紀比呂子

きの ひろこ
紀 比呂子
本名 福田博子[1]
生年月日 (1950-04-11) 1950年4月11日(74歳)
出生地 日本の旗 日本東京都世田谷区[2]
血液型 B型
職業女優[3][2]
ジャンル 映画
テレビドラマ
活動期間 1969年 - 1982年
著名な家族 三條美紀(母)
主な作品
テレビドラマ
アテンションプリーズ[4]
コートにかける青春
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紀 比呂子(きの ひろこ、1950年昭和25年〉4月11日[2] - )は、日本の元女優[3][2]である。本名は、福田博子[1][5]。旧姓は、佐藤[6][7]。身長158cm(1972年3月)[7]

来歴・人物

女優・三条美紀(三條美紀)の娘[5][8][9][10]として東京都世田谷区に生まれる[2]。お七夜記念に初めて雑誌「平凡」のグラフを飾る。芸名は、母親の芸名から最後の字を姓とし、名前は本名を音読み漢字で並べたものである。4歳から6歳まで東京・成城の聖ファチマのマリア幼稚園に通う。セーラー服姿を早く見たいという母・三条美紀の希望で、入園式にはセーラー服姿で臨んだ。幼稚園の発表会では、竜宮城の乙姫様を好演し、蛙の子は蛙と評判だった。このころからピアノも始め、小学校3年生の時の発表会では「エリーゼのために」を見事に演奏した。幼稚園時代、先生が「比呂子ちゃんのお母さんは、比呂子ちゃんが起きる時、なにをしてますか」と聞くと、胸を張り、大声で「寝てまーす」と答えた。母・三条美紀は生活がかかっていたため仕事を辞めることができなかったが、育児を祖母任せにしていたことについて「こんな母親でいいのだろうか、母親とはこんなものだと思って育ったらどうなるのだろう」と悩んだという[11]

小学校から短期大学まで成城学園。幼稚園から高等学校まで、三船敏郎の長男である三船史郎と一緒だったが、1度も同じクラスになったことはなかった。小学生のころは坂本九のファンで、母親である三条美紀に頼んでブロマイドにサインをしてもらったことがある[12]。中学・高校では馬術部に所属、世田谷の馬事公苑に行っては乗馬を楽しんだ。中学になると芸能界にあこがれ、芝居は中学の頃からの念願だった[13]。高校二年の時に劇団若草に入団。短大在学当時の趣味は油絵[11]。フィギュア・スケート、ホッケー、水泳、テニス(コートにかける青春をきっかけとしてやり始めた)[14]などスポーツが得意[2]。子ども時代は貧血症だったため、レバーのステーキが好物となる[6]。18歳て免許を取得。当時の愛車はサニー・クーペGL。1972年からはアルファ・ロメオ-750GTV。仕事が忙しくなり、成城大学短期大学部生活文化コースをやむなく中退[2][7]。在学中の得意な科目は英語だった。かつてはバーボンを1本くらいは軽く空けたという酒豪であったが、胆嚢炎に罹患し一時禁酒する。母親・三条美紀のしつけで裁縫や家事は得意[9]。動物好きで若い頃の独身時代はチョコというペルシャ・チンチラやシャム猫を飼っていた。シャム猫のチャイはアテンション・プリーズで親しくなった范文雀から譲り受けたものである。

高等学校在学中の1966年、母親の縁で日本テレビにスカウトされ、1969年のテレビドラマ『風の中を行く』に新任教師役の吉永小百合の教え子役で初出演[3][2]。同年に高校を卒業し、熊井啓監督に抜擢され『地の群れ』(1970年公開)に準主役として出演[15]、瑞々しい演技で注目を浴びた[11]

時間ですよ』(TBS)の第1シリーズ15回から出演、16回から降板した川口晶に代わり堺正章、悠木千帆(後の樹木希林)とともにトリオ・ザ・銭湯の一員としてレギュラーとなる。第2シリーズでは、堺正章に片思いするラーメン店の出前持ちを演じ好評を得る。1970年、田舎で卓球に夢中だった少女が国際線の客室乗務員になるまでを描いた人気ドラマ『アテンションプリーズ』に主演[4]し、平均視聴率30%を獲得、一躍お茶の間の人気者となり、三条美紀は、送り出す時や深夜ひとりで帰りを待つときは「女優にするんじゃなかった」と思ったという[9]。その後も『コートにかける青春[16][17]、『マドモアゼル通り』『青春をつっ走れ[2]などの複数の青春ドラマに主演して人気を博し、テレビ・舞台を中心に多くの作品に出演した。『コートにかける青春』では母・三条美紀と共演。それまでは紀の方が照れくさいと断っていたものを、スタッフのたっての願いで実現[18]。『青春をつっ走れ』の際の劇中のアダ名はアンパン。台本ではクリーム・パンとなっていたが森田健作が発案し、郷ひろみらがそれを後押ししたためアンパンに決定。本人にとっては不本意なアダ名だった。

1982年、中学の先輩[19]との結婚を期に芸能界から引退[20]し、富山に移住して2年を過ごす[21]。その後夫の故郷の金沢市に移り[20]1女1男をもうけた[21]。金沢在住当時は、町会の班長を務め、町会費を集めたり回覧板を回したりと地元に馴染んでいた[21]。2002年に世田谷区に金沢家庭料理の小料理屋「はく」を開業し、女将となっていたが[22]。2019年7月20日をもって閉店した[23]

出演

映画

  • 地の群れ(1970年1月31日、ATG) - 徳子
  • 夕日くん サラリーマン脱出作戦(1971年4月15日、東宝
  • 喜劇 昨日の敵は今日も敵 (1971年4月29日、東宝) - ひとみ
  • 紙芝居昭和史 黄金バットがやって来る(1972年5月13日、東宝) - めぐみ
  • 喜劇 泥棒大家族 天下を盗る(1972年10月28日、東宝) - 大鹿秋子
  • 愉快な極道(1976年2月14日、東映) - 石田道子
  • エデンの海(1976年4月24日、東宝) - 増川先生

テレビドラマ

吹き替え

その他テレビ番組

CM

音楽活動

シングルレコード

LPレコード

脚注

  1. ^ a b 2015年4月19日付毎日新聞
  2. ^ a b c d e f g h i 週刊小説1972年8月25日号
  3. ^ a b c 週刊プレイボーイ昭和44年5月11日
  4. ^ a b 近代映画1971年3月号
  5. ^ a b “俳優の三條美紀さん死去 86歳 脇役で活躍”. どうしんウェブ (北海道新聞社). (2015年4月18日). http://dd.hokkaido-np.co.jp/entertainment/culture/culture/1-0124860.html 2015年5月10日閲覧。 
  6. ^ a b 週刊平凡1971年
  7. ^ a b c 内外人気スターからバレー選手まで 決定版STアイドル名鑑 紀比呂子」『週刊セブンティーン』1972年3月14日号、集英社、109頁。 
  8. ^ 週刊プレイボーイ昭和44年3月11日発行
  9. ^ a b c 週刊女性昭和46年4月3日号
  10. ^ 2015年4月18日朝日新聞夕刊
  11. ^ a b c アサヒカメラ1971年
  12. ^ 月刊平凡1971年7月号
  13. ^ 週刊プレイボーイ昭和44年3月11日発行
  14. ^ サン・ジャック昭和51年3月号
  15. ^ アートシアター1970年1月31日発行
  16. ^ 週刊マーガレット1971年
  17. ^ 月刊平凡1791年10月号
  18. ^ 週刊ポスト昭和47年
  19. ^ 出会いから16年、中学の先輩と結婚、引退した紀比呂子日刊ゲンダイ2013年8月22日
  20. ^ a b 日刊ゲンダイ2007年12月1日
  21. ^ a b c 週刊アサヒ芸能増刊 1989年4月
  22. ^ 週刊新潮2007年8月
  23. ^ はく(掲載保留)”. 食べログ. 2020年6月1日閲覧。
  24. ^ 宝石7409閲覧
  25. ^ 週刊文春2013年12月5日号、サンデー毎日2013年12月15日号、週刊新潮2014年2月20日号、朝日新聞2014年3月6日号

外部リンク

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