牧谷村(まきだにそん)は、鳥取県岩井郡・岩美郡にあった村、自治体である。
現在の岩美町牧谷(まきだに)・相谷(あいだに)に相当する。金峯山西麓に位置し、北は日本海に面した。
藩政時代には鳥取藩領の岩井郡浦住保(浦富保)に属する牧谷村と相谷村があった[1]。
牧谷は谷の名にちなむ。当地は竹美(竹見)とも言われ、また吉田という支村があり中世は吉田保の中に含まれていた(因幡志)[1]。
相谷は山の谷あいという意による。安政3年(1856年)、隣の町浦富村との間で山論があり、町浦富村は家数の多い割に草山に乏しいため、これまで通り相谷村にも草刈りをさせるようにと裁許された。安政3年までの約80年間、町浦富が相谷の草や薪を刈って来たという既成事実により町浦富側は相谷村は町浦富村の出村であると主張した。しかし相谷側からすれば何等伝承もなく大谷村の出村であると云った。いずれも資料はなく伝承は不明である。町浦富が相谷に入り込んでいったことから出村のような関係であったと考えられる[1]。