田中 一村(たなか いっそん、1908年7月22日 - 1977年9月11日)は、日本画家である。栃木県栃木にて木彫家の父田中稲邨の長男として生まれ、東京市で育った、本名は田中孝。中央画壇とは一線を画し、1958年(昭和33年)千葉市での活動の後、50歳で奄美大島に単身移住。奄美の自然を愛し、亜熱帯の植物や鳥を鋭い観察と画力で力強くも繊細な花鳥画に描き、独特の世界を作り上げた[1]。
奄美市名瀬有屋38番地3には、最後の10日間を過ごした家が、田中一村終焉の家として移設保存されている[2]。
生涯
- 1959年 - 国立療養所奄美和光園の官舎に移り込み、小笠原医師との共同生活を始める。
- 1960年 - 5月28日、千葉に一時帰郷する。翌年まで、岡田藤助の計らいで国立千葉療養所の所長官舎にアトリエと住居を与えられる。
- 1961年 - 3月31日、見合いをするが、のちに自ら破談とした。4月22日、所長官舎を引き上げ、奄美に戻る。12月、名瀬市有屋の一戸建て借家に移り、農業を始める。
- 1962年 - 名瀬市大熊にある 大島紬工場の染色工の仕事で生計を立てながら絵を描き始める。
- 1965年 - 3月末、姉・喜美子の危篤を知らされ、千葉に帰る。5月16日、喜美子逝去(享年60)。遺骨を抱いて奄美に戻る。12月5日、川村幾三逝去。
- 1967年 - 5年間働いた紬工場を辞め、3年間絵画制作に専念する。
- 1970年 - 再び紬工場で働き始める。2年働いて個展の費用を捻出しようとしたが、結局個展の開催は実現せず、最後まで中央画壇に認められないままだった。
- 1972年 - 紬工場を辞め、3年間絵画制作に専念するが、腰痛や眩暈などで三度も昏倒する。
- 1976年 - 6月下旬、畑仕事中に脳卒中で倒れ、一週間入院。その後、名瀬市の老人福祉会館に通いリハビリテーションに励む。姉・房子と甥・宏が来訪、奄美で描かれた一村の作品を預かり、千葉に持ち帰る。
- 1977年 - 春、体調やや回復する。9月1日、和光園近くの畑の中の一軒家に移り、「御殿」と称する。同月11日、夕食の準備中に心不全で倒れ、死去。69歳没。墓所は満福寺。戒名は真照孝道信士。
没後の再評価
死去の直前、奄美在住だった友人の紹介で一村と会った写真家・田辺周一によると、田中は千葉にいた頃に写真を学んで造詣が深く、自ら撮影もしており、写実的な画風にも影響を与えていたとみられる。田辺は散逸しそうだった一村の遺品を預かり、現在まで保管。さらに2015年には、一村の写真集『海神の首飾り』(リーブル出版)を刊行した[5]。一村は、アンリ・ルソーからの影響が指摘されることもある。
没後にNHKの『日曜美術館』「黒潮の画譜~異端の画家・田中一村」(1984年12月16日放映)や『南日本新聞』に連載された「アダンの画帖~田中一村伝」でその独特の画風が注目を集め、全国巡回展が開催され、一躍脚光を浴びる。南を目指したことから、「日本のゴーギャン」などと呼ばれることもある[3]。評伝や画集も複数が刊行されているほか、以下のように記念美術館が開館したり、各地の美術館で展示会が開かれたりするようになっている。
毎年9月11日の命日に「一村忌」が「一村終焉の家」で行われている。一村の絵『奄美の杜』は黒糖焼酎のラベルにもなっている。
代表的な作品
現在確認されている作品数は下絵やスケッチを除いて約600点弱。そのうち160点余は田中一村記念美術館に所蔵され、寄託品も含めると450点を収蔵している。千葉市美術館も蒐集に努め、一村の支援者であった川村家から寄贈を受けるなどして所蔵作品が100点を超えるに至った[6]。
初期
1908年から1938年までの作品。
- 白梅
- 牡丹図
- 倣蕪米
- 倣聾米
- 倣木米
- 倣鐡齋
- 農村春景
- 蕗の薹とメダカ
の図、ほか
千葉寺時代
1938年に千葉に移り、1958年に奄美大島に行くまでの作品。
奄美時代
1958年に奄美大島に移った後、1977年に亡くなるまでの作品。
映画
田中一村の生涯を描く映画『アダン』が企画された。2006年5月20日公開。
ドキュメンタリー
書籍
- 画集
- 評伝
- 南日本新聞社編 『田中一村伝 アダンの画帖』道の島社 1986年。
- 中野惇夫らが『南日本新聞』での連載記事を単行本化。
- 図録
- 『奄美に描く 田中一村記念美術館収蔵作品』日本放送出版協会、2001年。
- 『市制70周年記念 秋の特別企画展 田中一村の世界』とちぎ蔵の街美術館 、2006年10月。
- 『生誕100年記念特別展 田中一村展-原初へのまなざし』奈良県立万葉文化館 、2008年10月。
- 図録『田中一村 新たなる全貌』千葉市美術館、2010年8月。
- 小林忠「田中一村 精霊との交感」
- 河野エリ「田中一村、奄美へのプロローグ」。
- 松尾知子「田中一村の新たなる全貌を求めて 独歩の画家の画嚢をさぐる」
- 山西健夫「田中一村 様式形成への模索」
- 前村卓巨「「奄美時代」(1958〜1977)の田中一村について」
- 『田中一村 奄美の光 魂の絵画』東京都美術館(発行:NHK、NHKプロモーション、日本経済新聞社)、2024年9月。
脚注
出典
関連項目
外部リンク
- ^ "小泉孝太郎「約1世紀を経て」曽祖父・又次郎氏が後援会長の「田中一村展」アンバサダーに感慨". 日刊スポーツNEWS. 日刊スポーツ新聞社. 2024年9月18日. 2024年9月18日閲覧。