ISSAY(イッセイ、本名:藤崎一成[1]、1962年7月6日 - 2023年8月5日)は、日本の歌手、作詞家、俳優、パントマイミスト。静岡県出身。
プロフィール
1962年7月6日、長男として生まれる。
高校在学中、谷川俊太郎の詩集を読み、詞を書き始める[2]。友人からレコードを借りたデヴィッド・ボウイをはじめに、ルー・リード、ドアーズ、セックス・ピストルズなどを聴き、T・レックスを聴いたのをきっかけに音楽の道を志す[3]。大学進学とともに上京。ミュージシャンとして、ソロ活動をはじめ、DER ZIBETを中心に多数のバンドやユニットに参加する。音楽活動と並行して、映画やテレビドラマにも出演。また、1983年よりパントマイミスト望月章に師事し、望月の公演活動にも参加[4]。
2023年8月5日、不慮の事故により急逝[5]。61歳没。翌2024年、死去の半年後に当たる2月5日に追悼・献花の会が執り行われ[6][7]、また誕生日である7月6日には『ISSAY gave life to FLOWERS - a tribute to Der Zibet -』と題され60名を越えるアーティストによる追悼盤となるDER ZIBETのトリビュートアルバムがリリースされた[8][9]。
キャリア
ミュージシャンとして
19歳の頃、初めてのバンドISSAY and SUICIDESを結成、その後ソロ名義で活動[10]。
1985年、DER ZIBETとしてシングル『待つ歌』でデビュー[11]。
1991年、TATSUYAと、打ち込みによるユニット・HAMLET MACHINEを結成。
1994年、初のソロ・アルバム『FLOWERS』を発表。
1998年、広瀬さとしらとΦ()を結成し、ミニ・アルバム『PhI』を発表。2000年、Φ解散。
2003年、元SHI-SHONENの福原まりとともにネオ・キャバレー・ミュージックをコンセプトにしたISSAY meets DOLLYを結成。
2004年、X JAPANのHEATHらとLynxを結成。2007年、Lynx解散。
2013年、土屋昌巳率いるKA.F.KAに参加。
俳優として
1985年、手塚眞監督作品『星くず兄弟の伝説』で映画デビュー。この時、プロデューサーであった近田春夫に見初められ、DER ZIBETデビューへと繋がる[12]。
映画
オリジナルビデオ
- ダンディーとわたし(1991年2月1日、日本ビデオ映画、監督:神代雅喜) - 片岡平助 役
ミュージカル
テレビドラマ
パントマイミストとして
望月章に師事し、1983年より舞台を踏む[13]。
- 1983年
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- 1984年
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- 1985年
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- 1986年
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- 1987年
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- 1990年
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- TALES OF HOFFMAN -ホフマン物語- ※1993年に再演
- 1993年
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- Jean et Jean -ただ一度の- ※1994年に再演
- 1994年
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- 1995年
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- 1996年
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- 1997年
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- 1998年
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- 1999年
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- 草迷宮
- MANHATTAN RHAPSODY -New York-
- 2005年
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- 2006年
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- 2007年
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ディスコグラフィ
アルバム・シングルいずれもカバー作品
アルバム
シングル
発売日
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タイトル
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規格
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規格品番
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発売元
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収録曲
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1994年8月24日
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あかずの踏切り
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8センチCD
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BVDR-278
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BMGビクター
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- あかずの踏切り
- FLOWERS
- あかずの踏切り(SONGLESS VERSION)
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1995年2月22日
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いとしのマックス
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12センチCD
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BVCR-8804
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- いとしのマックス Extended Version
- いとしのマックス Distorted Tokyo Version
- いとしのマックス New York Version
- いとしのマックス Plugged Version
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参加作品
オムニバス / サウンドトラック
その他
脚注
出典
外部リンク