鹿野 幸子(かの さちこ、1933年4月20日[1] - 2005年10月16日)は、日本の彫刻家。
愛知県出身。愛知県立津島高等学校を1952年(昭和27年)に卒業(4回生)し、上京してその年女子美術大学彫刻科に入学し同大学を1956年(昭和31年)卒業した[2]。
女子美術大学を卒業した後、大学に残り同大学教授、同大学名誉教授を務めた[3]。
母校の教授を務めながら二科展役員を務めた[2]。
2005年10月16日、胃癌のため東京都足立区の自宅で死去、72歳没[4]。
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