オアシス(Oasis)[注釈 1]は、イギリスのロックバンド。1991年結成。2009年解散。
概要
メイン・ソングライターの兄ノエル・ギャラガーとボーカルの弟リアム・ギャラガーのギャラガー兄弟を中心に1991年に結成され、全世界でのトータルセールスは7,000万枚以上を記録している[5]。代表曲に「ホワットエヴァー」「サム・マイト・セイ」「ワンダーウォール」「ドント・ルック・バック・イン・アンガー」「ドント・ゴー・アウェイ」「レット・ゼア・ビー・ラヴ」など多数のヒット・シングルを持つ。
バンドの核はギター及び主なソングライティングを担当したノエルと、ボーカルを担当したリアムのギャラガー兄弟。同じく労働者階級出身であるビートルズ[注釈 2]を大変敬愛している。コンサートでは「アイ・アム・ザ・ウォルラス」や「ヘルター・スケルター」などビートルズの曲を頻繁にカバー演奏した他、リアムが「ジョン・レノンのワーキング・クラス・ヒーローみたいな曲がある」と公言もしている[6]。ビートルズの影響は作品にとどまらず、スキャンダラスな言動も常にロック・ファンの注目を集めた。音楽メディアによって、中流階級出身のブラーとは何年にもわたって比較された。ファッションにおいては、パンク・ロッカーは切り裂かれたTシャツなど「反社会的」とされる恰好だったが、オアシスはウインドブレーカーやジャージといった労働者階級の普段着を着て、ライブやインタビューに臨んでいた。
音楽性とは別に、バンド内の諍いも有名であり、度々解散の噂が流れた。特に、バンドの核であったギャラガー兄弟の仲の悪さを示すエピソードは枚挙に暇がない[7]。後述の解散の理由も、兄弟の仲違いが少なからず影響している。
解散
2009年8月28日、ノエルがオアシスの脱退を表明し解散した。2010年、残されたメンバーは新バンド「ビーディ・アイ」を結成し、ノエルはソロプロジェクト「ノエル・ギャラガーズ・ハイ・フライング・バーズ」の活動を開始した。
メンバー
最終メンバー
元メンバー
サポートメンバー
来歴
- ポール・ "ボーンヘッド" ・アーサーズ、ポール・ "ギグジー" ・マッギーガン、クリス・ハットン(ヴォーカル)が前身バンド「ザ・レイン」を結成。ザ・レインの初演は、地元マンチェスターのバーネイジにあるカードゲームクラブで、ドラムマシンを使って行われた。後に、ドラマーとしてトニー・マッキャロルが加わる。
- 1991年
- 音楽関係の仕事をしていたノエル・ギャラガーのコネを狙って、ボーンヘッドがクリスをクビにし代わりにリアム・ギャラガーを加入させ、リアムはバンド名をオアシスと改名した。ギャラガー兄弟の寝室に貼ってあったオールダムのインディー・ロックバンド、インスパイラル・カーペッツのツアーポスターに由来している。ポスターには、開催地の1つとしてスウィンドンのオアシス・レジャー・センター(英語版)が記載されていた。
- 8月、マンチェスターのボードウォーククラブにて、オアシス初のステージに立つ。リアムの実兄であり、インスパイラル・カーペッツのローディーであったノエルがライヴを観に来る。その後、バンドに加入。
- 1993年
- 1994年
- 1995年
- 1996年
- 『モーニング・グローリー』からの3作目のシングル「ワンダーウォール」がアメリカでもじわじわとチャートを上昇。オアシスは、初秋のアメリカMTVアウォードでベストグループを受賞。
- 4月、「マンチェスターメイン・ロード 2days」を行い、8万人を動員。
- 5月、海外向けにシングル「シャンペン・スーパーノヴァ」をリリース。
- 8月、ロンドン郊外のネブワースにて2日間で25万人を集める(250万件の予約が殺到した)。『MTVアンプラグド』に出演した際、収録直前にリアムが喉の不調を訴えキャンセル。代わりにノエルが全曲で歌を披露した。4日後、リアムがアメリカツアーに行くことを拒否したため、ノエルをボーカルに据えてツアーに出発する。その後、リアムがバンドに合流するが、数週間後に今度はノエルがバンドを残して飛行機で帰宅してしまう。メディアにはバンド解散かと騒がれたが、兄弟はすぐに和解し残りのツアーを終えた。
- 1997年
- 1998年
- 1999年
- 8月、ボーンヘッドが脱退[9]。2週間後、後を追うようにギグジーが脱退。ノエルはボーンヘッドのギターとギグジーベースのパートを録り直す。
- 12月、元ヘヴィ・ステレオのゲム・アーチャーが加入。元ライド、ハリケーン#1のギタリスト、アンディ・ベルがギグジーの後任として加入する。デビュー以来所属していたクリエイション・レコーズが解散。
- 2000年
- 2月、4thアルバム『スタンディング・オン・ザ・ショルダー・オブ・ジャイアンツ』を発売。UKチャート初登場1位。前年のクリエイション・レコーズ解散に伴い、この年から自ら立ち上げたレーベル・ビッグ・ブラザーからのリリース。CDリリースと同時にワールドツアーを横浜アリーナよりスタートさせる。マリンメッセ福岡公演ではリアムが、体調不良を訴えて途中で退場している。
- 5月、ワールドツアー中、アランが腕を痛めバルセロナでの公演をキャンセルする。バンドメンバーは代わりに飲み明かすが、リアムが当時のノエルの妻メグ・マシューズを侮辱し始め、「アナイスの父親は本当にノエルなのか」とノエルに疑問を投げかけ、殴り合いに発展する。ノエルはバンドを一時離脱、過去最大の解散危機を迎える[10]。急遽、代役のギタリストとしてマット・デイトンを起用。バンド史上初めてノエル抜きでライヴが行われる。このときの「アクイース」はノエルパートを丸々観客に歌わせていた。
- 11月、ノエル復帰後、ロンドン(ウェンブリー・スタジアム)での公演を収録したライヴアルバムとライヴDVD『ファミリアー・トゥ・ミリオンズ』を発売。CD2枚組と1枚組が存在する。ウェンブリー・スタジアムでは7月に2日間コンサートが行われ、リアムの調子が良かった1日目がライヴアルバム、DVDとしてリリースされた。2日目は二日酔いのリアムがフラフラでステージに立つシーンが見られる。このときの模様は有料放送でヨーロッパ中に放映され、日本でもWOWOWが放映した。リアムは「2日公演なのを知らなかった」と弁明。
- 2001年
- 初頭、南米ツアーをスタート。
- 5月、ブラック・クロウズ、スペイスホッグと北米ジョイントツアー「Brotherly Love ツアー」を敢行[11]。このツアーのみアラン・ホワイトが怪我の為出演できず、アランの実兄のスティーブ・ホワイトが代役を務めた。
- 7月、フジロック・フェスティバルで初日のヘッドライナーを務める。また、秋から冬にかけてバンド結成10周年小規模クラスのツアー「10 Years of Noise and Confusion Tour」が行われた。
- 2002年
- 2004年
- 1月、アラン・ホワイトが脱退。元ビートルズのリンゴ・スターの息子ザック・スターキーが、サポート・ドラマーとして参加。
- 6月、9年ぶりにグラストンベリー・フェスティバルに出演する[18]。
- 10月 - 12月、デイヴ・サーディとスタジオ入りする。
- 2005年
- 2006年
- 2007年
- 2008年
- 5月、ザック・スターキーが、ザ・フーに専念のため離脱。代わりにクリス・シャーロックが加入。
- 9月、シングル「ザ・ショック・オブ・ザ・ ライトニング」リリース。
- 10月、アルバム『ディグ・アウト・ユア・ソウル』をリリース。イギリスではスタジオアルバムがデビュー作から7作連続で1位、アメリカでは『ビィ・ヒア・ナウ』以来11年ぶりのトップ10入りとなる5位を獲得。
- 2009年
- 3月、3年半ぶりとなる来日公演を敢行。それに伴い「ミュージック・ステーション」に出演。
- 6月、リアムがファッション・ブランド「Pretty Green」を設立。
- 7月、フジロック・フェスティバルのヘッドライナーを務める。
- 8月、ノエル・ギャラガーがフランスでの音楽フェスティバルへの出演直前に出演を取りやめ、公式ウェブサイト上で脱退を表明した[20]。これによりオアシスは解散した。
解散後
- 2009年
- 11月、リアムは残されたメンバー(リアム、ゲム、アンディ、クリス)と共に、新たに次のアルバムのレコーディングを行うことを発表。
- 2010年
- 1月、リアムは、次のアルバムに向けての新曲を数曲書き上げ、アルバムは2010年内にリリースすることを発表。また、当初はオアシスとして活動を継続する予定であったが、結局新たなバンド名で活動することを明らかにした。事実上、これがオアシスの解散宣言となった。
- 2月、ブリット・アワードにて、アルバム『モーニング・グローリー』で「過去30年間でのベスト・アルバム」を受賞。
- 5月、リアムは公式サイトなどにて新バンド名「ビーディ・アイ」を発表。
- 6月、初のシングル・コレクション『タイム・フライズ…1994-2009』を発表。これまで全てのアルバムに収録されていなかった「ホワットエヴァー」「ロード・ドント・スロー・ミー・ダウン」を含む全26曲(日本盤は全27曲、隠しトラックも含めると全28曲)が収録されている。UKチャート1位、日本ではオリコン初登場2位を記録。
- 2014年
- デビュー20周年を記念し、1994年~1997年の活動を振り返る「チェイシング・ザ・サン」プロジェクトが始動[注釈 4]。オアシス初期のアルバム『オアシス』『モーニング・グローリー』『ビィ・ヒア・ナウ』の3作のリマスター盤が連続リリースと発表。
- 5月、「チェイシング・ザ・サン」プロジェクトの第1弾として『オアシス』をリリース。
- 9月、「チェイシング・ザ・サン」プロジェクトの第2弾として『モーニング・グローリー』をリリース。
- 2016年
- 10月、「チェイシング・ザ・サン」プロジェクトの第3弾として『ビィ・ヒア・ナウ』がリリースされる。ドキュメンタリー映画「オアシス:スーパーソニック」が公開される。
- 2020年
- 4月、活動当時に作成されていた未発表デモ音源「ドント・ストップ…」が配信限定でリリース。
- 2021年
- 9月、「オアシス : ネブワース1996」がギャラガー兄弟の製作総指揮でドキュメンタリー映画化。
ディスコグラフィ
スタジオ・アルバム
ライブ・アルバム
コンピレーション・アルバム
日本公演
- 1994年 Definitely Maybe Tour
- 9月14日,15日,16日 - 渋谷クラブクワトロ
- 9月18日 - 大阪クラブクワトロ
- 9月19日 - 名古屋クラブクワトロ
- 1995年 (What's the Story) Morning Glory? Tour
- 8月21日,22日 - 川崎・CLUB CITTA'
- 8月23日 - 東京・LIQUIDROOM
- 8月25日,26日 - 東京・ガーデンホール
- 8月28日 - 大阪・松下IMPホール
- 8月29日 - 大阪・ベイサイドジェニー大阪
- 2000年 Standing on the Shoulder of Giants Tour
- 2001年 Standing On The Shoulder Of Giants Tour Continued/FUJIROCK FESTIVAL 2001
- 2002年 MTV THE SUPER DRY LIVE
- 2002年 Heathen Chemistry Tour
- 9月25日,26日,28日,29日 - 東京・代々木第一体育館
- 10月1日 - 福岡・マリンメッセ福岡
- 10月2日,3日 - 大阪・大阪城ホール
- 10月5日 - 仙台・仙台市体育館
- 10月7日 - 広島・広島サンプラザ
- 10月8日 - 名古屋・レインボーホール
- 2005年 Don't Believe the Truth Tour/SUMMER SONIC 2005
- 2005年 Don't Believe the Truth Tour
- 11月17日 - 大阪・大阪城ホール
- 11月18日,20日,21日 - 東京・代々木第一体育館
- 2009年 Dig Out Your Soul Tour
- 2009年 Dig Out Your Soul Tour/FUJIROCK FESTIVAL 09
その他
脚注
注釈
- ^ 日本語読みは「オアシス」だが、発音記号は「[əʊéɪsɪs]」または「[əʊˈeɪsɪs]」なので英語読みは「オウエイスィス」に近い。
- ^ ジョン・レノンについては諸説あり。
- ^ 現在は復帰している。
- ^ 公式サイトではこの4年間を「オアシスがデビューしてから世界的な現象になるまでの最重要期間」としている[21]。
出典
外部リンク