アブデルアズィーズ・ブーテフリカ (アラビア語 : عبد العزيز بوتفليقة 、Abdelaziz Bouteflika, 1937年 3月2日 - 2021年 9月17日 )は、アルジェリア の政治家。1999年から2019年まで20年にわたって同国大統領 を務めた。日本の外務省 のホームページではアブデラズィズ・ブーテフリカ と記載されている[1] 。
来歴
洞爺湖サミット 期間中、ロシアのメドベージェフ 大統領、アメリカのブッシュ 大統領、福田康夫 首相と共に(2008年7月7日、ザ・ウィンザーホテル洞爺リゾート&スパ にて)
生い立ち
1937年に現モロッコ王国 のウジダ で生まれた[2] 。1956年 、現地のリセ 卒業と同時に対仏解放闘争、民族解放軍 (ALN)に参加[2] 。
1962年 、アルジェリア独立と同時にベン・ベラ 政権で青年・スポーツ・観光相に25歳で就任。翌1963年 、今度は26歳で外相 に就任、「世界最年少の外相」と話題になる。しかしその後外相を解任されてしまう。1965年 にブーテフリカと親しいフワーリー・ブーメディエン がクーデター を起こし政権を握るが、きっかけはブーテフリカの解任に対するベン・ベラへの反発であったともいわれる。
クーデター後、新国際経済秩序 構想を主張したブーメディエン革命評議会議長のもと外相に復帰する。外相としては通算して16年間務め「アルジェリア外交の顔」であった。1974年 には37歳の若さで国連総会 の議長も務めている。総会議長として先進国 の反対を押し切って南ア の国連 からの追放とPLO の国連オブザーバー 参加を実現した[2] 。78年までアルジェリアを第三世界、非同盟の雄に押し上げた立て役者[2] 。ブーメディエンヌ 大統領死去後、後継者と噂されたが、1979年 、失脚。1980年 、政府より追放。1981年 、FLN中央委より追放[2] 。
大統領
92年シャドリ大統領辞任後、国家最高委員会の大臣顧問として挙げられるが辞退。94年には大統領候補にあがるが、再び辞退[2] 。1999年 の大統領選挙で全野党が「不正選挙」だとしてボイコットするなか、与党・民族解放戦線 (FLN)の候補者として出馬。73.8%の得票率を獲得して大統領に選出される。34年ぶりの文民大統領だった。2004年 4月8日の大統領選挙では、84.99%の得票率で他の5候補、アリ・ベンフリス (英語版 ) 前首相を破り再選された。引き続き社会安定のためのテロとの戦い、市場経済への移行のための民営化等を掲げる。身内を側近に配し、弟のサイド・ブーテフリカは大統領顧問を務める[2] 。
就任以来、司法、教育、および行政の3大改革のほか、社会の安定(治安と国民和解)と経済改革(市場経済の導入)を図っている[2] 。積極的な外交を進めG8を始めとする先進諸国との関係改善に取り組み、90年代の国内テロに襲われた「危機の10年」によって植え付けられたアルジェリアの国際社会におけるイメージの改善に取り組んだ[2] 。治安 が回復し、豊富な石油 や天然ガス の輸出により経済発展を成し遂げたが、依然として失業率 は高く、貧富の差は拡大している。また、資源による富も一部の政治家や軍、官僚にしか還元されていないと、野党などからは批判されている。
2008年 、憲法 の規定で2期5年とされる大統領任期が迫る中、長期政権を目指すため、憲法改正により任期を3期とするよう提案し、全野党が反対する中、議会で多数を占める大統領与党FLNの議員による賛成により憲法改正が承認された。この後の2008年7月に来日している。
2009年 4月9日に大統領選挙が行われ、野党から6人が立候補したが、90.24パーセントで、ブーテフリカは再選された。選挙戦では、野党候補の選挙ポスター が破られるなどの不正行為が起きた[3] 。国営メディアも、野党候補の集会や演説を放送しないなど、ブーテフリカ寄りの報道を行った。また、ブーテフリカに批判的なフランス の週刊誌 3誌を発禁処分にするなど、検閲 を強化している。
こうした批判の中、2011年にはチュニジア でのジャスミン革命 を皮切りに長期独裁政権への批判がアラブ諸国で広まり(アラブの春 )、アルジェリアでも騒乱が発生 しブーテフリカが批判の対象となる。同年2月24日には、1992年以来アルジェリアに19年間にわたって発令されてきた非常事態宣言を解除した[4] 。
2012年9月3日 、5月の国民議会選挙を受けた新内閣の首相にアブデルマーレク・セラール を任命した[5] 。
2013年 、脳梗塞 を患い車椅子 生活を余儀なくされる。以後、公の場に出る姿は極端に少なくなる[6] 。
2019年4月18日に予定されていた大統領選挙 (英語版 ) に出馬し5選を目指す意向を示していたが、国内で反対デモが相次いだため3月11日に出馬断念を表明。同時に大統領選挙の延期を発表したほか、ヌレディン・ベドゥイ (英語版 ) 内務大臣を新首相に任命した[7] 。同年4月1日、4月28日の任期満了までに大統領を退くことを発表[8] 。翌2日、正式に辞任した[9] 。これまで体制を支えていた軍部に追い込まれる形となった[10] 。
2021年9月17日午前9時(現地時間)頃、アルジェ郊外、ゼラルダ (英語版 ) の自宅で心不全のため死去[11] [12] 。84歳没。その5日後には、後継の大統領代行で国民評議会議長だったアブデルカデル・ベンサラー も後を追うように世を去った[13] 。
家族
長らく独身 であったが、1990年8月に結婚した。しかし子供はいない。ブーテフリカの家族問題はアルジェリアでタブーであるとされる。
人物
趣味
言語
その他
18歳でALNに参加し、高等教育を受ける機会は全くなかったにもかかわらず、深い教養に裏打ちされたその仏語は仏の最高レベルのインテリのそれであり、アラビア語についても格調が高すぎて一般アルジェリア人には良く理解されないとも言われる程[2] 。
脚注
^ アブデラズィズ・ブーテフリカ大統領
^ a b c d e f g h i j k l “アブデラジィズ・ブーテフリカ アルジェリア大統領略歴(H.E. M. Abdelaziz BOUTEFLIKA,President of the People's Democratic Republic of Algeria) ”. 外務省 (2013年3月). 2013年4月5日 閲覧。
^ 読売新聞 2009年4月9日付国際面記事
^ “アルジェリアが非常事態宣言を解除、反体制派に譲歩” . ロイター (ロイター ). (2011年2月25日). https://jp.reuters.com/article/worldNews/idJPJAPAN-19716720110225 2011年2月25日 閲覧。
^ “新首相にセラル氏指名 アルジェリア大統領” . 産経新聞. (2011年9月4日). https://web.archive.org/web/20120904234107/http://sankei.jp.msn.com/world/news/120904/mds12090413530003-n1.htm 2011年9月5日 閲覧。
^ “アルジェリア、6週連続の大規模抗議デモ 大統領側近らの退任も要求 ”. AFP (2019年3月30日). 2019年4月1日 閲覧。
^ “アルジェリア大統領、5選出馬撤回=抗議デモで転換、投票も延期” . 時事ドットコム . 時事通信社 . (2019年3月12日). https://web.archive.org/web/20190327091410/https://www.jiji.com/jc/article?k=2019031200202&g=int 2019年3月12日 閲覧。
^ “Le président algérien Abdelaziz Bouteflika démissionnera avant le 28 avril” . France 24 . (2019年4月2日). https://www.france24.com/fr/20190401-algerie-abdelaziz-bouteflika-demission-avant-28-avril-mandat-presidence 2019年4月3日 閲覧。
^ “アルジェリアで大統領が辞任 20年の長期政権に批判高まり” . BBC News . BBC . (2019年4月3日). https://www.bbc.com/japanese/47796417 2019年4月4日 閲覧。
^ 高橋雅英 (2021年9月21日). “アルジェリア:ブーテフリカ前大統領が死去 ”. 中東調査会. 2022年7月7日 閲覧。
^ “L’ancien président algérien Abdelaziz Bouteflika est mort” (フランス語). observalgerie.com . (2021年9月17日). https://observalgerie.com/2021/09/18/politique/mort-de-abdelaziz-bouteflika/ 2021年9月18日 閲覧。
^ “アブデルアジズ・ブーテフリカ氏死去 アルジェリア前大統領、84歳” . 時事通信社 . (2021年9月18日). https://web.archive.org/web/20210918014600/https://www.jiji.com/jc/article?k=2021091800233 2021年9月18日 閲覧。
^ “Algerian crisis interim president Bensalah dies aged 80” . ロイター . (2021年9月22日). https://www.reuters.com/world/africa/algerian-crisis-interim-president-bensalah-dies-aged-80-2021-09-22/ 2021年9月22日 閲覧。
外部リンク
アフリカ統一機構 (1963 - 2002) アフリカ連合 (2002 - )
1 代行。
1940年代 1950年代 1960年代 1970年代 1980年代 1990年代 2000年代 2010年代 2020年代