落合町(おちあいまち)は、日本の領有下において樺太に存在した町。
当該地域の領有権に関する詳細は樺太の項目を、現状に関してはドリンスクを参照の事。
概要
この土地に集落が存在したのは日露戦争以前からであるが、急速に発展したのは日本領有後の1917年に製紙工場が建設されて以降の事である。
付近には肥沃な農耕地がある。樺太東線栄浜支線と敷香方面との分岐点であり、大谷には飛行場も存在した。
1908年1月19日に最低気温-45.6°Cを観測し、それが戦前の日本における気温の最低記録であった。[2]
歴史
町内の地名
- 落合
- 深草(ふかくさ)
- 渡瀬(わたせ)
- 志安(しやす)
- 山中(やまなか)
- 西山(にしやま)
- 東山(ひがしやま)
- 黒川(くろかわ)
- 小谷(こたに)
- 小谷南沢(こたにみなみざわ)
- 川北(かわきた)
- 川南(かわみなみ)
- 大谷(おおたに)
- 白川(しらかわ)
- 白川東山(しらかわひがしやま)
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- 円山(まるやま)
- 深雪西山(みゆきにしやま)
- 姉川(あねがわ)
- 東美保(ひがしみほ)
- 西美保(にしみほ)
- 上美保(かみみほ)
- 下美保(しもみほ)
- 太平(たいへい)
- 敷島(しきしま)
- 雨露堪(うろたえ)
- 矩形沢(くけいざわ)
- 内淵炭鉱(ないぶちたんこう)
- 東内淵(ひがしないぶち)
- 岩国沢(いわくにざわ)
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([3])
地域
教育
以下の学校一覧は1945年(昭和20年)4月1日現在のもの[4]。
国民学校
- 樺太公立落合第一国民学校
- 樺太公立落合第二国民学校
- 樺太公立大谷国民学校
- 樺太公立円山国民学校
- 樺太公立深草国民学校
- 樺太公立山中国民学校
- 樺太公立黒川国民学校
- 樺太公立川南国民学校
- 樺太公立東内淵国民学校
- 樺太公立内淵国民学校
- 樺太公立美保国民学校
- 樺太公立西内淵国民学校
- 樺太公立小谷国民学校
中等学校
脚注
- ^ 日本合同通信社『躍進興亜維新展望 : 東亜新秩序建設資料』(1941年)p. 36に「面積八十一方里に及ぶ」とあり。
- ^ 『氣象學講話』岩波書店、1928年12月。NDLJP:1170938。 岡田武松著 p21
- ^ 南樺太:概要・地名解・史実(西村いわお・著、高速印刷センター内出版部 1994年)より。
- ^ 北海道立教育研究所『北海道教育史 地方編2』(1957年)p. 1678、p. 1693
関連項目