牧野 明成(まきの あきしげ)は、江戸時代中期の大名。丹後国田辺藩の第4代藩主。丹後田辺藩牧野家5代。官位は従五位下・豊前守、因幡守。
宝永元年(1704年)4月6日(江戸幕府の記録では宝永2年(1705年)閏4月)、第3代藩主・牧野英成の次男として田辺で誕生した。兄・良成が早世したために世子となり、元文2年(1737年)10月2日の父の隠居により家督を継いだ。
延享元年(1744年)7月に奏者番に任じられる。寛延2年(1749年)2月に大坂加番に任じられた。寛延3年(1750年)10月5日(記録では10月7日)、江戸で死去した。享年47。跡を三男の惟成が継いだ。