眞中 幹夫(まなか みきお、1969年5月22日 - )は、茨城県坂東市出身のサッカー指導者、元サッカー選手。同じく元サッカー選手の眞中靖夫は実弟。
茨城大学卒業後の1992年、テストを受けてジェフユナイテッド市原に加入[1]。5シーズン在籍し、Jリーグで101試合に出場した。
1997年、ジャパンフットボールリーグ(JFL)のブランメル仙台に移籍[1]。1998年、大宮アルディージャに移籍[1]。
現役引退を考えていたところ、市原時代のチームメイトであるピエール・リトバルスキーに誘われ、彼が監督を務める横浜FCに加入[1]。1999年から2シーズン連続で日本フットボールリーグ(JFL)に優勝し、2000年のJFLではベストイレブンに選出された。
2001年3月17日のベガルタ仙台戦にて、横浜FCのJリーグ初ゴールをあげた[2]。右足前十字靭帯を断裂し[1]、同シーズン限りでクラブと契約満了[3]。横浜FCの育成組織でコーチをしつつ現役復帰に向けたリハビリに取り組み[1][4]、2002年6月に再び横浜FCと契約[5]。2004年11月24日、同シーズンをもって現役を引退することを発表した[6]。
※2006年 - 2007年 : ナショナルトレセンコーチ関東担当
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