遼北省(りょうほくしょう)は、中華民国にかつて存在した省。中国東北の松遼平原西部に位置した。
1945年(民国34年)、日本の敗戦に伴い満洲国が崩壊すると9月4日に国民政府は遼北省省長を任命した[1]。1947年(民国36年)6月、国民政府は東北9省の行政区域を規定する『東北新省区方案』公布し、満洲国の四平省及び興安総省興南地区の大部分及び松江省の一部に新たに遼北省を設置、省会を遼源県に定め、下部に1市18県6旗を管轄した。
1948年(民国37年)の遼瀋戦役により勝利した共産党軍により、中華民国は省域の大部分の実効支権を喪失、3月4日には四平市が陥落し、中華民国の行政機構として機能した期間はごくわずかであった。
1949年に中華人民共和国が成立すると、遼北省は解体され遼寧省、吉林省、内モンゴル自治区に編入された。
各行政区画の地方分類は、台湾地区に関してはTemplate:台湾の地域を、中華民国全領域に関してはTemplate:中国地理大区を参照のこと。
1 北京政府、または国民政府・中華民国政府が中央政府機構を1年以上設置した実績のある都市。なお、1925年 - 1928年は北京政府と国民政府の並立期間。
2 名称と範囲は、台湾地区と大陸地区の人民関係条例(中国語版)第2条第1項の規定に基づく。
3 直轄市としての桃園市発足に伴い、桃園県が台湾省から離脱した年。
4 行政改革によって行政機関としての機能は2018年までに消滅。ただし、中華民国憲法と中華民国憲法増修條文の上では廃止されていない。
5 この行の記載は、行政院新聞局が2005年に刊行した「中華民國九十四年年鑑」に基づく。
6 高雄市の直轄市昇格にともない、中華民国全領域の行政区分が政府公告上で修正された最後の年。
7 「中華民國九十四年年鑑」が刊行された年。これ以降、中華民国政府は大陸地区の範囲・行政区分に関する公告を発表していない。
8 全域が台湾地区に属する。
9 金馬地区が台湾地区に、それ以外の地区が大陸地区に属する。
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