1950年フランスグランプリ (XXXVII GRAND PRIX DE L'A.C.F.) は、1950年のF1世界選手権第6戦として、1950年7月2日にランス・グーで開催された。
レース概要
合計22台の車がエントリーしたが,4台がスタートしなかった。ジャフランコ・コモッティはイベント自体に参加しなかった。ユージェン・シャブーは自身の車でスタートせず、代わりにフィリップ・エタンセランのタルボ・ラーゴを共有した。スクーデリア・フェラーリの2台、ルイジ・ヴィッロレージとアルベルト・アスカリはプラクティスを撤退した。
ファンジオはプラクティスラップで116mphという速度を記録した。フェラーリは3リッターカーをスタートさせず、彼らの主な対抗馬は12気筒のタルボであった。しかしながらラジエターの問題とオーバーヒートに苦しみ、ファンジオとファジオーリのデモンストレーションランを許してしまった。もう1台のアルファ、ファリーナは燃料ポンプの問題に苦しんだ。ピーター・ホワイトヘッドは最後の2周でヘッドガスケットを損傷したにもかかわらず、3位に入って価値のある表彰台を得た。
エントリーリスト
- ^1 - フィリップ・エタンセランはタルボ・ラーゴ16番車で予選と決勝26ラップを走行した。ユージェン・シャブーは自身の車で予選に出たがスタートせず、エタンセランの車を引き継いで33ラップを走行した[3]。
- ^2 - シャルル・ポジーはタルボ・ラーゴ26番車で予選と決勝14ラップを走行した。ルイ・ロジェは自身の車でリタイアした後、ポジーの車を引き継ぎ42ラップを走行した[3]。
- ^3 - デヴィッド・ハンプシャーはマセラティ34番車で予選を走行し、決勝もリタイアまで走行した。デヴィッド・マレーは同車の予備ドライバーと指定されていたが、グランプリでは走行しなかった[4]。
予選
スターティンググリッド
決勝
*Ret:リタイア
記録
- ポールポジション: ファン・マヌエル・ファンジオ - 2:30.6
- ファステストラップ: ファン・マヌエル・ファンジオ - 2:35.6
- ラップリーダー:
- ジュゼッペ・ファリーナ (1-16周目)
- ファン・マヌエル・ファンジオ (17-64周目)
- 車両共有ドライバー
- Car #16: フィリップ・エタンセラン (26周) , ユージェン・シャブー (33周)
- Car #26: シャルル・ポジー (14周) , ルイ・ロジェ (42周)
第6戦終了時点でのランキング
- 注:トップ5のみ表示。ベスト4戦のみがカウントされる。
参照