|
テレビ番組については「虎の門」をご覧ください。 |
虎ノ門(とらのもん)は、東京都港区の町名。オフィスビルや商業施設の超高層ビルが集中する大規模なオフィス街である。現行行政区画は虎ノ門一丁目から虎ノ門五丁目。芝地区総合支所管内に属する区域の一つ。郵便番号は105-0001(芝局集配区)[3]。
概要
港区の北部、芝地域(旧芝区)の北端部に位置する。北で千代田区霞が関、東で西新橋・愛宕に、南で芝公園・麻布台に、西で六本木に接している。
「虎ノ門」とは江戸城の外堀(現在の虎ノ門交差点附近)にあった城門(江戸城三十六見附の一つ)の名前である。城門の前の土橋は外堀の水の流れをせき止める堰堤(ダム)の役割も兼ねており、虎ノ門から赤坂見附にかけて溜池を形成していた。1874年(明治6年)に城門が撤去された後もその近隣地域の俗称として使われ続け、交差点名や都電・地下鉄銀座線の駅名となった。虎ノ門の名が正式な地名に初めて採用されたのは1949年になってからである。
1977年の住居表示実施により芝西久保地区・芝神谷町などを加えて現在の虎ノ門が成立した。町名を決定する際に、港区は西久保や神谷町とせず、戦前から交差点名・地下鉄の駅名として使われ、住民になじみのある虎ノ門の名を採用した。
歴史
沿革
- 江戸時代 - 現在の虎ノ門の一帯は、ちょうど麻布の台地と愛宕山に挟まれた低地であることから、西久保と呼ばれていた。西久保地区の大部分は武家地・寺社地であった。
- 1662年(寛文2年) - 西久保城山町の住民が武蔵野に移住し、当地に新しく西久保村(西窪村・現在の東京都武蔵野市西久保)を開拓する。
- 1691年(元禄4年) - 用地に召し上げられた葺手町が西久保土取場に代地を与えられ移転してくる。
- 1696年(元禄9年) - 組屋敷があった場所に新しく神谷町が成立する。また元禄期までに、西久保地区に西久保車坂町・西久保新下谷町・西久保同朋町などの町が成立し、町奉行支配となる。
- 1868年(明治元年) - 東京府成立に伴い、西久保地区は東京府の所属となる。
- 1869年(明治2年) - 西久保地区に町域変更が実施され、西久保車坂町・西久保新下谷町・西久保天徳寺門前が合併して西久保巴町が、西久保同朋町・芝富山町・芝北新門前町などが合併して西久保広町がそれぞれ成立した。また、寺社地であったところに西久保八幡町が、武家地であったところに西久保明舟町が成立した。
- 1870年(明治3年) - 虎ノ門内側の幕府の御用屋敷があった敷地が今入町(後の芝虎ノ門町)となる。
- 1873年(明治5年) - 武家地であったところに琴平町・西久保桜川町・西久保城山町などが成立する。
- 1874年(明治6年) - 虎ノ門が撤去される。
- 1878年(明治11年) - 芝区成立に伴い、西久保地区は東京府芝区の所属となる。
- 1889年(明治22年)5月1日 - 東京市成立に伴い、西久保地区は東京市芝区所属となる。
- 1923年(大正12年)12月27日 - 虎ノ門交差点附近において虎ノ門事件が発生する。
- 1938年(昭和13年)11月18日 - 地下鉄虎ノ門駅が開業する。
- 1947年(昭和22年) - 芝区が赤坂区・麻布区と合併して新たに港区が成立。それに伴い西久保地区の町名に「芝」の冠称がつく。
- 1949年(昭和24年) - 芝今入町が芝虎ノ門に改称する(現在の虎ノ門一丁目1番地)。町名に「虎ノ門」が採用されたのはこのときが初めてである。
- 1964年(昭和39年)3月25日 - 芝神谷町に地下鉄神谷町駅が開業する。
- 1977年(昭和52年)9月1日 - 住居表示実施。西久保地区の大部分に近隣の芝神谷町・芝虎ノ門・赤坂葵町などを併せて、現在の虎ノ門が成立する。
- 2014年(平成26年)
- 3月29日 - 環状2号線新虎通り区間が開通する。
- 6月11日 - 新虎通りの建設と連動して進められた大規模再開発「虎ノ門ヒルズ 森タワー」が開業する。虎ノ門ヒルズでは、2020年にビジネスタワーが開業しており、2021年にはレジデンシャルタワー、2023年にはステーションタワーが竣工する予定である。
- 2020年(令和2年)6月6日、地下鉄虎ノ門ヒルズ駅が開業する。
町名の変遷
実施後
|
実施年月日
|
実施前(各町名ともその一部)
|
虎ノ門一丁目
|
1977年9月1日
|
芝虎ノ門、芝琴平町、芝西久保桜川町
|
虎ノ門二丁目
|
芝西久保明舟町、赤坂葵町
|
虎ノ門三丁目
|
芝西久保巴町、芝西久保広町
|
虎ノ門四丁目
|
芝西久保城山町、芝葺手町、麻布市兵衛町一丁目
|
虎ノ門五丁目
|
芝神谷町、芝西久保八幡町、芝西久保広町、芝仙石町
|
世帯数と人口
2019年(令和元年)8月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[2]。
丁目 |
世帯数 |
人口
|
虎ノ門一丁目
|
282世帯
|
447人
|
虎ノ門二丁目
|
10世帯
|
14人
|
虎ノ門三丁目
|
1,133世帯
|
1,799人
|
虎ノ門四丁目
|
398世帯
|
623人
|
虎ノ門五丁目
|
173世帯
|
335人
|
計
|
1,996世帯
|
3,218人
|
小・中学校の学区
区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[6]。
施設・史跡
虎ノ門一丁目
虎ノ門二丁目
虎ノ門三丁目
虎ノ門四丁目
虎ノ門五丁目
交通
鉄道
道路
その他
- 中央省庁に在籍していた元官僚の天下りを受け入れている非営利法人(特殊法人や公益法人等)の事務所が多くあることから、「虎ノ門」は非営利法人の代名詞で用いられることがある[9]。例えば、猪瀬直樹は永田町(政界)・霞が関(中央官庁)・虎ノ門を並列して問題提起している。
- 桜田通り上に連続する「虎ノ門一丁目」「虎ノ門二丁目」「虎ノ門三丁目」の交差点名は、かつて「虎の門~丁目」であったが、環二通り(新虎通り)整備や虎ノ門ヒルズ開業に伴う「虎の門二丁目」交差点のリニューアルを契機に、順次「虎の門~」から「虎ノ門~」に改められた。現在も、「虎ノ門一丁目」と「虎ノ門三丁目」交差点の信号機の交差点名表示板には、上貼り修正した下にかつての「の」の字が浮き上がって見ることができる。
脚注
参考図書
関連項目
外部リンク