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1969年6月1日に京都競馬場で行われた第10回宝塚記念について詳細を記述する。
- なお、馬齢については当時の表記方法(数え年)とする。
レース施行時の状況
この年の宝塚記念は1966年以来3年ぶりに京都での代替開催となり、ファン投票で上位に選ばれたアサカオー・タケシバオーが出走せず[1]、僅か4頭立てというメンバー構成となった。
1番人気のマーチスは、タケシバオー・アサカオーと三強を形成する関西馬。4歳時の皐月賞では道中最後方から進み、最後は3頭の壮絶な叩き合いを制した。鞍上の保田隆芳は5大クラシックに春秋天皇賞、有馬記念を含めたいわゆる八大競走完全制覇を達成。この年はまだ未勝利であったが、単勝2.5倍で生涯16度目の1番人気であった。
2番人気のダテホーライは、4歳時に菊花賞でアサカオーの2着。5歳になったこの年は日本経済新春盃・中京大賞典でダービー馬のタニノハローモアを破り、サンケイ大阪盃ではアサカオーを破って重賞3勝を挙げていた。ファン投票では3位で、1、2位不在の最上位馬として出場した。
3番人気はスワンステークスを制し、天皇賞(春)で3着に入ったダイイチオー。
4番人気は唯一の関東馬メジロシンゲン。
出走馬
レース展開
レースは逃げるダイイチオーを残る3頭で追う形となり、脱落したメジロシンゲンを除く3頭の争いとなって直線勝負にもつれこんだが、最後はマーチスに1馬身の差をつけ、2分16秒1のレコードタイムで勝った[1][2]。
レース結果
着順 |
枠番 |
馬番 |
競走馬名 |
着差
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1 |
3 |
3 |
ダテホーライ |
2分16秒1
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2 |
1 |
1 |
マーチス |
1馬身
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3 |
4 |
4 |
ダイイチオー |
アタマ
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4 |
2 |
2 |
メジロシンゲン |
大差
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脚注