邦光 史郎(くにみつ しろう、1922年2月14日 - 1996年8月11日)は、日本の作家。本名:田中 美佐雄。父・力之助は時事新報の記者。妻は作家の田中阿里子。娘は作家・エッセイストの久我なつみ。
東京生まれ[1]。高輪学園卒[1]。父親の転勤で大阪に移り、東淀川区役所につとめる[2]。応召し、広島第2総軍司令に在隊、1945年8月6日原爆に遭遇[3]。同年10月に除隊し、京都で五味康祐らと『文学地帯』を創刊[1]。のち放送作家となる[1]。1962年『社外極秘』で直木賞候補[1]。以後企業小説、推理小説、歴史推理小説、伝記小説を多数執筆。
戦前に保高徳蔵主宰の「文芸首都」懸賞に入選。戦時中は「新作家」同人となり、戦後は五味康祐とともに「文学地帯」を主宰し、十五日会に属する。「文学者」「京都文学」同人。関西のテレビ、ラジオに台本を執筆。
1962年、産業推理小説と銘打たれた「欲望の媒体」でデビュー[1]。同年に刊行した「社外極秘」が、第48回直木賞候補となる。1963年に「宝石」に発表した「夜の賎しさ」は日本推理作家協会の「推理小説ベスト24 1964年版」に収録される。1964年に「小説新潮」に発表した「螺旋階段」は日本推理作家協会の「推理小説ベスト24 1965年版」に収録される。1965年に刊行した「海の挑戦」が、1966年に第19回日本推理作家協会賞の候補となる。1965年に「オール読物」に発表した「トラブルメーカー」は日本推理作家協会の「推理小説ベスト24 1966年版」に収録される。
1972年、「夜と昼の神話」を刊行。1983年刊行の『十年後』はシリーズ合計70万部のベストセラーになった。1992年、京都市文化功労賞を受賞[1]。
1978年頃に、「45歳から65歳(または69歳)まで」の年齢層に対して「熟年(層)」と呼ぶことを提唱し、原三郎(東京医科大学名誉教授)とともに「熟年」という言葉の発案者のひとりとされている[注釈 1]。
この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。