。第一次世界大戦後、労働者階級地区が鉄道線路とサヴァ川の間の地域に現れたが、丘の南斜面のメドヴェディツァの住宅地区の建設は戦間期 に終えている。1920年代 、人口は70%も増加しザグレブ史上最高の伸びとなっている。1926年 、最初のラジオ局が開業し放送を開始した。
20世紀 の最初の50年間でザグレブは大きく拡大した。第一次世界大戦 前、都市や街区は東はスタラ・ペシュチェニツァ (Stara Peščenica)、西はチェルノメレツ (Črnomerec) まで造られている。オーストリア・ハンガリー帝国 時代には、ザグレブはドイツ式にアグラムと呼ばれていた。第二次世界大戦 中の1941年 から1945年 まではナチス の傀儡国家 であるクロアチア独立国 の首都がおかれていたが、同国はドイツ の敗戦と共に崩壊した。戦時中、アメリカ軍 より爆撃 を受けている。
第二次世界大戦後以降
ヨーロッパ最大規模のマムティツァの団地
ユーゴスラビア社会主義連邦共和国 となった戦後、1947年 にザグレブ見本市が開かれている[26] 。
その後、1950年代 の中頃からサヴァ川の南に、いわゆるNovi Zagreb(新ザグレブ)と呼ばれる新興住宅地ができた。市街は東西方向にも拡大し、かつてはただの村に過ぎなかったドゥブラヴァ (Dubrava)、ポドシセド (Podsused)、ヤルン (Jarun)、ブラト (Blato) などを飲み込んでいった。貨物鉄道のハブとザグレブ国際空港がサヴァ川の南に作られた。南東にある最大の工業地帯 (Zitnjak) は、サヴァ川とプリゴリェ地方 (Prigorje) の間にある市の東側郊外での工業地帯の拡大を代表する。1987年 、ザグレブはユニバーシアード の開催都市となった。1991年 から1995年 にかけて起こったクロアチア紛争 時には散発的な戦闘がユーゴスラビア人民軍 (JNA) のバラック 周辺で発生しているが大規模な戦災からは逃れている。しかし、1995年 5月にセルビア側の攻撃目標とされ2発のロケット砲の攻撃であるザグレブロケット砲撃 (英語版 ) に遭い7人の市民が死亡している[27] [28] 。
都市景観
ザグレブ初の高層ビルはバン・イェラチッチ広場 に面して建てられたネボデル (英語版 ) (Neboder) で、1957年 から1958年 にかけて建設され1959年 8月22日にオフィスビルとして開業している。当時のユーゴスラビアでは一番高いビルであった。その後、1970年代 から1980年代 にかけてザグレブでは高層ビルが次々と建てられていった。サヴァスカ通りのザグレブチャンカ (英語版 ) (Zagrepčanka,1976年)、ツィボナタワー (英語版 ) (1987年)、スリェメ (Sljeme) にあるザグレブテレビタワー (英語版 ) (1973年)などがある。2000年代 、市議会は新たに計画された多くの高層建築物に対して認可を出しており21世紀に入ってからのザグレブにはユーロタワーやザグレブタワーなど多くの高層ビルが増えている。長年、ザグレブでは10階建て以上の高層建築物の建設は禁止されており、現在見られる高層建築物のほとんどは1970年代 から1980年代 に遡り、新たな郊外部の住宅は通常4階から8階建てである。制限の緩和により高層建築物は増える傾向にある[29] 。
行政
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
クロアチアの憲法によりザグレブは首都として特別市としての地位を得ている。ザグレブでは郡 と同等の権利を有し、市の自治とザグレブ郡 両方の業務を行っており、ザグレブ郡の郡都はザグレブに置かれている。市の行政機関は市議会と代表としての市長、実行機関としての市役所である。市議会の議員は直接選挙により選出され、前回の2009年 に市長は市議会で選出された。2009年から直接選挙に変えられており、市長と市政の構成員は多数票によって選ばれる。市当局の11人の市長候補者の中から議会の多数票によって市長は選ばれる。市長は市政の長で、他に2人の代理者が就く。市の管理機構は12の支所、3つの都市局、行政サービスを担う3つの部署がある。それらは市長と市当局に対し責任を負っている。ザグレブでは17の行政区に組織されており、市行政区委員会によって表されている[30] 。
2021年の地方選挙 の結果、現在のザグレブ市長はトミスラヴ・トマシェヴィッチ (Tomislav Tomašević) である。市議会は47議席から成っている。勢力は以下の通り[31] [32] 。
都市区域
ザグレブの都市区域(クロアチア語 : gradska četvrt )は以下の通りである[33] 。
No.
地区
面積 (km²)
人口 (2011)
人口 (2001)
人口密度 (2001)
1.
ドニィ・グラード (英語版 ) (Donji Grad)
3.01
37,123
45,108
14,956.2
2.
ゴルニィ・グラード - メドヴェシュチャク (英語版 ) (Gornji Grad – Medveščak)
10.12
31,279
36,384
3,593.5
3.
トルニェ (英語版 ) (Trnje)
7.37
42,126
45,267
6,146.2
4.
マクスミル (英語版 ) (Maksimir)
14.35
49,448
49,750
3,467.1
5.
ペシュツェニツァ=ジティニャク (英語版 ) (Peščenica – Žitnjak)
35.30
56,446
58,283
1,651.3
6.
ノヴィ・ザグレブ=イストク (英語版 ) (Novi Zagreb – istok)
16.54
59,227
65,301
3,947.1
7.
ノヴィ・ザグレブ=ザパド (英語版 ) (Novi Zagreb - zapad)
62.59
58,025
48,981
782.5
8.
トレシュニェヴカ=シェヴェル (英語版 ) (Trešnjevka - sjever)
5.83
55,342
55,358
9,498.6
9.
トレシュニェヴカ=ユグ (英語版 ) (Trešnjevka - jug)
9.84
66,595
67,162
6,828.1
10.
C チェルノメレツ (英語版 ) (Črnomerec)
24.33
39,040
38,762
1,593.4
11.
ゴルニャ・ドゥブロヴァ (英語版 ) (Gornja Dubrava)
40.28
62,221
61,388
1,524.1
12.
ドニャ・ドゥブロヴァ (英語版 ) (Donja Dubrava)
10.82
36,461
35,944
3,321.1
13.
ステニェヴェツ (英語版 ) (Stenjevec)
12.18
51,849
41,257
3,387.3
14.
ポドスセド=ヴラプチェ (英語版 ) (Podsused – Vrapče)
36.05
45,771
42,360
1,175.1
15.
ポドスリェメ (英語版 ) (Podsljeme)
60.11
19,249
17,744
295.2
16.
セスヴェテ (英語版 )
165.26
70,633
59,212
358.3
17.
ブレゾヴィツァ (ザグレブ) (英語版 ) (Brezovica)
127.45
12,040
10,884
85.4
合計
641.43
792,875
779,145
1,214.9
交通
道路
広いザグレバチュカ通り
スラヴォニアを通ってベオグラード へ流れるサヴァ川 に沿う鉄道と高速道路は国内で最も速い交通手段である。
この都市は最大4車線の幹線道路と、市のほとんどの部分を囲むザグレブバイパスなどやフル規格高速道路を含む、よく発達した道路網を持っている。市内中央部ではいくぶん渋滞があり、また駐車が問題になっている。歩道に駐車した自動車が歩行者の通行を妨げることがしばしばである。
高速道路
ザグレブバイパス
ザグレブはクロアチアの5つの主要高速道路の要衝で、ここ数年来すべてのクロアチアの高速道路はザグレブを起終点としている。A6号線は2008年 10月に改良工事が完了し、リエカ と結ばれてこの146.5kmの区間は汎ヨーロッパ回廊5b号線 (Pan-European Corridor Vb) を構成している。改良と同時にA4号線のムラ橋やA4号線に続くハンガリー のM7号線が開業しブダペスト とも結ばれリエカ、ブダペスト間での最初の高速道路による交通回廊として開業した[34] 。
A1号線はノヴィ・ザグレブのルチェコ を起点に、ボシリェヴォ2インターチェンジで始まるA6号線と別れ、ザグレブとスプリト を結んでいる。A1号線はさらにドゥブロヴニク 方面に向けて延伸工事が進められている。クロアチアの高速道路当局は両高速道路をアウトツェスタリエカ - ザグレブ (Autocesta Rijeka - Zagreb)、フルヴァツケ・アウトツェステ (Hrvatske autoceste) の2つの政府出資の特殊会社に料金徴収や維持管理を行わせている。
A3号線はユーゴスラビア 時代を表す物として、クロアチアでは一番古くからある高速道路で以前は兄弟愛と統一道路 と名付けられていた。また、A3号線は汎ヨーロッパ回廊10号線 (英語版 ) を構成している。A3号線はスロベニア との国境の町ブレガナ (英語版 ) を起点としているが、その先さらにスロベニアの高速道路A2号線やオーストリア のアウトバーン A11号線やA2号線、A10号線などへ続いておりリュブリャナ やウィーン 、ザルツブルク 等に達することも出来る。A3号線はザグレブバイパスの南側を構成しており、終点はリポヴァツ (英語版 ) 近くのセルビアとの国境であるバヤコヴォ (Bajakovo) だが、その先はセルビアの高速道路A1号線(欧州自動車道路 70号線)としてベオグラード へ続いている。
A2号線は汎ヨーロッパ回廊10a号線 (英語版 ) の一部分となっており[35] ザグレブと良く混雑するスロベニアとの国境であるマツェリを結び、連続的にザグレブと西ヨーロッパの間を高速道路クラスの道路網で結んでいる[36] 。
公共交通
クロアチア鉄道の通勤電車 HŽ 6111
ZET運営の路面鉄道クロトラム (TMK 2200)
ザグレブでの公共交通機関は、二層から成っている:市内はおおむね路面電車がカバーしており、郊外へは路面電車終点でバスが接続していることが多い。公共交通会社ZET,Zagrebački električni tramvaj(ザグレブ電気路面鉄道)は市議会から委託を受けているので、料金は比較的廉価であるが、ピーク時には非常に混雑する。
同じくZETが運営する市の中央近くにある1890年 開業のケーブルカー は、市内最古の公共交通機関であるとともに、全長66mで世界最短のケーブルカーと言われ、一種の観光スポットとなっている[37] 。
タクシー は数は多く容易に利用できるがクロアチアの他の都市より高額なためあまり一般的ではない。その為、市内と空港を結ぶ手段として使われることが多い。近年では国営の鉄道会社「クロアチア鉄道」がザグレブ都市圏郊外の鉄道網を組織化しようとしているが、2004年の時点では東西方向の一部が組織化されている。
路面電車
ザグレブの路面電車(トラム)の系統は昼間の15系統と夜間帯の4系統が設定されており、市中心部と市中心部に近い郊外部をカバーしている。ザグレブにトラムが最初に開業し運行を開始したのは1891年 9月5日からで、それ以来ザグレブでの大量輸送機関として機能している。トラムは通常、最高速度30 - 70km/hで運行されるがラッシュ時間帯などではゆっくりと走っている。路線網は独特でその多くは曲線区間である。現在、旧式の車両をザグレブに本拠地を置く企業コンソシーアム (Končar elektroindustrija) が製造する新たなモダンな車両であるクロトラム とTŽV Gredeljの車両に置き換える計画が進んでいる。"TMK 2200"と呼ばれる70編成の車両が2005年 から2007年 かけ導入され、さらに70編成の車両を導入する契約がすでに始まっている[38] 。
都市圏鉄道
Sバーン のような都市圏鉄道の路線網はザグレブにおいては1992年 以来広がっている。2005年 にザグレブ中央駅 を中心に郊外と結ばれる鉄道では15分間隔での運行が開始された。ザグレブ中心部と東西方向に広がる郊外は都市圏鉄道によって結ばれ、運行回数の増加により通勤者の利便性が向上している[39] 。
新たな路線として2009年 にサモボル とを結ぶ路線の建設も発表された。この鉄道はクロアチア鉄道 によって運行される計画がある。1970年代 までザグレブとサモボルを結ぶ狭軌鉄道Samoborček が存在した[40] 。
鉄道
ザグレブ中央駅
ザグレブはクロアチア鉄道にとって重要な結節点である。メインとなるザグレブ中央駅は市中心部の南側のトミスラヴ広場に面した場所にあり、この駅からは国際列車が運行されリュブリャナ (2時間30分)、ブダペスト (6時間)、ベオグラード (6時間)、ウィーン (6時間)と結ばれている。夜行列車も運行されミュンヘン までは9時間、チューリッヒ までは約14時間かかる。
2004年にはスプリトとの間に振り子式のディーゼル列車が導入され[41] 、所要時間が大幅に短縮された。サヴァ川の南側には大規模な貨物操車場が整備されている。
バス
ザグレブ中心部の南東側にあるバスステーション Autobusni kolodvor Zagreb からはクロアチア国内をはじめ、欧州の主要都市に向けて長距離バスが運行されている[42] 。ザグレブ国際空港 へ向かう空港連絡バスもこのバスステーションから運行されている。
航空
ザグレブ国際空港 はザグレブから17km離れた南東部のプレソ (Pleso) に位置しクロアチア航空 のハブ空港 である。プレソ空港とも呼ばれ、2013年現在、欧州やカタール航空 など一部中東の短・中距離便が乗り入れている。クロアチア航空は大型機を保有しておらず、長距離便はチャーター便に限られる。ザグレブ国際空港にはクロアチア軍の主要空軍基地でもあり、戦闘機や軍用ヘリコプターなども常駐する。新しい旅客ターミナルが計画中で、2011年 以降現在の機能不足の旅客ターミナルビルを置き換える。2008年 より事業が開始された[43] 。ザグレブには国際空港の他にルチェコ空港(ICAO: LDZL)があり、スポーツ用の飛行機やクロアチア警察の特殊部隊、陸軍のヘリコプターが常駐する。この空港はザグレブの主要空港として1947年 から1959年 まで使われていた[44] 。
文化
文化施設
ザグレブの数多くの博物館はザグレブとクロアチアの歴史、美術および文化を反映しているばかりでなく、ヨーロッパや世界のものも収めている。教会と個人所有のものを除き、およそ30件ある博物館、美術館に360万点を越えるさまざまな展示品が収められている。
ザグレブ考古学博物館
ザグレブ考古学博物館 (英語版 ) (19 Nikola Šubić Zrinski Square)には今日、45万種近い考古学的遺産やモニュメントがあり長年にわたり様々な箇所から収蔵された品である。収蔵品の中にはこの地域でのクロアチア人の存在の証拠も含まれている[45] 。この博物館が世界に知られることになったきっかけになった極めて珍しいサンプルがある。中でももっとも有名なのは、エジプトコレクション、ザグレブミイラと包帯、世界最古のエトルリア碑文(ライバー・リンテウス (英語版 ) Liber Linteus Zagrabiensis )、および硬貨のコレクションである。博物館の一角は主にローマ時代に遡る石のモニュメントのコレクションに割り当てられている。
ザグレブ近現代美術館
ザグレブ近現代美術館 (英語版 ) には19世紀から20世紀にかけての最も重要なクロアチア人芸術家による絵画や彫刻、デッサン が収蔵されている。美術館には1万を超える作品が収蔵されており、1934年以来、ザグレブ中心のヅリンイェヴァツ公園を臨む歴史的なヴラニツザニ宮にある。
クロアチア自然史博物館 (クロアチア語版 ) にはネアンデルタール人の遺物の世界で最も網羅的なコレクションがある[46] 。先史時代のクラピナ人の遺体や石の武器や道具が収蔵されている。自然史博物館には25万を超える様々な標本のコレクションも含まれている。
ザグレブ技術博物館 (英語版 ) は1954年に設立され、館内には1830年からの古い機械が保存され現在でも動くようになっている。博物館には歴史的な飛行機や自動車、機械、装置などが展示されている。博物館はプラネタリウム、鉱山などそれぞれの分野ごとに分けられている[47] [48] 。
ザグレブ市立博物館 (英語版 ) は1907年に歴史文化団体であるクロアチアドラゴン兄弟協会 (英語版 ) Braća hrvatskoga zmaja により設立された。博物館は以前の1650年のクララ会 の女子修道院の復元された歴史的な複合施設(Popov toranj, 天文台, Zakmardi Granary)に位置している[49] 。博物館ではザグレブのローマの発見から現代までの文化、芸術、経済、政治史を扱っている。所蔵品は、都市とその歴史に特有の芸術的や日常的なコレクションが体系的に整えられ80,000以上の品から成っている。
美術工芸博物館
美術工芸博物館 (英語版 ) は工業製品の新たな優位性に対する美術工芸運動 のなかで芸術や工芸の作品を保存することを意図して1880年に設立された。16万点が収蔵され、美術工芸博物館はクロアチアの芸術的生産と文化 に関した国家レベルの博物館である[50] 。
ザグレブ民俗学博物館 (英語版 ) は1919年に設立された。 博物館はかつてトレードホールであった立派な1903年の分離派 の建物にある。8万点を超える豊富なクロアチアの民族学的文化財をカバーしており、館内はパンノニア、ディナル、アドリアと3つの文化ゾーンに分けられている[51] 。
ミマラ博物館
ザグレブ現代美術館
ザグレブ現代美術館 (英語版 ) は1954年に設立された。新しい館内にはクロアチアや海外の1950年代から現代までの芸術作品が収蔵されている。美術館は装いを新たに2009年にノヴィ・ザグレブ (英語版 ) に開設された。もともとはゴルニィ・グラードのクルメル邸(2 St. Catherine's Square)にあった[54] 。
演劇
リシンスキコンサートホール
ザグレブには約20の常設や季節的な劇場やステージがある。ザグレブクロアチア国立劇場 (英語版 ) は1895年に建てられ、フランツ・ヨーゼフ1世 によって開かれた。ザグレブでもっとも知られたコンサートホールはヴァトロスラヴ・リシンスキコンサートホール (英語版 ) で初のクロアチアのオペラ作曲家であるヴァトロスラヴ・リシンスキ (英語版 ) (1819-1854)に因んで1973年に建てられた。
催しもの
アニマフェストAnimafest は国際的なアニメ映画の祭典で偶数年に開催され、ミュージック・ビエンナーレ Music Bienniale は国際的な前衛的な音楽の祭典で毎回奇数年に開催されている。毎年開催されるザグレブドックス (英語版 ) ZagrebDox はドキュメンタリー 映画の祭典である。ザグレブオーケストラ祭や花の展示会であるFloraart 、Old-timer Rally も毎年行われている。夏には上町のゴルニィ・グラードで演劇やコンサートが屋内外で開催されている。オパトヴィナOpatovina ではシアターイベントであるZagreb Histrionic Summer が開催される。
ザグレブではまたザグレブフェストZagrebfest と呼ばれるクロアチアでは最古のポップ・ミュージックの音楽祭が開催される他、国際的な伝統あるスポーツイベントやトーナメントも開催されている。Day of the City of Zagreb は11月16日に毎年開催される特別な祭典で、特にヤルン湖周辺で催されている。
教育
ザグレブ大学法学部
ザグレブには136校の小学校と30のギムナジウム を含む100校の中等教育学校がある[62] [63] 。また市内には5つの公立の高等教育機関と9つの私立のプロの高等教育の学校がある[64] 。
大学
ザグレブ大学 は1669年に設立された現存するクロアチアの大学の中では最古の大学で、南東ヨーロッパでも古い大学の一つである。大学は成長を続け、21世紀初頭には、28の学部と3つの芸術学院、教員学院、クロアチア研究センターを擁する総合大学となっており、それまでに20万人を超える学生がこの大学で学位を取得し、18,000人が修士を取得し、8,000人が博士号を取得している[65] 。
2011年、ザグレブ大学は世界のベスト500の大学の中に含まれている[66] 。
スポーツ
ザグレブには多くのスポーツやレクレーション施設があり、ヤルンスポーツセンターは市の南西にあるヤルン湖 (英語版 ) に位置し、砂浜と世界クラスのレガッタ コースや湖周囲のジョギングレーンがある。ドム・スポルトヴァ (英語版 ) は北部のトレシュニェヴカ (英語版 ) にあるスポーツの中心で6つのホールを特徴としている。2つの最大の施設はそれぞれ7,358人[67] と3,900人を収容することが出来る。主にバスケットボールやハンドボール、バレーボール、ホッケー、体操、テニスなど様々な屋内競技に使われている他、コンサートにも使われる。
アリーナ・ザグレブ は2008年に完成し、アイスホッケーやバレーボールでは16,200人[68] の収容が可能で、2009年には2009年世界男子ハンドボール選手権 が開催された。
ドラジェン・ペトロヴィッチバスケットボールホール (英語版 ) は5,400人が収容可能で、高さ94mの高層ビルツィボナタワー (英語版 ) の並びにある。ムラドストスポーツパーク (英語版 ) はサヴァ川沿いにあり、オリンピックサイズ・プール と小さな屋内外のプール、日光浴用のテラス、16のテニスコートやバスケットボール、バレーボール、ハンドボール、サッカー、フィールドホッケーのコートがある。
シャラタスポーツレクレーションセンターはシャラタ (英語版 ) にあり、イェラチッチ広場 Trg bana Josipa Jelačića からは僅か数百メートルの場所にあり、テニスプレーヤーには最も魅力的である。センターには大きなテニスコートと8つの小さなコートがあり、そのうち2つはバルーンで覆われ他の2つは照明が備えられている。その他にもスイミングプールやバスケットボールコート、サッカー場、ジム、フィットネスセンター、4つのボーリングレーンが備えられている。
マクスミルテニスセンターはドニィ・グラード (英語版 ) の東側のラヴェノウスにあり2つのスポーツ施設の区画で構成されている。1つは4つのコートを備えるテニスホールから成るテニスセンターで、22の照明施設を備えた屋外テニスコートもある。他の区画は多目的のスポーツ施設でテニスコートとは別に、ハンドボールやバスケットボール、インドア・サッカー (英語版 ) のグラウンドや陸上競技施設、ボッチボール (英語版 ) 場、卓球などがある。
38,079人[69] を収容可能なスタディオン・マクシミール は改修が行われている。スタジアムは市の北東部のマクシミール (英語版 ) に位置する。スタジアムは巨大なすベティツェレクレーショナル・スポーツコンプレックス (ŠRC Svetice) の一部でマクスミール公園の南側にある。コンプレックスは276,440 m2 (68エーカー)あり、メドヴェドニツァ山から北から南へ向かって来る緑地の重要な一部である。2000年代に入ってから完成したレクレーション施設にはブンデク (英語版 ) があり、ノヴィ・ザグレブ (英語版 ) のサヴァ川近くの小さな湖の一群で、部分的に森林公園囲まれている。この場所は1970年代以前まで使われていたが、その後打ち捨てられていた。2006年に再改修されている。
ザグレブの著名なスポーツクラブにはサッカーのNKディナモ・ザグレブ 、アイスホッケーのKHLメドヴェシュチャク・ザグレブ (英語版 ) 、ハンドボールのRKザグレブ (英語版 ) 、バスケットボールのKKツィボナ 、KKツェデヴィタ (英語版 ) などがある。
国際関係
姉妹都市
ザグレブは以下の都市と姉妹都市の関係にある[70] 。
提携都市
以下の都市と提携関係を結んでいる。
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参考文献
外部リンク
初期加盟国 第一次拡張 (1973) 第二次拡張 (1981) 第三次拡張 (1986) 第四次拡張 (1995) 第五次拡張 (2004) 第六次拡張 (2007) 第七次拡張 (2013)