藤森 睿(ふじもり さとる、1903年(明治36年)12月8日[1] - 1984年(昭和59年)8月30日[1])は日本の政治家。青森県弘前市長。
青森県弘前市出身[2]。青森県立弘前中学校(現・青森県立弘前高等学校)を経て、東洋大学倫理学東洋文学科卒[3]。卒業後は青森県立青森高等女学校(現・青森県立青森高等学校)、青森県女子師範学校(現・弘前大学)、青森県立五所川原高等女学校(現・青森県立五所川原高等学校)の各教諭となり、五所川原高等女学校、青森高等女学校の各校長となる[3]。1946年に青森県庁に入り[2]、県視学官、教育、人事の各課長、民生部長を歴任し[2][3]、1954年、弘前高校校長となり、教育現場に復帰した[2]。1956年、弘前市長岩淵勉が死去、その後継を決める市長選挙に立候補して当選した[2]。弘前市長を5期20年務め、1976年に退任。1984年に死去した。