篠原 榮太(しのはら えいた、1927年〈昭和2年〉[1][2][3] - 2023年〈令和5年〉9月14日[4])は、日本のグラフィックデザイナー。
テレビ局専属のタイトルロゴデザイナーとして活動を開始し、やがてロゴタイプおよび書体デザインの第一人者となった。
東京府出身[2]。ネオンサインのデザインに従事した[3]のち、映画のスタッフロールデザインの美しさに魅せられ[3]、映像デザインの仕事を目指して、1955年、ラジオ東京テレビジョン(KRT、のちのTBSテレビ)開局と同時に、運営会社のラジオ東京に入社[2]し、テレビ番組の静止画台紙(タイトル画面、気象情報、ステーションブレイクなど)のデザインに従事[3]。ロゴ製作者としては、硬質なレタリングによる字体のほか、毛筆による筆耕を得意とした。
1964年(昭和39年)、大谷四郎とともに、日本タイポグラフィ協会の前身となる「日本レタリングデザイナー協会」を設立した[2]。のち日本タイポグラフィ協会理事、理事長、会長を歴任[2]。
独立後は、テレビ番組のタイトルロゴ素材製作のかたわら、印刷物デザイン、写真植字・電算写植など向けの書体デザイン、イラストレーションを手掛けたほか、ファインアート作品も発表した。TBSビジョン顧問[2]ののち、同社退職後は、多摩美術大学、専門学校東京デザイナー学院、東京デザインスクールで教鞭をとったほか、「レタリング技能検定」中央委員長を歴任するなど、長年にわたりデザイン教育に携わった[2]。
2018年頃に進行性核上性麻痺と診断される。2023年9月14日に老衰のため東京都内の施設で死去した。96歳没[4]。
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書籍挿絵は後述
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