蛇田村(へびたむら)は、昭和29年(1954年)まで宮城県牡鹿郡の北西部にあった村。
地理
歴史
蛇田村の由来
安永風土記によれば、ツバメがくわえてきた瓜の実を植えたところ、大きな実がなり、その中から数多のヘビが出てきたため、村の南西に埋め塚を築き、名を蛇塚とした。そのため、村の名を蛇多とし、後年に蛇田と書き替えたという[1]。
また、一説によると『上毛野田道が大蛇となって蝦夷を破った』という征夷伝説を信じた村人が蛇田道公と尊称し、それを祀ったためともある[1][2]。
沿革
行政
代 |
氏名 |
就任 |
退任 |
備考
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1 |
高瀬直記 |
明治22年(1889年)4月 |
明治25年(1892年)4月 |
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2 |
菅野又甚三郎 |
明治25年(1892年)5月 |
明治36年(1903年)8月 |
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3 |
川村喜十郎 |
明治36年(1903年)8月 |
明治42年(1909年)2月 |
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4 |
川村豊吉 |
明治42年(1909年)3月 |
明治43年(1910年)2月 |
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5 |
遠藤章平 |
明治43年(1910年)3月 |
大正2年(1913年)11月 |
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6 |
大内久馬 |
大正2年(1913年)12月 |
大正10年(1921年)2月 |
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7 |
菅野又甚三郎 |
大正10年(1921年)4月 |
大正14年(1925年)5月 |
再任
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8 |
千葉友治 |
大正14年(1925年)5月 |
昭和5年(1930年)11月 |
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9 |
木村義三郎 |
昭和5年(1930年)11月 |
昭和9年(1934年)11月 |
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10 |
勝又朝治 |
昭和9年(1934年)12月 |
昭和11年(1936年)10月 |
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11 |
布施長蔵 |
昭和11年(1936年)11月 |
昭和14年(1939年)12月 |
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12 |
山田海秀 |
昭和15年(1940年)2月 |
昭和19年(1944年)9月 |
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13 |
手塚周五郎 |
昭和19年(1944年)9月 |
昭和21年(1946年)10月 |
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14 |
宍戸孔一 |
昭和22年(1947年)4月 |
昭和29年(1954年)12月31日 |
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交通
鉄道
著名な出身者
脚注
- ^ a b 『日本歴史地名大系第四巻 宮城県の地理』平凡社1987年7月10日発行 666頁。
- ^ a b c d e 『角川日本地名大辞典 4宮城県』平成3年9月1日角川書店発行 471-472頁。
参考文献
関連項目