鮫島 晃太(さめしま こうた、1992年6月24日 - )は、鹿児島県枕崎市出身[1] の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはミッドフィールダー。
鹿児島生まれの鹿児島育ちであり、鹿児島城西高等学校1年次の2008年度には、全国高校サッカー選手権大会で準優勝を経験。同年代の柴崎岳、小島秀仁らとともに、いわゆる「プラチナ世代」屈指の選手として注目され、U-17日本代表候補、U-19日本代表候補にも選出された[2]。しかし、主力の一人だった2009年のFIFA U-17ワールドカップ日本代表メンバーからは、スペイン遠征後に参加した三重フェスティバル中に負った半月板損傷の大怪我によって落選[3]。
怪我をした練習試合の相手がサンフレッチェ広島ユースだったことから、リハビリに際して広島が練習施設を全面提供し、怪我が治った後も広島の練習にしばしば参加することになる。横浜F・マリノスなど複数のJクラブによる争奪戦が展開されたが、結局これが縁となり、2011年よりサンフレッチェ広島とプロ契約を結んだ。
2012年6月6日に行われた、ナビスコ杯第5節ベガルタ仙台戦にて、プロ初スタメン初出場を果たした。
2013年5月11日、ガイナーレ鳥取へ期限付き移籍[4]。
2014年、AC長野パルセイロへ期限付き移籍[5]。
2015年を以て広島、長野ともに契約満了となり、2016年に藤枝MYFCに完全移籍[6]。2021年11月30日、契約満了による退団が発表された[7]。同年12月9日、フクダ電子アリーナで行われたJリーグ合同トライアウトに出場[8]。
2022年、九州サッカーリーグのヴェロスクロノス都農へ加入した[9]。
2023年12月4日、契約満了による退団が発表された[10]。
2024年1月10日、現役引退を発表した[11]。
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