1970年ドイツグランプリ

西ドイツ 1970年ドイツグランプリ
レース詳細
1970年F1世界選手権全13戦の第8戦
ホッケンハイムリンク (1970–1981)
日程 1970年8月2日
正式名称 XXXII Großer Preis von Deutschland
開催地 ホッケンハイムリンク
西ドイツの旗 西ドイツ ホッケンハイム
コース 恒久的レース施設
コース長 6.789 km (4.218 mi)
レース距離 50周 339.45 km (210.9 mi)
決勝日天候 曇(ドライ)[1]
ポールポジション
ドライバー フェラーリ
タイム 1:59.5
ファステストラップ
ドライバー ベルギー ジャッキー・イクス フェラーリ
タイム 2:00.5 (50[2]周目)
決勝順位
優勝 ロータス-フォード
2位 フェラーリ
3位 マクラーレン-フォード

1970年ドイツグランプリ (1970 German Grand Prix) は、1970年のF1世界選手権第8戦として、1970年8月2日ホッケンハイムリンクで開催された。

レースは50周で行われ、ロータスヨッヘン・リントが2番手スタートから優勝した。フェラーリジャッキー・イクスが2位、マクラーレンデニス・ハルムが3位となった。

背景

ドイツGP前年までニュルブルクリンクで開催されていたが、同サーキットの安全性についてグランプリ・ドライバーズ・アソシエーション(GPDA)から要求が出されていた。しかし、主催者が安全対策を怠ったことから、GPDAがニュルブルクリンクでのレースを拒否したため、土壇場でホッケンハイムリンクに変更された[3]。ホッケンハイムリンクは1968年ジム・クラークF2レースで事故死した後、シケインを2ヶ所設置する改修を行っていた[4]

エントリー

ブルース・マクラーレンの死後、急遽マクラーレンに加わったダン・ガーニーだったが、ガーニーとマクラーレンのスポンサーが競合した[注 1]問題により、チームを離脱せざるを得なかった[5]。これに伴い、ピーター・ゲシンが同チームのレギュラードライバーとなった[3]フェラーリは2台目の312Bイグナツィオ・ギュンティクレイ・レガツォーニの2人で交互に走らせていたが、レガツォーニが前戦イギリスGPで2戦連続の4位入賞を果たした実績を買い、続けて彼を起用した[6]。地元出身のフーベルト・ハーネ英語版は自らマーチ・701を購入して参戦する[7]

エントリーリスト

チーム No. ドライバー コンストラクター シャシー エンジン タイヤ
イギリスの旗 ティレル・レーシング・オーガニゼーション 1 イギリスの旗 ジャッキー・スチュワート マーチ 701 フォードコスワース DFV 3.0L V8 D
23 フランスの旗 フランソワ・セベール
イギリスの旗 ゴールドリーフ・チーム・ロータス 2 オーストリアの旗 ヨッヘン・リント ロータス 72C フォードコスワース DFV 3.0L V8 F
16 イギリスの旗 ジョン・マイルズ
17 ブラジルの旗 エマーソン・フィッティパルディ 49C
イギリスの旗 モーターレーシング・ディベロップメンツ・リミテッド 3 オーストラリアの旗 ジャック・ブラバム ブラバム BT33 フォードコスワース DFV 3.0L V8 G
イギリスの旗 アウト・モトール・ウント・シュポルト 21 西ドイツの旗 ロルフ・シュトメレン
イギリスの旗 ブルース・マクラーレン・モーターレーシング 4 ニュージーランドの旗 デニス・ハルム マクラーレン M14A フォードコスワース DFV 3.0L V8 G
24 イギリスの旗 ピーター・ゲシン
20 イタリアの旗 アンドレア・デ・アダミッチ M14D アルファロメオ T33 3.0L V8
イギリスの旗 マーチ・エンジニアリング 5 ニュージーランドの旗 クリス・エイモン マーチ 701 フォードコスワース DFV 3.0L V8 F
12 スイスの旗 ジョー・シフェール
イギリスの旗 ヤードレー・チーム・BRM 6 メキシコの旗 ペドロ・ロドリゲス BRM P153 BRM P142 3.0L V12 D
18 イギリスの旗 ジャッキー・オリバー
19 カナダの旗 ジョージ・イートン 1
イギリスの旗 チーム・サーティース 7 イギリスの旗 ジョン・サーティース サーティース TS7 フォードコスワース DFV 3.0L V8 F
フランスの旗 エキップ・マトラ・エルフ 8 フランスの旗 ジャン=ピエール・ベルトワーズ マトラ MS120 マトラ MS12 3.0L V12 G
14 フランスの旗 アンリ・ペスカロロ
イギリスの旗 ブルックボンド・オクソ・レーシング/ロブ・ウォーカー 9 イギリスの旗 グラハム・ヒル ロータス 49C フォードコスワース DFV 3.0L V8 F
イタリアの旗 スクーデリア・フェラーリ SpA SEFAC 10 ベルギーの旗 ジャッキー・イクス フェラーリ 312B フェラーリ 001 3.0L F12 F
15 スイスの旗 クレイ・レガツォーニ
アメリカ合衆国の旗 STPコーポレーション 11 アメリカ合衆国の旗 マリオ・アンドレッティ マーチ 701 フォードコスワース DFV 3.0L V8 F
イギリスの旗 コーリン・クラッベ・レーシング 22 スウェーデンの旗 ロニー・ピーターソン マーチ 701 フォードコスワース DFV 3.0L V8 G
イギリスの旗 フランク・ウィリアムズ・レーシングカーズ 25 イギリスの旗 ブライアン・レッドマン デ・トマソ 505 フォードコスワース DFV 3.0L V8 D
西ドイツの旗 フーベルト・ハーネ 26 西ドイツの旗 フーベルト・ハーネ マーチ 701 フォードコスワース DFV 3.0L V8 F
スイスの旗 シルビオ・モーザー・レーシングチーム 27 スイスの旗 シルビオ・モーザー ベラシ F1 70 フォードコスワース DFV 3.0L V8 G
ソース:[8]
追記
  • ^1 - イートンはエントリーを拒否された[9]

予選

本レースの決勝進出台数は21台で、ロニー・ピーターソンシルビオ・モーザーアンドレア・デ・アダミッチブライアン・レッドマンフーベルト・ハーネ英語版の5人を除くドライバーに対し、自動的に決勝へ進出できる権利を与えた[10]

高速サーキットのホッケンハイムリンクであったが、パワーに優るフェラーリ・312Bよりもエアロダイナミクスとハンドリングに優れたロータス・72の方が圧倒的に有利であると見られていた。しかし、フェラーリのエースであるジャッキー・イクスロータスのエースであるヨッヘン・リントを上回ってポールポジションを獲得し、チームメイトのクレイ・レガツォーニも3番手となり、ジョー・シフェールとともに2列目を得た[6]アンリ・ペスカロロクリス・エイモンが3列目を占め、前年度王者のジャッキー・スチュワートは7番手に終わった[3]

予選結果

順位 No. ドライバー コンストラクター タイム グリッド
1 10 ベルギーの旗 ジャッキー・イクス フェラーリ 1:59.5 - 1
2 2 オーストリアの旗 ヨッヘン・リント ロータス-フォード 1:59.7 +0.2 2
3 15 スイスの旗 クレイ・レガツォーニ フェラーリ 1:59.8 +0.3 3
4 12 スイスの旗 ジョー・シフェール マーチ-フォード 2:00.0 +0.5 4
5 14 フランスの旗 アンリ・ペスカロロ マトラ 2:00.5 +1.0 5
6 5 ニュージーランドの旗 クリス・エイモン マーチ-フォード 2:00.9 +1.4 6
7 1 イギリスの旗 ジャッキー・スチュワート マーチ-フォード 2:01.0 +1.5 7
8 6 メキシコの旗 ペドロ・ロドリゲス BRM 2:01.1 +1.6 8
9 11 アメリカ合衆国の旗 マリオ・アンドレッティ マーチ-フォード 2:01.5 +2.0 9
10 16 イギリスの旗 ジョン・マイルズ ロータス-フォード 2:01.6 +2.1 10
11 21 西ドイツの旗 ロルフ・シュトメレン ブラバム-フォード 2:01.6 +2.1 11
12 3 オーストラリアの旗 ジャック・ブラバム ブラバム-フォード 2:02.0 +2.5 12
13 17 ブラジルの旗 エマーソン・フィッティパルディ ロータス-フォード 2:02.0 +2.5 13
14 23 フランスの旗 フランソワ・セベール マーチ-フォード 2:02.1 +2.6 14
15 7 イギリスの旗 ジョン・サーティース サーティース-フォード 2:02.1 +2.6 15
16 4 ニュージーランドの旗 デニス・ハルム マクラーレン-フォード 2:02.1 +2.6 16
17 24 イギリスの旗 ピーター・ゲシン マクラーレン-フォード 2:02.2 +2.7 17
18 18 イギリスの旗 ジャッキー・オリバー BRM 2:02.3 +2.8 18
19 22 スウェーデンの旗 ロニー・ピーターソン 1 マーチ-フォード 2:02.4 +2.9 19
20 25 イギリスの旗 ブライアン・レッドマン 1 デ・トマソ-フォード 2:02.7 +3.2 DNQ
21 9 イギリスの旗 グラハム・ヒル ロータス-フォード 2:03.0 +3.5 20
22 20 イタリアの旗 アンドレア・デ・アダミッチ 1 マクラーレン-アルファロメオ 2:03.0 +3.5 DNQ
23 8 フランスの旗 ジャン=ピエール・ベルトワーズ マトラ 2:05.2 +5.7 21
24 27 スイスの旗 シルビオ・モーザー 1 ベラシ-フォード 2:06.2 +6.7 DNQ
25 26 西ドイツの旗 フーベルト・ハーネ 1 マーチ-フォード 2:07.1 +7.6 DNQ
ソース:[11][12]
追記
  • 決勝進出台数は21台に制限[10]
  • ^1 - シード権から外れたドライバー。1台(ピーターソン)のみ決勝進出[10]

決勝

ジャッキー・イクスはスタートでヨッヘン・リントからリードし、ジョー・シフェールクレイ・レガツォーニクリス・エイモンが合流して先頭集団を形成した。この5人によるスリップストリームはシフェールが遅れを取るまで続き、周回ごとに順位を入れ替えていった[3]。レガツォーニは22周目にリードを奪って初のラップリーダーとなったが、31周目にギアボックスが壊れてスピンオフしてリタイアし、5周後にエイモンのエンジンが壊れてリタイアしたため[13]、リントとイクスの一騎打ちとなった。残り2周になってリントがリードし、両者は0.7秒の差でフィニッシュラインを超えた。デニス・ハルムは3位となったが、2人から1分20秒遅れであった[3]。リントはロータス・72の性能に感動するあまり、優勝の栄冠を自らの手で受け取ろうとはせず、「このマシンに乗れば、誰でも勝てましたよ」と穏やかに語った[14]

リントは4連勝を挙げ、母国グランプリとなる次戦オーストリアGPを前に、ランキング2位のジャック・ブラバムに20点差を付けた[3]。そして、結果的にこれが最後の優勝、表彰台、入賞、完走となった[14][15]

レース結果

順位 No. ドライバー コンストラクター 周回数 タイム/リタイア原因 グリッド ポイント
1 2 オーストリアの旗 ヨッヘン・リント ロータス-フォード 50 1:42:00.3 2 9
2 10 ベルギーの旗 ジャッキー・イクス フェラーリ 50 +0.7 1 6
3 4 ニュージーランドの旗 デニス・ハルム マクラーレン-フォード 50 +1:21.8 16 4
4 17 ブラジルの旗 エマーソン・フィッティパルディ ロータス-フォード 50 +1:55.1 13 3
5 21 西ドイツの旗 ロルフ・シュトメレン ブラバム-フォード 49 +1 Lap 11 2
6 14 フランスの旗 アンリ・ペスカロロ マトラ 49 +1 Lap 5 1
7 23 フランスの旗 フランソワ・セベール マーチ-フォード 49 +1 Lap 14
8 12 スイスの旗 ジョー・シフェール マーチ-フォード 47 イグニッション 4
9 7 イギリスの旗 ジョン・サーティース サーティース-フォード 46 エンジン 15
Ret 9 イギリスの旗 グラハム・ヒル ロータス-フォード 37 エンジン 20
Ret 5 ニュージーランドの旗 クリス・エイモン マーチ-フォード 34 エンジン 6
Ret 15 スイスの旗 クレイ・レガツォーニ フェラーリ 30 ギアボックス/エンジン[1] 3
Ret 16 イギリスの旗 ジョン・マイルズ ロータス-フォード 24 エンジン 10
Ret 1 イギリスの旗 ジャッキー・スチュワート マーチ-フォード 20 エンジン 7
Ret 11 アメリカ合衆国の旗 マリオ・アンドレッティ マーチ-フォード 15 ギアボックス 9
Ret 22 スウェーデンの旗 ロニー・ピーターソン マーチ-フォード 11 エンジン 19
Ret 6 メキシコの旗 ペドロ・ロドリゲス BRM 7 イグニッション 8
Ret 18 イギリスの旗 ジャッキー・オリバー BRM 5 エンジン 18
Ret 3 オーストラリアの旗 ジャック・ブラバム ブラバム-フォード 4 オイル漏れ 12
Ret 8 フランスの旗 ジャン=ピエール・ベルトワーズ マトラ 4 サスペンション 21
Ret 24 イギリスの旗 ピーター・ゲシン マクラーレン-フォード 3 スロットル 17
DNQ 25 イギリスの旗 ブライアン・レッドマン デ・トマソ-フォード 予選不通過
DNQ 20 イタリアの旗 アンドレア・デ・アダミッチ マクラーレン-アルファロメオ 予選不通過
DNQ 27 スイスの旗 シルビオ・モーザー ベラシ-フォード 予選不通過
DNQ 26 西ドイツの旗 フーベルト・ハーネ マーチ-フォード 予選不通過
ソース:[16]
優勝者ヨッヘン・リントの平均速度[9]
199.667 km/h (124.067 mph)
ファステストラップ[2]
ラップリーダー[17]
太字は最多ラップリーダー

第8戦終了時点のランキング

  • : トップ5のみ表示。前半7戦のうちベスト6戦及び後半6戦のうちベスト5戦がカウントされる。

脚注

注釈

  1. ^ 当時、マクラーレンはガルフ石油とパートナーシップ契約を結んでいたが、ガーニーはカストロールと契約していた。

出典

  1. ^ a b (林信次 1995, p. 131)
  2. ^ a b Germany 1970 - Best laps”. STATS F1. 2020年1月4日閲覧。
  3. ^ a b c d e f German GP, 1970”. grandprix.com. 2020年1月3日閲覧。
  4. ^ 2つのホッケンハイムリンク”. The Official Ferrari Magazine (2016年9月8日). 2020年1月3日閲覧。
  5. ^ (ダグ・ナイ 1989, p. 141,212)
  6. ^ a b (アラン・ヘンリー 1989, p. 256)
  7. ^ (林信次 1995, p. 112)
  8. ^ Germany 1970 - Race entrants”. STATS F1. 2020年1月4日閲覧。
  9. ^ a b German 1970 - Result”. STATS F1. 2020年1月4日閲覧。
  10. ^ a b c Germany 1970”. STATS F1. 2020年1月3日閲覧。
  11. ^ Germany 1970 - Qualifications”. STATS F1. 2020年1月4日閲覧。
  12. ^ Germany 1970 - Starting grid”. STATS F1. 2020年1月4日閲覧。
  13. ^ (アラン・ヘンリー 1989, p. 256-257)
  14. ^ a b (アラン・ヘンリー 1989, p. 257)
  15. ^ 戦績:J.リント”. F1 DataWeb. 2020年1月4日閲覧。
  16. ^ 1970 German Grand Prix”. formula1.com. 28 September 2014時点のオリジナルよりアーカイブ。22 December 2015閲覧。
  17. ^ Germany 1970 - Laps led”. STATS F1. 2020年1月4日閲覧。
  18. ^ a b Germany 1970 - Championship”. STATS F1. 18 March 2019閲覧。

参照文献

  • Wikipedia英語版 - en:1970 German Grand Prix(2019年3月18日 12:45:34(UTC))
  • 林信次『F1全史 1966-1970 [3リッターF1の開幕/ホンダ挑戦期の終わり]』ニューズ出版、1995年。ISBN 4-938495-06-6 
  • アラン・ヘンリー『チーム・フェラーリの全て』早川麻百合+島江政弘(訳)、CBS・ソニー出版、1989年12月。ISBN 4-7897-0491-2 
  • ダグ・ナイ『チーム・マクラーレンの全て』森岡成憲(訳)、CBS・ソニー出版、1989年12月。ISBN 4-7897-0491-2 

外部リンク

前戦
1970年イギリスグランプリ
FIA F1世界選手権
1970年シーズン
次戦
1970年オーストリアグランプリ
前回開催
1969年ドイツグランプリ
西ドイツの旗 ドイツグランプリ 次回開催
1971年ドイツグランプリ

Strategi Solo vs Squad di Free Fire: Cara Menang Mudah!