音声学(おんせいがく、羅: phonetica、英: phonetics)とは、音声について科学的に研究する言語学の一分野である。
概要
音声学は、音声の正確な観察とその記述、および音声が生じる過程や機構の解明をねらいとしており、「人間が音声を使ってコミュニケーションをとる時に何が起きているか」を科学的に研究する学問である。1) 発音、2) 空気振動による伝播、3) 聴き取り、という観点から、調音音声学、音響音声学、聴覚音声学の三分野に分けられ研究されている。言語学の立場や方法には調音音声学を中心に用いる。
また、発声器官に関する医学的研究も音声学に含まれることがある。
歴史
調音音声学は人類史の中で非常に長い歴史を持っている。その発端は、紀元前4~5世紀に古代インドで行われていたサンスクリット語の研究であるとされている。
16世紀~18世紀には、イギリスで古典的な音声学が誕生し、19世紀から発達した[1]。この頃に活躍したイギリスの音声学の研究者として、Sir Isaac Pitman, Alexander John Ellis, Alexander Melville Bell, Henry Sweetが挙げられる。Ellisは、phoneticsという用語を初めて使用し、Sweetはイギリスの伝統的な音声学である英国学派音声学(British School of Phonetics)を確立させた。
20世紀以降、英国学派音声学はイギリス・ロンドンのユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドン(UCL)音声学科を中心に発展した。UCL音声学科教授のJohn Christopher Wells(現・名誉教授)は、1912年、UCLにイギリスで最初の音声学科を開設したDaniel Jonesの後継者として、20世紀で最も高名な音声学者である。
なお、UCLに開設された音声学科は、2008年1月にその幕を閉じ、心理学言語科学専攻人間コミュニケーション科学科に統合されている。
音声学と音韻論の違い
島岡・佐藤(1987)によれば、音声学は、音声の正確な観察とその記述、および音声が生じる過程や機構の解明をねらいとしている。一方、音韻論は、言語体系に占める音声の位置づけ、およびその役割や機能に関する事柄を解明することをねらいとしている[2]。
音声学と音韻論の一般的な定義は以下のとおりである。
- 音声学
- 普遍的で、世界中に通じる一つの音声学がある。
「音声がどうやって作られ、どのように伝わり、どのように理解することが出来るか」を科学的、客観的に研究する学問。音声学的に捉えた音の最小単位を「単音」という。
- 音韻論
- 言語固有の物で、それぞれの言語ごとの音韻論がある。
ある言語で、「音声がどのように並べられ、どのように入れ替わり、どのように意味を持った上で区別するか」、音声学的に捉えられた音の異なりを「意味の区別に役立つか否か」という観点から研究し、音声の位置づけ、およびその役割や機能に関する事柄を解明することをねらいとする。
また、音韻論において、音声学的な違いはどうであれ、心理的な実在として、母語話者にとって同じと感じられ、また意味を区別する働きをする音声上の最小単位となる音を「音素」という。また、音声学的に異なるとされる、物理的な音を「異音」という。
例えば日本語では、「さんばい(三倍)」「さんだい(三台)」「さんかい(三回)」の3つの語において、日本語話者はこれらの「ん」を「同じ音」として認識している。しかし、実際に発音してみると、さんばい[sambai]、さんだい[sandai]、さんかい[saŋkai]となり、「ん」の音声が[m][n][ŋ]のように異なっていることが分かる。このとき、日本語において[m][n][ŋ]は同じ音素/N/の異音である、といえる。
そして、音声学と音韻論の分離に貢献したのが、プラハ学派(プラーグ学派)である。この学派は、ソシュールのラングとパロールの区別に影響を受け、音声におけるラングの研究として、音韻論の確立に努めた。プラハ学派によれば、音声におけるパロールを研究するのが音声学であり、ラングを研究するのが音韻論ということになる。
但し、音韻と音素の違いについては、研究者によって意見が異なる。音韻と音素は同じであるとする立場[3]や、音韻の最小単位が音素であるとする立場[4]、音韻を論じるために必要な単位の一つに音素があるとする立場[5]などがある。
音声表記
音韻論で抽出した有限の音素 (phoneme) はスラッシュ / / の間に入れて音韻表記するが、音声学における物理的な異音 (allophone) は国際音声記号 (IPA) を始めとした音声記号を角括弧 [ ] で囲んで単音表記する。
IPAは、言語音の区別の研究が進んだり、新たな言語音が発見されたり、またより精度の高い表記を目指すに伴って、たびたび更新されている。
- 例:「ホワイト」
- 英語表記:white
- 音韻表記:/wīt/ /hwayt/ /hwīt/ など
- 単音表記:[waɪt]、[ʍaɪt] など[注 1]
音声記号はIPAの他にも、コンピュータ上での記述に適したX-SAMPAやキルシェンバウム、各言語固有の音声記号が存在し、米語[6]、ウラル語学[7]や印欧語学固有の記号等、目的に合わせて様々な音声記号が考案されている。
しかし一方で、精度の高い表記(精密表記)には限界があるとして、音声表記を絶対視するのは危険であると主張する立場もある[8]。
脚注
注釈
出典
- ^ 小泉保『音声学入門』大学書林, p2
- ^ 島岡 丘、佐藤 寧『最新の音声学・音韻論 - 現代英語を中心に -』(初版)研究社出版株式会社、1987年5月8日、1.1 音声学と音韻論頁。
- ^ 城生・福森・斎藤『音声学基本事典』勉誠出版、2011年8月}、179-180頁。
- ^ 沖森・木村・陳・山本『図解日本語』三省堂、2006年9月、12-18頁。
- ^ 斎藤純男『日本語音声学入門[改訂版]』三省堂、2011年11月、157-159頁。
- ^ ARPABET
- ^ ウラル音声記号(英語版)
- ^ 風間・上野・松村・町田『言語学[第二版]』東京大学出版会、2004年9月}、224-227頁。
参考文献・URL
- 荻野綱男『現代日本語学入門』明治書院, 2018年
- 萩野仁志・後野仁彦『「医師」と「声楽家」が解き明かす発声のメカニズム』音楽之友社,2004年
- 沖森卓也・木村義之・陳力衛・山本慎吾『図解日本語』三省堂, 2006年
- 風間喜代三・上野善道・松村一登・町田健『言語学[第二版]』東京大学出版会, 2004年
- 川原繋人『ビジュアル音声学』三省堂, 2018年
- J.C.キャットフォード『実践音声学入門』竹林滋・設楽優子・内田洋子 訳,大修館書店,2006年
- 小泉保『音声学入門』大学書林,1996年
- 小泉保『改訂 音声学入門』大学書林,2003年
- 斎藤純男『日本語音声学入門[改訂版]』三省堂, 2011年
- 島岡丘・佐藤寧『最新の音声学・音韻論-現代英語を中心に-』研究社出版,1987年
- 城生佰太郎・福盛貴弘・斎藤純男『音声学基本事典』勉誠出版, 2011年
- Ladefoged, Peter and Sandra F. Disner (2012) Vowels and Consonants, Wily-Blackwell, 『母音と子音:音声学の世界に踏み出そう』田村幸誠・貞光宮城訳、開拓社、2021年. ISBN 978-4-7589-2286-9
- 英語の発音ビデオガイド[リンク切れ]
- 東京外国語大学言語モジュール
関連項目
共通
言語学関連
- 子音
- 国際音声記号 - 子音
- 母音
-
記号が二つ並んでいるものは、左が
非円唇、右が
円唇。
- 国際音声記号 - 母音