| この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 出典検索?: "DShK38重機関銃" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2021年7月) |
DShK38重機関銃(DShK38じゅうきかんじゅう、ロシア語: ДШК:Дегтярёва-Шпагина Крупнокалиберный、デグチャレフ=シュパーギン大口径)は、ソビエト連邦製の重機関銃である。
愛称はDushka(デューシカ、デーシカ)で、ベトナムでこれと遭遇したアメリカ軍は、Dush-K(ダッシュK)などと呼んだ。
概要
DShK38重機関銃は第二次世界大戦以降ソビエト連邦軍の標準重機関銃として使用されている。この重機関銃はヴァシーリー・デグチャレフが基礎設計を行い、ゲオルギー・シュパーギンが装弾機構を改良した。1946年には給弾機構に改良を加えたDShK1938/46(DShKM)が開発され、T-54・T-55・T-62の砲塔上などに搭載された。
その後、ソビエト連邦軍ではDShKは新型でより軽量なNSV重機関銃に更新されて退役したが、DShKは中国(54式重機槍/54式重機関銃)・ルーマニア・パキスタンでライセンス生産されているほか、多くが東側諸国や共産ゲリラ組織への軍事援助に供与された。
また、多くのDShKがアフリカや中東などの地域紛争において、ピックアップトラックなどの荷台に搭載して使用されることも多い。
開発・運用
ソビエト連邦軍は1929年に対空用大口径重機関銃の開発を開始した。初期開発はデグチャレフが担当し、1930年に完成したこの重機関銃は"DK"と呼称されていた。しかし、DK重機関銃は給弾機構が30連発ドラムマガジンであるが故にすぐに弾切れを起こしたため、1933年-1935年にかけて少数が製造されるに留まった。シュパーギンは、DK重機関銃の給弾機構をベルト式に変更した改良型を設計し、1939年に"DShK1938"として採用された。
一般的なソ連・ロシアのベルト給弾式機関銃は銃の右側から給弾されるように設計されていることが多いが、DShKは西側諸国の機関銃と同様に左側から給弾されるように設計されている[1]。
DShK1938は多目的に運用される。三脚などに搭載したり、GAZ-AA トラックに3丁搭載しての対空任務や、IS-2重戦車やSU-152自走砲・T-40水陸両用軽戦車などに搭載されての歩兵支援などに使用された。
DShKの三脚はPM1910重機関銃の銃架と同様に牽引用の二輪と防盾が付いており、この銃架は車輪を取り外した後に脚を展開して対空用の三脚架として用いることも可能である。
2014年クリミア危機以降、ウクライナ軍は一部のDShk38を肩撃ち式の歩兵支援用火器に改装して運用している。銃身に大型マズルブレーキと二脚、機関部の後ろにピストルグリップと銃床が追加され、光学照準器を装着することも可能。
-
アフガニスタンにおいて防衛
陣地に設置されているDShK
-
対空用
照準器と肩当てを装着した54式重機槍(
アルバニアが運用していたもの)
-
-
-
ウクライナ軍のDShKM-TK機関銃。
登場作品
脚注・出典
関連項目