長崎県立佐世保東翔高等学校(ながさきけんりつ させぼとうしょうこうとうがっこう, Nagasaki Prefectural Sasebo Tosho High School)は、長崎県佐世保市重尾町の高台にある公立高等学校。略称は「東翔」。
1998年(平成10年)4月に総合学科校となり、佐世保東商業高等学校から佐世保東翔高等学校に改称した。[1]
概要
- 歴史
- 1949年(昭和24年)に設置された長崎県立川棚高等学校江上分校と長崎県立北松高等学校中里分校を前身とする。この2校が統合され、1955年(昭和30年)に「長崎県立早岐高等学校」、1962年(昭和37年)に「長崎県立佐世保東商業高等学校」と改編・改称を経た後、1998年(平成10年)総合学科校への改編に伴い、現校名となった。
- 校名の由来
- 東は旧校名の「佐世保東商業高等学校」の中に入っている文字であり、同時に太陽の昇る方角を表し、新時代の幕開けをたとえることができる。よって新しい時代に対応し、創造性豊かで、たくましい精神を持ち、高い理想を掲げ、空翔る鳥のように、未来に向かって個性的に生き生きと活躍してほしいという願いがこめられている
- 設置課程・コース
- 全日制課程 総合学科
- 2・3年時に以下の5系列より自分の進路達成に必要な科目や興味・関心のある科目を中心に授業を選択し、必修科目とともに所定の単位を取得する。(単位制)
- 1. 人文国際系列 - 国語・英語を中心に読解力や語学力を高める。
- 2. 自然科学系列 - 理科・数学を中心に自然科学の分野を系統的に学び、進展する科学技術に対応する知識・技能を身につける。
- 3. ビジネス・観光系列 - 簿記・情報処理等の商業高校で学習する科目に加え、観光についての基本的な知識・技能を身につける。
- 4. 生活・福祉系列 - 福祉や家庭生活に関する科目で、基礎的な知識・技能を身につける。
- 5. 芸術文化系列 - 音楽・美術・書道の専門科目で、技術の向上を目指す。
- 校訓
- 「創造」 ~新しい感覚と柔らかい発想で常に道を切り開き創造性豊かなたくましい人であれ~
- 校章
- 1998年(平成10年)に総合学科校となり、佐世保東翔学校へ改称される際、新しい校章が制定された。生徒・職員に図案が募集され、美術教諭によって図案化された。概観は日の出の光を目指して飛翔する鳥と「東翔」という文字を、日の光が円となって包んでいる。
- 校歌
- 作詞は風木雲太郎[2]、作曲は寺崎良平[3]による。3番まであり、各番とも「東翔 東翔 わが母校」で終わる。
- 同窓会
- 「柏東会」と称している。
沿革
- 長崎県立川棚高等学校江上分校
- 1949年(昭和24年)
- 1950年(昭和25年)2月18日 - 昼間普通課程(修業年限4年)を設置。
- 1951年(昭和26年)
- 1952年(昭和27年)2月29日 - 川棚高等学校本校で第1回卒業式を挙行。
- 1954年(昭和29年)
- 1955年(昭和30年)
- 長崎県立北松高等学校中里分校
- 1949年(昭和24年)
- 1954年(昭和29年)4月1日 - 希望者が少なかったため、農業課程1学級(定員40名)と農村家庭課程1学級(定員40名)を1学級(農業課程20名+農村家庭課程20名)に改編。
- 1955年(昭和30年)3月31日 - 川棚高等学校江上分校との統合・早岐高等学校の新設に伴い、中里分校を閉校。ただし早岐高等学校中里教室として、校舎は継続使用。
- 長崎県立早岐高等学校
- 1955年(昭和30年)
- 4月1日 - 川棚高等学校江上分校と北松高等学校中里分校が統合され、佐世保市早岐町に「長崎県立早岐高等学校」(昼間定時制 普通課程1学級)が設立。
- 5月14日 - 開校。
- 1956年(昭和31年)
- 1957年(昭和32年)
- 3月20日 - 大蔵省国有財産中央審議会において、旧軍港市転換法に基づき、元・佐世保海軍軍需部早岐倉庫敷地を無償で譲渡することが議決される。
- 3月31日 - 中里教室が廃止され、農業科が早岐高等学校本校に設置される。なお旧・中里教室は佐世保市立中里中学校に譲渡。
- 6月25日 - 校訓(「自主自律・至誠勤勉・敬愛親和」)を制定。
- 8月21日 - 校歌を制定。作詞は校歌制定委員会、作曲は竹沢貞次郎による。歌詞は3番まである。
- 1962年(昭和37年)3月31日 - 早岐高等学校としての生徒募集を停止。
- 1965年(昭和40年)
- 2月25日 - 早岐高等学校最後の卒業式が佐世保東商業高等学校第1回卒業式とともに挙行。
- 3月31日 - 早岐高等学校が閉校。
- 長崎県立佐世保東商業高等学校
- 長崎県立佐世保東翔高等学校
- 1998年(平成10年)4月1日 - 商業科、情報処理科を総合学科へ改編。同時に校名変更し、長崎県立佐世保東翔高等学校(現校名)となる。
- 2004年(平成16年)10月30日 - (早岐高等学校の設立年から数えて)創立50周年記念式典を挙行。
- 2005年(平成17年)4月1日 - 総合学科[10]、1学年5学級編成となる。
学校行事
- 前期
- 4月 - 前期始業式、入学式、PTA入会式、新入生宿泊研修、歓迎遠足
- 5月 - 高総体壮行会
- 6月 - (高総体壮行会)高総体、第1回考査
- 7月 - 校内球技大会、夏季補習
- 8月 - 高3夏季補習、中学生1日体験入学、平和学習(9日 長崎原爆の日)
- 9月 - 体育祭、東翔祭(文化祭)、生徒会役員選挙、第2回考査(~10月)
- 10月前半 - 前期終業式、秋休み
- 後期
- 10月中間 - 後期始業式
- 11月 - 県総文祭、開校記念日(22日)、マラソン大会、第3回考査(~12月)
- 12月 - 冬季補習
- 1月 - 高3冬季補習、高3大学入試センター、高2修学旅行、高3第4回定期考査
- 2月 - 高校推薦入試、高1・2第4回定期考査
- 3月 - 卒業式、校内球技大会、後期終業式
部活動
- 運動部
- 文化部
- かつて存在した部活動
- 体操部(男)
- 佐世保東商業高等学校時代の1983年(昭和53年)と1985年(昭和60年)の2回、長崎県高総体団体の部で優勝し、全国大会に出場した。
著名な出身者
- 佐世保東商業高校時代
- 佐世保東翔高校
アクセス
- 最寄りの鉄道駅
- 最寄りのバス停
- 西肥バス
- 「佐世保東翔高校」行き[11] - 終点「佐世保東翔高校」バス停で下車。
- 小森橋経由「重尾」・「長畑町」行き - 「佐世保東翔高校入口」下車後、徒歩5分。
- 最寄りの県道
周辺
- 学校
- その他
脚注
- ^ この時、同時に総合学科校となり、改称した学校には、長崎県立長崎明誠高等学校(旧 琴海高等学校)、長崎県立大村城南高等学校(旧 大村園芸高等学校)の2校がある。
- ^ 諫早高校、諫早商業高校、佐世保西高校(補筆)、五島南高校、中五島高校、旧高島高校の校歌の作詞も行っている。
- ^ 島原高校、平戸高校、五島南高校、旧高島高校の校歌の作曲も行っている。
- ^ 現・長崎職業能力開発促進センター佐世保訓練センター(佐世保市指方町668番地)
- ^ 1955年(昭和30年)4月1日に佐世保市編入で「佐世保市立江上中学校」に改称。1968年(昭和43年)4月に佐世保市立針尾中学校との統合により、佐世保市立東明中学校となった。
- ^ 江上小学校から通りをはさんで向かい側にあった。運動場は江上小学校と共用。
- ^ 作詞は中山佐嘉衛、作曲は高田規矩雄。どちらも分校の教諭であった。
- ^ 1964年(昭和39年)には7学級、翌1965年(昭和40年)には8学級に増員。
- ^ 旧・校地である陣の内には、「陣の内校舎跡碑」が建立されている。国道35号から佐世保市立が早岐中学校に入るところに建てられている。
- ^ 長崎県内の総合学科校設置の流れに関しては長崎県立長崎明誠高等学校を参照。
- ^ 東翔高校行きのバスは朝と昼までに数本と少ない。
参考文献
- 「10年のあゆみ」(1971年(昭和46年)11月22日, 長崎県立佐世保東翔高等学校)
- 創立50周年記念誌「蒼空飛翔」(2004年(平成16年)10月30日, 長崎県立佐世保東翔高等学校)
関連項目
外部リンク