ウォリンジャーは当初、ギタリストの求めに応じて加わったものの、スコットに対してキーボーディストの必要性を納得させた[1]。さらにバンドにオーケストレーション、ベース、パーカッションの厚みを与えていくとともに[5]、徐々にスコットと共同での曲の制作に関わるようになった[3]。『This is the Sea』からシングルカットされた “Don’t Bang the Drum”(英語版)は、スコットとウォリンジャーの共作としてクレジットされている。
『Private Revolution』からシングルカットされた “Ship of Fools”(英語版)は、アメリカのビルボード・ホット100で27位、オーストラリアでチャート4位となった。その後のウォリンジャー作品と同様に、アルバムの歌詞には地球環境問題を連想させるものが多い[6]。このアルバムで演奏者クレジットに並んだ名前はほとんどがウォリンジャーの変名で、ほとんどの楽器をウォリンジャーひとりで演奏し、田舎に借りた自宅スタジオで16トラック録音している。いくつかの曲では無名なころのシネイド・オコナーがコーラスを務める[6]。
1988年、ウォリンジャーはシーヴュー・コテージ (Seaview Cottage) と呼ばれることになるロンドンのスタジオを購入し、これによって32トラックで作業ができるようになった[1]。セカンド・アルバム『Goodbye Jumbo』(グッバイ・ジャンボ、英語版)は1990年にリリースされ、Q誌で「今年のアルバム」に選ばれたほか、グラミー賞の最優秀オルタナティヴ・ミュージック・アルバム賞 (Best Alternative Music Album) にノミネートされた。
シングルカット曲の “Way Down Now”(英語版)は、ビルボード誌のモダン・ロック・トラックスでアメリカ1位となった。ローリング・ストーン誌はアルバムについて「ディラン、レノン、プリンス、スライ、ストーンズから彼が借りてきたものを聞きとるのはどうしようもないほどにたやすいことだが、このアルバムを模倣作だと払い除けることは、『Goodbye Jumbo』をここまで大胆にまとめ、説得力をもたせている固い信念をも見失ってしまうこととなる」と評している[7]。
キャトリン=バーチの脱退後、2人組となったワールド・パーティーは、1997年に『Egyptology』(エジプトロジー、英語版)をリリースした。しかし直後にアメリカでのレーベル、エンクレーヴ (The Enclave) が閉鎖したことによるプロモーション不足もあり[2]、このアルバムはアメリカで商業的に振るわなかった。
一方、『Egyptology』収録曲の “She’s the One”(英語版)は1999年にロビー・ウィリアムズによりカヴァーされ、イギリスのチャートで1位となったのを皮切りに、種々の賞を受賞する大成功を収めた。カヴァーはチェンバーズがウィリアムズに勧めたものだったが、ウォリンジャーはカヴァーの制作についてなにも聞かされていなかったため、その後クリサリス・レコードなどとの間でトラブルとなっている[10]。クリス・シャーロックがウィリアムズのバンドに参加するため脱退し、ワールド・パーティーは再度ウォリンジャーの個人プロジェクトとなった。
2001年、ウォリンジャーは深刻な体調不良を経験し、検査で脳動脈瘤が見つかった。外科手術を受けたが右半側の視野を失うこととなり、その後5年にわたり音楽活動を休止せざるを得なかった[11][12][2][5]。ウォリンジャーは “She’s the One” の印税収入がこの間の経済的負担を助けたと認め[10]、「私が家で水に浸したクラッカーを食べている間に、あの曲はあのイギリス人たちのところに飛び出していって、私よりずっといい時間を過ごしたよ」とコメントしている[13]。2006年にテキサス州オースティンで開かれたサウス・バイ・サウスウエスト・フェスティバルへの参加から音楽活動を再開した。