1955年の国鉄スワローズ(1955ねんのこくてつスワローズ)では、1955年の国鉄スワローズの動向をまとめる。
この年の国鉄スワローズは、藤田宗一監督の2年目のシーズンである。
概要
宇野光雄の移籍もあり1953年の最下位から5位に浮上したチームだが、新戦力は宇野に続いて巨人から移籍してきた小松原博喜だけで、ほとんど変わらなかった。とはいえ、投手陣は金田正一のほか、大脇照夫や田所善治郎も控えるなど盤石で、チームは6年目にして待望のAクラス入りが期待された。しかし、金田・田所らの投手陣を打線が見殺しにする傾向は変わらず、8月までは4位につけていたが、徐々に失速。最後は優勝の巨人に34.5ゲーム差、2位の中日には19ゲームも離される惨敗で、9月以降は広島にも抜かれ、5位に終わった。
投手陣はチーム防御率2.69で4位と健闘。打撃陣は町田行彦が31本で初の本塁打王に輝き、佐藤孝夫も24本塁打を放つなど、巨人をしのぐ93本塁打でリーグ1位。小松原も29二塁打でリーグトップを記録したが、中軸打者の箱田淳、宇野光雄の不振もあり、チーム打率は.227とふるわなかった。
シーズン終了後、藤田監督は責任を取り辞任。後任は宇野光雄が選手兼任監督で就任した。宇野新監督の下、チームの再構築を始めていく。
チーム成績
レギュラーシーズン
1955年セントラル・リーグ順位変動
順位
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4月終了時
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5月終了時
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6月終了時
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7月終了時
|
8月終了時
|
9月終了時
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最終成績
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1位
|
大阪 |
--
|
巨人 |
--
|
巨人 |
--
|
巨人 |
--
|
巨人 |
--
|
巨人 |
--
|
巨人 |
--
|
2位
|
巨人 |
0.0
|
中日 |
3.5
|
大阪 |
9.0
|
中日 |
5.5
|
中日 |
7.5
|
中日 |
15.5
|
中日 |
15.0
|
3位
|
中日 |
0.5
|
大阪 |
6.0
|
中日 |
9.0
|
大阪 |
14.5
|
大阪 |
17.5
|
大阪 |
18.5
|
大阪 |
20.5
|
4位
|
国鉄 |
4.0
|
国鉄 |
10.0
|
国鉄 |
17.0
|
国鉄 |
21.5
|
国鉄 |
25.5
|
広島 |
32.0
|
広島 |
33.5
|
5位
|
大洋 |
4.0
|
大洋 |
12.0
|
広島 |
23.0
|
広島 |
23.5
|
広島 |
28.5
|
国鉄 |
32.5
|
国鉄 |
34.5
|
6位
|
広島 |
6.5
|
広島 |
13.5
|
大洋 |
26.0
|
大洋 |
35.0
|
大洋 |
46.0
|
大洋 |
53.0
|
大洋 |
61.5
|
オールスターゲーム1955
できごと
選手・スタッフ
[2]
表彰選手
ベストナイン
|
選手名 |
ポジション |
回数
|
町田行彦 |
外野手 |
初受賞
|
出典
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1950年代 | |
---|
1960年代 | |
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1970年代 | |
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1980年代 | |
---|
1990年代 | |
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2000年代 | |
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2010年代 | |
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2020年代 | |
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