阿閦如来[注 1](あしゅくにょらい、梵: Akṣobhya, アクショーブヤ)は、大乗仏教における信仰対象である如来の一尊[3]。東方の現在仏[4]。阿閦仏(あしゅくぶつ)ともいう[3]。漢訳仏典では阿閦婆などとも音写し、無動(無動如来)[5]、無瞋恚[3]、無怒、不動[6]などと訳す[4]。
後期密教においては、無上瑜伽タントラの各経典の主尊と同一視されながら、曼荼羅において中尊とされ、阿閦金剛(あしゅくこんごう、梵: Akṣobhyavajra, アクショーブヤ・ヴァジュラ)の名で呼ばれる。
三昧耶形は五鈷金剛杵。種字はウーン(हूं [hūṃ])[7]。真言はオン・アキシュビヤ・ウン[7]。密号は不動金剛[4]。
「阿閦仏国経」(『大宝積経』第六不動如来会)によれば、[要出典]昔、東方の阿比羅提(あびらだい、梵: Abhirati(アビラティ)。妙喜・善快と訳す)という国に現れた大目(不動如来会には広目と記される)如来のところで無瞋恚・無婬欲の願を発し修行して、東方世界で成仏したといわれる[4]。阿閦仏はその国土で説法中であるという[4]。
梵名のアクショーブヤとは「揺れ動かない者」という意味で、この如来の悟りの境地が金剛(ダイヤモンド)のように堅固であることを示す[6]。
大乗仏教の空思想を説いた『維摩経』の主人公維摩居士も、阿閦仏国より来生したとされている[8]。
阿閦如来は密教における金剛界五仏(五智如来)の一尊で[3]、金剛界曼荼羅では大日如来の東方(画面では大日如来の下方)に位置する。唯識思想でいう「大円鏡智」(だいえんきょうち)を具現化したものとされる。また胎蔵界の東方、宝幢如来と同体と考えられている。印相は、右手を手の甲を外側に向けて下げ、指先で地に触れる「触地印」(そくちいん、「降魔印:ごうまいん」とも)を結ぶ。これは、釈迦が悟りを求めて修行中に悪魔の誘惑を受けたが、これを退けたという伝説に由来するもので、煩悩に屈しない堅固な決意を示す[6]。
日本の仏教(主に真言宗と天台宗)では、五大明王のうち東方に位置する降三世明王を阿閦如来の化身とする[9]。また、同じく東方を仏国土とする薬師如来と同一視されることもある[10]。
日本における阿閦如来の彫像は、五仏(五智如来)の一尊として造像されたものが大部分であり、阿閦如来単独の造像や信仰は稀である。重要文化財指定品で阿閦如来と称されているものには、奈良・法隆寺大宝蔵殿南倉安置の木造坐像、和歌山・高野山親王院の銅造立像がある。
空海が開創した高野山金剛峯寺金堂(旧堂は1926年に焼失)の本尊は阿閦如来と伝承されていたが、薬師如来とする説もあり、さらには阿閦と薬師は同体であるとする説もあった[11]。同像は古来から完全な秘仏であったことに加え、1926年の火災で焼失してしまったため、その像容は不明である[11]。
インド仏教の後期に主流となった後期密教においては、忿怒形(ふんぬぎょう)の護法尊が多数信仰されるようになった。また後期密教では最高位の仏(本初仏、勝初仏)が、大日如来から、法身普賢、金剛薩埵、持金剛仏等へと変化していった。また阿閦如来は阿閦金剛として、無上瑜伽タントラ各経典の主尊と同一視されつつ、曼荼羅の中尊を担うようになった。特に『秘密集会タントラ』と結びつけられることが多く、青色の歓喜仏(ヤブユム)の姿で、タンカなどの美術品に描かれることが多い。イスラム教の台頭と仏教の衰退を背景として成立した、インド仏教・後期密教の終末期の経典である『カーラ・チャクラ(時輪)タントラ』でも、護法尊を統括する本初仏として阿閦金剛仏たる阿閦如来が主尊である。時輪タントラでは、シャンバラは阿閦如来の変化身である忿怒尊ヘーヴァジュラ(英語版)仏(呼金剛仏、喜金剛仏)[12]を本尊とするカーラ・チャクラで満ちているとされ、無上不動の信仰・智慧を得ることが説かれる。
インド後期密教の流れを受け継ぐチベット仏教やネパールの仏教では、阿閦如来は単独で広く信仰され、造像例も多い[13]。
初期 - 中期 - 後期 - インド - チベット - 中国 - 日本
東寺真言宗※ - 高野山真言宗※ - 真言宗善通寺派※ - 真言宗醍醐派※ - 真言宗御室派※ - 真言宗大覚寺派※ - 真言宗泉涌寺派※ - 真言宗山階派※ - 信貴山真言宗※ - 真言宗中山寺派※ - 真言三宝宗※ - 真言宗須磨寺派※ - 真言宗東寺派
新義真言宗※ - 真言宗智山派※ - 真言宗豊山派※ - 真言宗室生寺派
真言律宗※
(日本)天台宗
如来 - 菩薩 - 明王 - 天
即身成仏 三密 入我我入 曼荼羅 護摩 東密(古義 - 広沢流 小野流)・新義
『大日経』・『金剛頂経』・『蘇悉地経』・『理趣経』