1885年(明治18年)にアメリカ合衆国からイギリス・ロンドンに移住したバート・エイカーズは、写真家であったが、1895年(明治28年)には映画の撮影機「キネティックカメラ」を開発、映画作家になり、その過程で1898年、家庭用の小型映画の撮影・複写・映写の兼用機とそのためのフィルム規格「バータック」を発表した[1][2]。幅17.5mmの世界初のフィルム規格「バータック」は、パーフォレーション穴が1フレームあたり2個の片側穿孔タイプであった[1][2]。翌1899年(明治32年)、同じくロンドンのアルフレッド・ダーリング(英語版)がアルフレッド・レンチとともに、映画の撮影・複写・映写および写真撮影の兼用機「バイオカム」(英語: Biokam)を開発、アマチュアおよびセミプロ市場向けとした[2]。「バイオカム」のフィルムは、パーフォレーション穴が1フレームあたり1個のフレーム間穿孔タイプであった。さらに翌年の1900年(明治33年)には、同じくロンドンで、W・C・ヒューズが「ラ・ペティート」(フランス語: La Petite, ラ・プティットの英語読み)を発表、これも「バイオカム」同様、フィルムはパーフォレーション穴が1フレームあたり1個のフレーム間穿孔タイプであった。