1955年の広島カープでは、1955年シーズンについての広島カープの動向についてまとめる。
この年の広島カープは、白石勝巳選手兼任監督の3年目のシーズンである。
概要
白石監督3年目、そして球団創設6年目を迎えたチームはアメリカ・カリフォルニア出身で日系二世の平山智を獲得。平山は銭村健四・銭村健三兄弟などに次ぐ、日系人選手の第4号であり金山次郎や小鶴誠らのベテラン組が衰えた中で主に3番を打ち、チームに大きく貢献した。投手陣では大黒柱の長谷川良平が30勝を上げる活躍を見せ、チーム勝ち星の大半を長谷川1人で稼いだ。肝心の成績は4月に最下位に落ちると、6月まで大洋との最下位争いが続いた。大洋が大型連敗を繰り返した7月以降は国鉄とのBクラス首位争いとなり最後は4位に浮上したが借金を返済できず、優勝の巨人に33ゲーム以上、2位中日に18ゲーム以上も離されてシーズンを終えた。
チーム成績
レギュラーシーズン
1955年セントラル・リーグ順位変動
順位
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4月終了時
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5月終了時
|
6月終了時
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7月終了時
|
8月終了時
|
9月終了時
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最終成績
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1位
|
大阪 |
--
|
巨人 |
--
|
巨人 |
--
|
巨人 |
--
|
巨人 |
--
|
巨人 |
--
|
巨人 |
--
|
2位
|
巨人 |
0.0
|
中日 |
3.5
|
大阪 |
9.0
|
中日 |
5.5
|
中日 |
7.5
|
中日 |
15.5
|
中日 |
15.0
|
3位
|
中日 |
0.5
|
大阪 |
6.0
|
中日 |
9.0
|
大阪 |
14.5
|
大阪 |
17.5
|
大阪 |
18.5
|
大阪 |
20.5
|
4位
|
国鉄 |
4.0
|
国鉄 |
10.0
|
国鉄 |
17.0
|
国鉄 |
21.5
|
国鉄 |
25.5
|
広島 |
32.0
|
広島 |
33.5
|
5位
|
大洋 |
4.0
|
大洋 |
12.0
|
広島 |
23.0
|
広島 |
23.5
|
広島 |
28.5
|
国鉄 |
32.5
|
国鉄 |
34.5
|
6位
|
広島 |
6.5
|
広島 |
13.5
|
大洋 |
26.0
|
大洋 |
35.0
|
大洋 |
46.0
|
大洋 |
53.0
|
大洋 |
61.5
|
[1]
選手・スタッフ
オールスターゲーム1955
表彰選手
脚注
出典
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1950年代 | |
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1960年代 | |
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1970年代 | |
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1980年代 | |
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1990年代 | |
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2000年代 | |
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2010年代 | |
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2020年代 | |
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