1954年の国鉄スワローズ(1954ねんのこくてつスワローズ)では、1954年の国鉄スワローズの動向をまとめる。
この年の国鉄スワローズは、藤田宗一監督の1年目のシーズンである。
概要
西垣徳雄前監督の辞任を受け、スワローズ黎明期からの主力選手だった藤田宗一監督が就任。また、前年まで巨人の主軸でのちにスワローズの3代目監督となる宇野光雄が金銭トレードで移籍。宇野は巨人戦にめっぽう強く、前年最下位だったチームの5位躍進に貢献した。チームは宇野の加入もあり、出足の悪かった前年と違って、佐藤孝夫や町田行彦、金田正一といった主力選手の活躍で5月には首位の中日に4ゲーム差と迫った。しかし、毎年恒例の貧打はこの年も解消されず徐々に成績が低下。最終的に借金を前年から大きく減らし、最下位の大洋松竹を突き放したものの優勝の中日に32ゲームも離され、広島との4位争いに敗れて5位で終了した。打撃陣は宇野の加入、佐藤・町田らの活躍に加え、打者へ転向した箱田弘志が開幕から好調で、二塁手で規定打席へ到達。打率.323で球団創設初の3割打者(打撃ベストテン4位)となり、三塁手の宇野と共に球団初のベストナインに選ばれた。チーム打率も.258とリーグ3位で優勝の中日を若干上回ったが、本塁打が61本でリーグ5位、盗塁数も105でリーグ5位、また併殺打も118でリーグ1位、失策も168個でリーグ最下位とアンバランスが見られた。投手陣は金田の活躍でリーグ2位の630奪三振、防御率も3.34と健闘したが被本塁打は85と、狭い後楽園がフランチャイズゆえの結果となった。
チーム成績
レギュラーシーズン
1954年セントラル・リーグ順位変動
順位
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4月終了時
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5月終了時
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6月終了時
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7月終了時
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8月終了時
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9月終了時
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最終成績
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1位
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巨人 |
--
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中日 |
--
|
巨人 |
--
|
巨人 |
--
|
中日 |
--
|
中日 |
--
|
中日 |
--
|
2位
|
中日 |
1.5
|
巨人 |
0.0
|
中日 |
3.0
|
中日 |
4.0
|
巨人 |
1.5
|
巨人 |
6.0
|
巨人 |
5.5
|
3位
|
大阪 |
2.5
|
大阪 |
2.0
|
大阪 |
6.5
|
大阪 |
8.0
|
大阪 |
10.0
|
大阪 |
15.0
|
大阪 |
16.0
|
4位
|
国鉄 |
5.0
|
国鉄 |
4.0
|
国鉄 |
7.5
|
国鉄 |
13.0
|
国鉄 |
22.0
|
広島 |
26.0
|
広島 |
29.5
|
5位
|
広島 |
10.0
|
広島 |
7.5
|
広島 |
13.5
|
広島 |
15.5
|
広島 |
22.0
|
国鉄 |
27.0
|
国鉄 |
32.0
|
6位
|
洋松 |
11.0
|
洋松 |
19.0
|
洋松 |
26.5
|
洋松 |
31.5
|
洋松 |
43.5
|
洋松 |
51.0
|
洋松 |
55.0
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オールスターゲーム1954
できごと
選手・スタッフ
[2]
表彰選手
出典
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1950年代 | |
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1960年代 | |
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1970年代 | |
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1980年代 | |
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1990年代 | |
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2000年代 | |
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2010年代 | |
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2020年代 | |
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