1965年の広島カープ

1965年の広島カープ
成績
セントラル・リーグ5位
59勝77敗4分 勝率.434[1]
本拠地
都市 広島県広島市
球場 広島市民球場
球団組織
監督 白石勝巳(7月23日まで)
長谷川良平(7月24日から)
« 1964
1966 »

テンプレートを表示

1965年の広島カープでは、1965年の広島カープの動向についてまとめる。

この年の広島カープは、2回目の白石勝巳監督体制の3年目(途中就任の1953年含み、通算13年目)のシーズンである。

概要

白石監督は、あまり大口を叩かない人だったが[2]、珍しく就任3年目の日南キャンプで「一度優勝してみたい」と意気込んでシーズン開幕を迎え[2]、4月は一度首位に立つなど健闘した[2]今津光男が加入したことで、今津を一塁に、古葉竹識を二塁に、阿南準郎を三塁に定着でき、内野守備が充実した[2]。また投手陣は、大石清池田英俊安仁屋宗八先発組竜憲一リリーフも当初はいい形になっていた[2]。また最大の要因として、この年遠征に飛行機を利用することになったことが挙げられる[2]。前年までカープの遠征は全て汽車で、それも他球団が一等に対してカープは二等[2]。「どだいワシらが勝てるわけがない」というヘンな劣等感に凝り固まっていた[2]。肉体的な疲労度が全然違うのは当たり前だが、なぜそれまでやらなかったかといえば、言うまでもなく貧乏だったからである[2]。「広島といえば12球団一の低給料」というイメージは当時からすっかり定着していた[2]。今後の飛行機利用も「オールスター戦のときまで優勝可能な線に残っていることが条件」とフロントから通達されていたといわれ、以降の飛行機利用については不明[2]。5月以降巨人が独走状態に入ったのに対してチームは6月時点で巨人に11ゲームも付けられて成績不振に陥り、白石監督は休養。後半戦から長谷川良平投手コーチが監督に就任し、チームの指揮を執ることになった。しかし、35歳の長谷川青年監督には荷が重たかったのか一度も4位に上がることはなく、59勝77敗4分の借金18で5位に終わり優勝の巨人には31ゲームも離された。投手陣では大羽進や池田、安仁屋などがそれなりの成績を収めたものの、エース大石清が不振にあえいだ。打撃陣では古葉や森永勝也大和田明などがそれなりの成績を残したが、後の選手は不調だった。10月2日の阪神戦でルーキー外木場義郎が初勝利をノーヒットノーランで飾ったのが唯一の明るい話題だった。計3度の日本記録を持つ外木場のこれが1度目だった[3]

チーム成績

レギュラーシーズン

開幕オーダー
1 古葉竹識
2 阿南準郎
3 山本一義
4 興津達雄
5 大和田明
6 藤井弘
7 漆畑勝久
8 久保祥次
9 大石清
1965年セントラル・リーグ順位変動
順位 4月終了時 5月終了時 6月終了時 7月終了時 8月終了時 9月終了時 最終成績
1位 大洋 -- 大洋 -- 巨人 -- 巨人 -- 巨人 -- 巨人 -- 巨人 --
2位 広島 0.5 巨人 0.5 阪神 4.0 阪神 2.5 阪神 5.5 中日 7.5 中日 13.0
3位 阪神 1.0 阪神 2.0 大洋 4.5 大洋 5.0 中日 6.5 阪神 10.5 阪神 19.5
4位 巨人 1.0 中日 4.0 中日 6.0 中日 9.0 大洋 10.0 大洋 17.5 大洋 23.0
5位 中日 5.0 広島 5.0 広島 11.0 広島 10.5 広島 16.5 広島 25.0 広島 31.0
6位 サンケイ 7.5 サンケイ 9.5 サンケイ 11.5 サンケイ 24.0 サンケイ 30.5 サンケイ 38.5 サンケイ 45.5


1965年セントラル・リーグ最終成績
順位 球団 勝率
1位 読売ジャイアンツ 91 47 2 .659 優勝
2位 中日ドラゴンズ 77 59 4 .566 13.0
3位 阪神タイガース 71 66 3 .518 19.5
4位 大洋ホエールズ 68 70 2 .493 23.0
5位 広島カープ 59 77 4 .434 31.0
6位 サンケイスワローズ 44 91 5 .326 45.5

[1]

選手・スタッフ

オールスターゲーム1965

ファン投票 選出なし
監督推薦 安仁屋宗八 山本一義

表彰選手

リーグ・リーダー
受賞者なし
ベストナイン
選出なし

ドラフト

順位 選手名 守備 所属 結果
1位 佐野真樹夫 内野手 専修大学 入団
2位 白石静生 投手 四国鉄道管理局 入団
3位 鎌田豊 外野手 法政大学 入団
4位 水谷実雄 投手 宮崎商業高 入団
5位 河端良二 投手 伏見工業高 拒否・大阪商業大学進学
6位 山元二三男 内野手 鹿児島照国高 入団
7位 竹野吉郎 外野手 駒澤大学 入団
8位 福島久 捕手 PL学園高 拒否
9位 上柏徳治 内野手 崇徳高 拒否
10位 石原昌美 投手 電電琉球 拒否
11位 宇都宮勝 投手 専修大学 拒否・電電関東入社
12位 矢崎健治 投手 巨摩高 入団
13位 沖本光昭 外野手 呉港高 拒否
14位 杵島永至 外野手 香椎高 拒否
15位 池田重喜 投手 日本鉱業佐賀関 拒否
16位 山本真一 内野手 専修大学中退 入団
17位 川内雄富 外野手 広陵高中退 入団
18位 下村栄二 投手 名古屋商科大学中退 入団

脚注

出典

  1. ^ a b 年度別成績 1965年 セントラル・リーグ”. 日本野球機構. 2017年5月12日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j k 「スタンドの目 首位をねらう広島の秘密 ー飛行機利用が好調の因という見方ー」『週刊文春』1965年5月17日号、文藝春秋、16頁。 
  3. ^ 外木場 義郎(そとこば よしろう)”. 野球殿堂博物館. 2024年3月24日閲覧。

Strategi Solo vs Squad di Free Fire: Cara Menang Mudah!