藤原 範継(ふじわら の のりつぐ)は、鎌倉時代前期の貴族。藤原南家高倉流、参議・藤原範茂の子。官位は従四位下・左馬頭。
建保4年(1216年)六位に叙される。
承久3年(1221年)に承久の乱に関与した父・範茂が処刑されたが、範継は北条泰時の意向により助命された。その後、侍従を経て、安貞元年(1227年)に舞人として参仕している[2]。寛喜3年(1231年)正五位下に叙され、この頃に左馬頭に任ぜられた。範継は公卿に昇進できなかったが、子孫は高倉家(藪家)の嫡流となり、堂上家を多く輩出している。
なお、範継の位階を『公卿補任』は正五位下とし、『尊卑分脈』は従四位下とする。