荒崎村(あらさきむら)は、かつて岐阜県不破郡に存在した村である。
現在の大垣市の西部、及び垂井町東部に該当し、大谷川(揖斐川支流)西岸の地域である。
村名は、かつてこの地域に存在した荘園の名、荒崎荘に由来する。
美濃路や旧国道21号(通称・岐垣国道。現岐阜県道31号岐阜垂井線)が通過する交通の要所である。
かつて大垣藩が大垣城城下町を水害から守るために、大谷川の右岸のこの地域に堤防を造ること禁止していたという。戦後になり堤防が築かれたが、対岸の輪中堤より1m低いものであり、さらに洗堰も設置された。現在もこの地域は遊水池状態であり、集中豪雨による水害で問題になっている。
沿革
学校
その他
- 荒崎村のうち、旧綾戸村は垂井町との結びつきが強かったこと、大日本紡績垂井工場の敷地の一部があることがあり、住民の要望で垂井町との合併となったという。
関連項目