ゆってぃ(1977年1月25日 - )は、プロダクション人力舎に所属する日本のお笑い芸人(ピン芸人)。本名および旧芸名は藤堂 雄太(とうどう ゆうた)。「とーどーゆーた」という名義での活動も行っていた。東京都杉並区出身。身長174cm、血液型O型。妻はタレントで元グラビアアイドルの石川あんな[1]。
来歴
1995年にスクールJCAへ4期生として入学、当初はコンビ『マンブルゴッチ』のツッコミ担当として活動していた。しかし相方の川村龍俊がラッパーを目指すため[2]2002年に解散[3]。
マンブルゴッチ解散後、2003年にNSC東京校7期出身の寺崎仁人(現在は吉本興業へ移籍、コンビ『ガジラー』を経てピン芸人・寺崎ガザオとして活動中)とコンビ『ロケット』を結成し、同年6月に秋山潤(元プレパラート)が加入する形でトリオ『グーニーズ』となる。マンブルゴッチ時代と同じくツッコミだったが、2006年11月30日に解散。
しばらくして『とーどーゆーた』と名乗り、ピン芸人となる。ピン活動を始めて間もない頃は正統派漫談をやっていたが、ある日に人力舎のスタッフから呼び出され「漫談とかはいいのでアイドル路線で行け」と言われたことで、現在のゆってぃキャラが誕生した。第8回『R-1ぐらんぷり』では敗者復活戦にあたる「R-1ぐらんぷり2010サバイバルステージ」に進出し、6位(250点)であった。
芸風
「スーパーアイドルゆってぃ」というキャラクターに扮しての漫談を得意とする。
「辛いことがあってもそれがなになにー」「ゆってぃ、もう小さいことがあっても全く気にしないの」という台詞と共に最近起こった自虐的な出来事などから入り、「キョーレツゥ! チッチャイことは気にするな! それ、ワカチコ! ワカチコ!」で締める。本人は小さいことと称しているが、本人なりに大きく気にしていることを言う場合もある(人力舎の社長の眼中にもない、ネタの内容を全部MCにバラされる、など)。
ちなみに「なになにー」はマンブルゴッチ時代の元相方・川村発案のギャグで、「キョーレツゥ!」はロケット及びグーニーズ時代の元相方・寺崎が考えたもの。「なになにー」のギャグについて許可を貰う際、川村から「マンブルゴッチのギャグは、全部おまえのものだから」と背中を押されたという[4]。その後は同じような自虐ネタながらも、オチの台詞を「○○が強め~!」に変えて締めることもある。これは同期の角田晃広(東京03)がナンパをしていた時の女性の発言に由来する[4]。
衣装は全盛期の西城秀樹をイメージした派手なものだったが、楽屋で盗まれた。そのため少年隊っぽくしようとなり、現在の衣装に至る。「ワカチコ」は少年隊『デカメロン伝説』のイントロから引用し、「ゆってぃ」の設定も少年隊の2期後輩となっている。「ワカチコ」は「若さ・力・根性」を意味する。
「ゆってぃ」のキャラ以外もやりたいという理由により、2008年8月27日放送の『爆笑レッドカーペット』(フジテレビ)で「ゆってぃ」名義で出演してからもしばらく芸名を変えていなかったが、同年9月18日深夜放送の『アンタッチャブルのシカゴマンゴ』(TBSラジオ)内で正式に芸名を「ゆってぃ」へと変更した。かつては、プロダクション人力舎の公式プロフィールにおいて、名義が「ゆってぃ(とーどーゆーた)」と併記される形になっていた。
『レッドカーペット』初出演時、本人は「とーどーゆーた」名義で出演する予定だったが香盤表に「ゆってぃ」と表記されていたため、「ああ、俺、『ゆってぃ』って名前なんだ」と初めて認識していた(なお、ゆってぃと命名したのは山崎弘也(アンタッチャブル))[5]。また本人はカタカナ表記の「ユッティー」だと思っていたが、以降はひらがな表記となった[4]。
マンブルゴッチ時代からゆってぃを知るバカリズムは、ゆってぃのコンビ時代は芸人とは思えないお洒落な風貌でネタも正統派だったため、アイドルキャラで登場した時は非常に驚かされ「最終手段」だと思って受け止めたという[3]。ブレイク前に何度かライブで共演しているカンニング竹山によると、コンビ時代は「どちらかというと突っ張った芸風」で今のような芸風はゆってぃ自身が嫌っていた。
人物
出演番組
バラエティ
テレビドラマ
Webドラマ
インターネットラジオ
映画
脚注
外部リンク