1955年のオールスターゲームは、1955年7月に行われた日本プロ野球のオールスターゲーム。
概要
前年、初めて日本選手権を制した中日ドラゴンズの天知俊一監督が前年の日本シリーズ後に退任したため、セ・リーグ2位の読売ジャイアンツ(巨人)の水原円裕監督が全セ(オールセントラル・リーグ)を率いた。全パ(オールパシフィック・リーグ)は、前年パ・リーグを制した西鉄ライオンズの三原脩監督が率いた。オールスター監督は5度目の水原に対し三原は初監督で、水原・三原の巌流島対決がオールスターの場でも実現した。
第1戦、全セ先発の西村一孔(大阪)は3回で打者10人から6奪三振の快投を演じたものの、唯一抑えられなかった全パの主砲・山内一弘(毎日)に本塁打を打たれて敗戦投手になってしまい、全セは完封負けを喫してしまった。続く第2戦は全セが小技を繰り出し、9得点で大勝した。なお、2試合とも近畿地方のフランチャイズ球場を使った。
選出選手
- 太字はファン投票で選ばれた選手、▲は出場辞退選手発生による補充選手。
試合結果
第1戦
オーダー
パシフィック |
打順 | 守備 | 選手
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1 | [中] | 別当薫 |
2 | [二] | 岡本伊三美 |
3 | [三] | 中西太 |
4 | [右] | 大下弘 |
5 | [左] | 山内一弘 |
6 | [捕] | ルイス |
7 | [一] | 榎本喜八 |
8 | [投] | 宅和本司 |
9 | [遊] | 木塚忠助 |
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セントラル |
打順 | 守備 | 選手
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1 | [左] | 金田正泰 |
2 | [遊] | 吉田義男 |
3 | [右] | 渡辺博之 |
4 | [一] | 西沢道夫 |
5 | [中] | 田宮謙次郎 |
6 | [二] | 白坂長栄 |
7 | [三] | 広岡達朗 |
8 | [捕] | 徳網茂 |
9 | [投] | 西村一孔 |
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第2戦
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1 |
2 |
3 |
4 |
5 |
6 |
7 |
8 |
9 |
R |
H |
E |
全パ
| 3 |
0 |
0 |
1 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
4 |
6 |
2 |
全セ
| 0 |
0 |
3 |
0 |
2 |
0 |
4 |
0 |
X |
9 |
11 |
3 |
- パ:宅和、植村(毎)、●西村(西)、米川、荒巻、大津(西)-ルイス、筒井敬(南)、日比野(西)
- セ:西村、金田、長谷川、○大友(巨)、別所(巨)-徳網、広田(巨)
- 勝利:大友(1勝)
- 敗戦:西村(1敗)
- 本塁打
パ:中谷(西)1号(ソロ・長谷川)
セ:西沢(中)1号(2ラン・植村)・2号(2ラン・西村) - 審判
[球審]二出川(パ)
[塁審]国友(セ)・角谷(パ)・円城寺(セ)
[外審]横沢三(パ)・島(セ) - 試合時間:2時間34分
オーダー
パシフィック |
打順 | 守備 | 選手
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1 | [中] | 別当薫 |
2 | [二] | 岡本伊三美 |
3 | [三] | 中西太 |
4 | [右] | 大下弘 |
5 | [左] | 山内一弘 |
6 | [捕] | ルイス |
7 | [一] | 榎本喜八 |
8 | [投] | 宅和本司 |
9 | [遊] | 木塚忠助 |
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セントラル |
打順 | 守備 | 選手
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1 | [左] | 与那嶺要 |
2 | [遊] | 吉田義男 |
3 | [右] | 渡辺博之 |
4 | [一] | 西沢道夫 |
5 | [中] | 田宮謙次郎 |
6 | [三] | 広岡達朗 |
7 | [二] | 白坂長栄 |
8 | [捕] | 徳網茂 |
9 | [投] | 西村一孔 |
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テレビ・ラジオ中継
テレビ中継
- 第1戦:7月2日
- 第2戦:7月3日
- NHKテレビ 実況:志村正順 解説:小西得郎
- 日本テレビ 実況:越智正典
- KRテレビ 実況:近江正俊 解説:大和球士
- 当時大阪地区では民放局は開局していなかったため、民放の中継は関東地区でしか視聴できなかった。
- 同年4月1日に開局したKRテレビにとって、初めてのプロ野球中継がこのオールスターゲーム第1戦であった。
ラジオ中継
- 第1戦:7月2日
- 第2戦:7月3日
- NHKラジオ第2 実況:鈴木文彌 解説:杉村正一郎
- ラジオ東京(毎日放送製作) 実況:杉本隆平 解説:中澤不二雄
- 文化放送(朝日放送製作) 実況:村上守
- 日本短波放送(中継録音〈19:10から放送〉)
脚注
- ^ a b 『オールスターゲームの軌跡 DREAM GAMES HISTORY since 1951』(2001年、ベースボール・マガジン社)、P.70
- ^ a b 町田が内野から外野に移ったため、コーチから編入。『オールスターゲームの軌跡 DREAM GAMES HISTORY since 1951』(2001年、ベースボール・マガジン社)、P.70
- ^ a b 負傷のためコーチに就任。『オールスターゲームの軌跡 DREAM GAMES HISTORY since 1951』(2001年、ベースボール・マガジン社)、P.70
- ^ 金田正泰が負傷のため、内野から外野に編入。『オールスターゲームの軌跡 DREAM GAMES HISTORY since 1951』(2001年、ベースボール・マガジン社)、P.70
- ^ 『オールスターゲームの軌跡 DREAM GAMES HISTORY since 1951』(2001年、ベースボール・マガジン社)、P.71-72
関連項目
外部リンク
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1960年代 | |
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1970年代 | |
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1980年代 | |
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1990年代 | |
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2000年代 | |
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