蒲生村(がもうそん)は、鳥取県岩井郡・岩美郡にあった村、自治体である。
概要
現在の岩美町蒲生・相山・馬場・銀山・洗井・鳥越に相当する。蒲生川上流域に位置した。
平安時代には蒲生郷に属し、その後荘園が発達すると蒲生荘と呼ばれた。藩政時代には鳥取藩領の岩井郡蒲生庄に属する蒲生村・相山村・馬場村・銀山村・洗井村・鳥越村があった[3]。
兵庫県境にある蒲生峠は、江戸期には大名行列や旅人の重要な山陰道が通り、戦後は国道9号となった。
1927年(昭和2年)8月27日、村内の7組合を統合して蒲生村副業協会を設立し、牛の飼育・製炭・養蚕・藁加工などの産業育成に努めた[1]。
沿革
行政
歴代村長
代 |
氏名 |
就任年月日 |
退任年月日 |
備考
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初 |
喜多川勇右衛門 |
1889年(明治22年)12月22日 |
1891年(明治24年)3月25日 |
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2 |
中村重太郎 |
1891年(明治24年)4月15日 |
1893年(明治26年)12月26日 |
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3 |
喜多川勇右衛門 |
1894年(明治27年)1月16日 |
1897年(明治30年)8月30日 |
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4 |
大森清四郎 |
1897年(明治30年)9月17日 |
1899年(明治32年)11月30日 |
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5 |
高垣彦四郎 |
1899年(明治32年)12月21日 |
1903年(明治36年)12月20日 |
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6 |
大森清四郎 |
1904年(明治37年)1月11日 |
1906年(明治39年)2月28日 |
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7 |
山本雄三 |
1906年(明治39年)4月21日 |
1910年(明治43年)4月20日 |
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8 |
山本雄三 |
1910年(明治43年)5月2日 |
1910年(明治43年)8月15日 |
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9 |
大森清四郎 |
1910年(明治43年)11月22日 |
1911年(明治44年)7月12日 |
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10 |
平井豊吉 |
1911年(明治44年)8月9日 |
1915年(大正4年)8月6日 |
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11 |
平井豊吉 |
1915年(大正4年)8月6日 |
1919年(大正8年)8月8日 |
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12 |
栃尾勝造 |
1919年(大正8年)9月15日 |
1922年(大正11年)9月16日 |
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13 |
宮下金吾 |
1922年(大正11年)12月7日 |
1923年(大正12年)2月7日 |
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14 |
山添市太郎 |
1923年(大正12年)3月15日 |
1927年(昭和2年)3月14日 |
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15 |
高垣鹿重郎 |
1927年(昭和2年)7月21日 |
1931年(昭和6年)7月20日 |
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16 |
高垣鹿重郎 |
1931年(昭和6年)9月13日 |
1935年(昭和10年)9月12日 |
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17 |
高垣鹿重郎 |
1935年(昭和10年)9月13日 |
1939年(昭和14年)9月12日 |
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18 |
高垣鹿重郎 |
1939年(昭和14年)9月13日 |
1943年(昭和18年)4月2日 |
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19 |
高垣鹿重郎 |
1943年(昭和18年)8月3日 |
1946年(昭和21年)11月25日 |
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20 |
井本良勇 |
1947年(昭和22年)4月5日 |
1947年(昭和22年)7月15日 |
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21 |
井本良勇 |
1947年(昭和22年)8月16日 |
1951年(昭和26年)8月15日 |
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22 |
上田節 |
1951年(昭和26年)8月16日 |
1954年(昭和29年)6月30日 |
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参考文献 - [1]
|
教育
交通
道路
出身者
脚注
関連項目