渋谷 定輔(しぶや ていすけ、1905年〈明治38年〉10月12日 - 1989年〈昭和64年〉1月3日)は、日本の詩人、農民運動家。
埼玉県入間郡南畑村(現富士見市)出身。妻は渋谷黎子。子供の時から農業に従事、そのかたわら詩や生活記録を執筆。1925年(大正14年)下中弥三郎らと農民自治会を組織し『農民自治』(創刊号のみ『自治農民』)[1]の編集にあたる。農民自治会埼玉県連合会として非政党同盟を率い、1928年(昭和3年)の県会議員選挙にむけて活発に運動するも成果が挙がらず、渋谷は離脱。29年に全国農民組合に参加、埼玉県連書記長となる。30年中央委員。1937年サハリン(樺太)からソ連に越境を計画して逮捕され、下獄。39年出獄。戦後は新日本文学会に参加し、1955年日本農民文学会の結成に参加、理事に就任。1970年『農民哀史』を刊行、ロングセラーとなる。1982年より思想の科学研究会会長[2][3]。
没後、関連する文書、図書・雑誌類が富士見市に寄贈され、富士見市立図書館の渋谷定輔文庫として保存・提供されている[4]。